イサム・ノグチ
イチローズ・アート・バー
斉白石
東京オペラシティ

【イチローズ・アート・バー】第1回 北京ドローイングとイサム・ノグチ

平成の過半を新聞社事業局の展覧会担当として過ごした陶山伊知郎による、美術展の隠し味談義です。

 

 

「イサム・ノグチ ―彫刻から身体・庭へ―」 東京オペラシティ アートギャラリー

2018714日(土)~924日(月)

 

1929年(昭和4年)8月、後に世界的な彫刻家として知られるようになるイサム・ノグチは、シベリア鉄道でユーラシア大陸横断の旅をしている。当時、24歳。ニューヨークからパリに入り、モスクワ経由で北京を目指した。本当は父で詩人の野口米次郎がいる日本に行きたかったのだが、イサムのアメリカ人の母レオニー・ギルモアと別れていた米次郎はつれない反応だったため、仕方なく目的地を中国に変更した。

だが、そこでノグチは書、水墨画の大家の斉白石(せいはくせき: 18641957年)と出会い、伝統に根ざした東洋の筆づかいを学んだ。奔放で力強い墨の線を知ったノグチは、この新しい体験をもとに、「北京ドローイング」と呼ばれる人体の素描シリーズを100点以上手がけた。

描いたのは横たわる男・女、立ち姿の若者など。いずれも身体の細い輪郭に、うねるような墨の太い線が覆いかぶさっている。身体の本来のフォルムをとらえ、東洋的な直感で生命感を吹き込んだかのようだ。

東京オペラシティ  アートギャラリー(東京・初台)で開かれている「イサム・ノグチ  ―彫刻から身体・庭へ―」展は、この北京ドローイングを起点にノグチの歩みをたどるユニークな試みだ。

初期の肖像彫刻、現代舞踊の舞台美術、戦前・戦後の日本訪問を契機に作られた陶作品やテラコッタ(西洋素焼き)、照明器具「あかり」シリーズ、庭園模型、石の彫刻、映像などで構成され、「20世紀の総合芸術家」と評される所以を雄弁に示す。

 

興味深いのは、北京ドローイングが、最初のコーナーだけでなく、「日本との再会」「自然との交感ー石の彫刻」など、後の時代のコーナーにも配されていることである。

 

たとえば原爆をモチーフにした「暑い日」(1950年)の部屋に「座る男」(1930年)が、「道化師のような高麗人参」(1987年)を見下ろす位置に「スタンディング・ヌード・ユース」(1930年)が展示されている。

 

イサム・ノグチ《暑い日》
1950年
陶(瀬戸)、木
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 蔵
撮影:Akira Takahashi

 

イサム・ノグチ《北京ドローイング(座る男)》
1930年
インク、紙
イサム・ノグチ庭園美術館(ニューヨーク)蔵
撮影:Kevin Noble

 

「座る男」の鬱屈する、重々しい墨の線は、身体の断片を串刺しにした「暑い日」の呻(うめ)きにつながり、「スタンディング・ヌード・ユース」の壮健さと縦方向に流れる凛々しさは「道化師のような高麗人参」の垂直的な運動感覚に通じるように見える。この展示は、北京ドローイングを通して得た感性、技術が、その後のノグチの創作活動の根底にあった、とする担当学芸員たちの隠されたメッセージであろう。

ノグチといえば、まず抽象的な彫刻が思い浮かぶ。この展覧会でも国内外から集められた陶や石、ブロンズの彫刻作品が揃っているが、知られざる北京ドローイングという新しい視点を導入したことによって、それらの作品に新鮮な光が差し込んだことを感じる。

ノグチは北京滞在の後、日本経由で31年秋、アメリカに戻った。翌32年、ノグチはニューヨークで北京ドローイングの展覧会を開く。

ノグチはそれまで、抽象彫刻の巨匠・ブランクーシの模倣にすぎないという批評も受けていたが、東洋で得た技術と直感による新たな作品で、そうした批判に応えようとしたのかもしれない。

(読売新聞東京本社事業局専門委員  陶山伊知郎)

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