【亀蔵 meets】スピンオフ「姫路城」―「卑しき地上」と「異世界の美」、「播州皿屋敷」と「天守物語」の舞台を訪ねる

姫路城の天守閣

歌舞伎役者・片岡亀蔵さんが様々なアートの現場を訪れる「亀蔵meets」シリーズ。5月の亀蔵さんは、「平成中村座姫路城公演」に出演中だ。姫路城が世界遺産に登録されて30周年を記念して、同城三の丸広場に仮設劇場を建てて行われているこの歌舞伎公演は、『播州皿屋敷』と『天守物語』、二つの“ご当地狂言”を上演しているのだ。姫路城に伝わる伝説は、どのように物語化されているのか。そこにはどんな背景があるのか。ちょっとだけ探ってみた。

(事業局専門委員 田中聡)

中村座の第一部で上演されている『播州皿屋敷』。右端が、亀蔵さんが演じている忠太だ(左は鉄山役の中村橋之助さん、中央はお菊役の中村虎之介さん)ⓒ松竹

深夜。武家屋敷の井戸から現れる美しき女性にょしょう。震える声で皿を数える。

一枚、にまぁい……九つまで数える。一枚足らない。嘆き悲しむ声が響く――。

「皿屋敷」の怪談は、全国至る所に残っている。武家屋敷で女中奉公をしているお菊が、十枚揃いの家宝の皿を一枚割ってしまう。それをとがめられ、殺されて井戸の中に投げ込まれる。そのお菊の霊が屋敷の人々を呪う、というのが基本パターンだ。その「皿屋敷」怪談を代表するのが、東は「番町」、西は「播州」。播州姫路を舞台にした「皿屋敷」の伝説を基にしているのが、今回、中村座で上演されている『播州皿屋敷』である。

時は室町。細川家の国家老である浅山鉄山は天下を手に入れようとする山名宗全に加担し、自らも若殿・細川巴之助を亡き者にしての御家横領を企んでいた。折しも細川家では、巴之助の家督相続を願い出るため、家宝である唐絵の皿十枚を将軍家に献上することが決まった。皿を守護しているのは、巴之助の家臣、船瀬三平と許婚の腰元・お菊。家中の臣ほとんどを手なづけた鉄山にとって、巴之助の近習、三平は目障りでしかない。さらに、鉄山は以前からお菊に恋慕しており、この献上事にかこつけてお菊への思いを遂げたうえで三平を亡き者にしようと考えたのである。あらかじめ忍びの者に皿の一枚を盗み取らせた鉄山。屋敷にやって来たお菊に言い寄る。拒むお菊。それでは、と皿を数えるように命じる鉄山。もちろん一枚足りない。鉄山は腹心の部下である忠太とともに、お菊を責め殺す……。

亀蔵さんの役どころは、鉄山とともにお菊を責め殺す忠太。実は、大阪・天王寺のあべのハルカス美術館で開催中の「幕末土佐の天才絵師 絵金」展で、この芝居をテーマにした「芝居絵屏風」が5月23日以降に展示される予定だ。「図録を見ると、上演される場面の後、鉄山や忠太がどうなるかまで描き込まれています」と亀蔵さん。中村座で観劇して、姫路城で「お菊の井戸」を観て、それから「絵金展」に行くのも面白いかもしれない。

「播州皿屋敷」の物語の舞台とされる「お菊井戸」

姫路に伝わっている『播州皿屋敷』の「実録」は、この芝居とはちょっと違う。時は室町、は同じだが、城主は小寺則職だ。御家乗っ取りを企んでいたのは御家の執権・青山鉄山で、お菊は鉄山の陰謀を知った小寺家の家臣が送り込んだ間者。それを知った鉄山はお菊に恋慕していた腹心・町坪弾四郎とともに「小寺家家宝の皿紛失」の罪をかぶせて殺したという。

まあ、そういう異同はあるとしても、「播州皿屋敷」を彩るのは、お家にまつわる権謀術数と邪恋。お菊さんは「色」と「欲」の犠牲になったわけである。

その姫路城の「お菊井戸」は意外に開けたところにある。「菱の門」から城内に入って右に折れ、「るの門」、「ぬの門」を抜けたところ。とても見晴らしのいい、さわやかな風が吹く場所だ。なぜ、こんな開けた所に怪談の舞台があるのか。城内で無料配布されている『世界遺産 姫路城 公式ガイドブック』によると、実はホンモノの「お菊井戸」は城の東、現在の県立姫路東高校付近の「桐の馬場」あたりにあったそうで、明治時代末期以降に、この井戸といわれるようになったとか。こうも書いてある。〈登閣した観光客に喜んでもらうため、怪談の故地を城内に移動させたのが端緒で、観光地として生き残ろうとした姫路市の近代史を象徴している〉。どうやら、こちらにも「人の世のしがらみ」が絡んでいるようだ。この「卑しき地上」で懸命に生きる人々の営みの痕跡。物語でも現実世界でも、「播州皿屋敷」を巡るあれこれからは、「業」という言葉がアタマに浮かんでくるのである。

