エミーリエ・フレーゲを演じる一人芝居、開催しました

5月17日、演劇公演「エミーリエ・フレーゲ 愛されたミューズ EMILIE FLÖGE – GELIEBTE MUSE von Penny Black」を開催しました。
本展の目玉作品であるグスタフ・クリムト《エミーリエ・フレーゲの肖像》のモデルはどのような女性だったのか— 演じたのはオーストリアの女優マキシ・ブラーハさん。
エミーリエのオリジナルの洋服型紙を元に再制作された衣装に身を包み、一人芝居形式で演じました。オーストリア各地ほか、パリ、ロンドンやニューヨークでも絶賛された演目の日本初上演となりました。
クリムトが死の床で「ミディ(=エミーリエ)を呼んでくれ」と言ったことを、エミーリエ自身が回想する場面から、物語は始まります。
クリムトとエミーリエの出会いは遅くとも1891年、クリムトの弟エルンストとエミーリエの姉ヘレーネの結婚したとき、クリムト29歳、エミーリエ17歳のときです。
その後、エルンストが若くして亡くなると、クリムトはまだ幼い姪の後見人となり、クリムト家とフレーゲ家の関係は一層強いものになりました。クリムトとエミーリエは、家族で幾度もの夏をアッター湖で過ごします。その様子を収めた当時の写真を、本展にも出品しています。
エミーリエ・フレーゲは、ウィーンで2人の姉とともに最先端のモード・サロンを経営する聡明な企業家でした。女性が結婚をせず、経済的に自立していたことは、当時としては非常に珍しいことでした。
それゆえに、2人は互いを尊敬しあい、精神的にも経済的にも自立したパートナー、という関係を築いていきました。
「私は一度だって祭り上げられたことがないし、彼は一瞬たりとも私を崇拝しなかった。私たちは対等なパートナー、私たちは友情や家族、商売、それに愛情によって一つの網に織り込まれていたのよ。」
3姉妹の出発点は、下女のエプロンの改良でした。
そこからエミーリエたちは、女性たちをコルセットから解放する「改良服(リフォームドレス)」を販売するなどして、最盛期には80人ものお針子を抱えるほど事業を成功させていきます。
「このドレスを身に纏えば何でもできる、どんな男性とも肩を並べられる。森を歩きまわり、ボートに乗り込み、どんな椅子でも快適に座れる。」
ところで、《エミーリエ・フレーゲの肖像》は1903 年に開催された第18 回分離派展で初めて展示され、多くの好意的な評価を受けますが、当の本人はこの絵を気に入っておらず、1908年に売却してしまいます。

1902年 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wine Museum / Foto Peter Kainz
物語では、エミーリエは青いドレスを気に入っていなかった、と表現されています。
実際にエミーリエはどの点が気に入っていなかったかはわかりませんが、エミーリエはキャリアのある女性実業家としてではなく、美しくも退屈なウィーン社会の淑女として描かれることを望んでいたのかもしれません。
「いったいどうしたら私を置いてさっさと死ぬなんてできたの?この病院のベッドで髭もなく、頬がこけて、消毒薬の臭いが充満して、あなたの匂い、あなたの香り、あなた自身は — 消えてしまった。」
エミーリエはクリムトのことを回想しながら、アトリエを整理していきます。そして、自分に関係するものをすべて捨ててしまいます。
最後に、この先に起こる戦争によって、フレーゲ姉妹のサロンは店を閉じ、自分たちの痕跡が消えていくことを暗示して、舞台は幕を閉じます。
マキシ・ブラーハさんは、時に歌を交えながら情熱的にエミーリエを熱演。会場全体が、ブラーハさんが作る世界観に包まれました。
エミーリエ・フレーゲとクリムトの関係を知ると、また作品の見方が変わってくるかもしれません。一度ご覧になった方も、「エミーリエ来日中」のこの機会に、ぜひ再度本展へ足をお運びください。
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