中村座の第2部は『天守物語』の上演。姫路城大天守の最上階が舞台だ(左は図書之助役の中村虎之介さん、右は富姫役の中村七之助さん) ⓒ松竹

中村座、第1部で上演されている『播州皿屋敷』が、「卑しき地上」の物語とするならば、第2部の『天守物語』は妖かしたちが跋扈する「美しき異世界」の物語である。舞台は、姫路城大天守の最上階。そこに住まうのは絶世の美女、富姫。前半はその富姫と、亀姫、朱の盤坊など、異界の住人たちが跋扈する奇怪で幻想的なエピソードの数々が、後半は、主の命令でその「異世界」にやって来た美青年・図書之助と富姫との恋物語が描かれる。亀蔵さんは大天守に逃げ込む図書之助を主の命で討とうとする小田原修理の役である。

もともと姫路城には、様々な怪奇・妖魔の伝説が伝わっている。有名なのは、宮本武蔵の妖怪退治だろうか。

姫路城主・木下家定の家老に妖怪退治を頼まれた武蔵は、夜ひとりで天守に登る。3階、4階の階段あたりに差し掛かると、激しい炎と轟音が武蔵を襲うが、武蔵がひるまず腰の太刀に手を伸ばすと異変はぴたりと止まる。そして最上階、座り込んで妖怪を待つ武蔵。明け方、うつらうつらし始めたころ、美しい姫が現れる。
「私は姫路城の守護神、刑部明神。あなたがここに来てくれたおかげで、妖怪たちは恐れて逃げていきました。褒美にこの剣を与えましょう」
武蔵の前には、白木の箱に入った郷義弘の名刀が残されていた

大天守最上階にある長壁神社。数多くの観光客の姿を見守る

「平成中村座姫路公演」の「筋書」(歌舞伎公演のパンフレットです)の中で、播磨学研究所運営委員兼研究員の埴岡真弓さんは、こう書いている。

〈天守のそびえ立つ姫山は、千三百年前の「播磨風土記」に記された「日女道ひめじ丘」である。この丘には神がおり、その神は女神だったらしい。中世、姫山には「小刑部宮」と「富姫宮」(「姫路古図」)が祀られていた。この二柱が長壁神社の祭神となっているが、主神は男神の刑部大神であるにもかかわらず、姫山は富姫の山として語られてきた〉

今でも大天守の最上階の中央には長壁神社があり、日々、大勢の観光客を迎えている。火災や災害などに霊験あらたかだという。天守に住む刑部姫は年に一度だけ藩主に会う、という伝承もあったようだ。観光客の絶えることのない大天守だが、よく見ると昼なお暗い場所もある。電灯などのなかった江戸時代、夜になれば漆黒の闇に包まれただろう。天守の各階を結ぶ階段は険しく、なかなか先を見通せない。なるほど、各階が「異世界」のように見えても不思議ではない。

天守の各階を結ぶ階段は、意外と険しい

様々な姫路城の伝説を巧みに組み合わせた泉鏡花の『天守物語』。そこでは、「美しき異世界」と「卑しき地上」の論理、価値観の違いがぶつかるさまが、人間と化生の恋物語を通じて描かれている。大天守のお膝元、三の丸広場に建てられた仮設劇場「中村座」の佇まいが、その雰囲気をさらに盛り上げる。夕刻、第二部が終わった後、中村座越しに城を観る。大天守にいるであろう刑部姫は、芝居に興じる地上の人々をどんなふうに眺めるのだろうか。

中村座の公演が終わった夕刻。劇場越しに見える姫路城の姿が美しい
「姫路城世界遺産登録30周年記念 平成中村座姫路城公演」の開催概要
会場:姫路城三の丸広場内 特設劇場
会期:2023年5月27日(土)まで。5月18日は休演。23日の第二部も休演
アクセス:JR/山陽電鉄「姫路駅」から徒歩約15分
第一部(正午開演)「播州皿屋敷」、「鰯賣戀曳網」
第二部(午後4時開演)「棒しばり」、「天守物語」
出演:中村勘九郎、中村七之助、中村橋之助、中村虎之助、片岡亀蔵、中村扇雀ほか
※観覧料などの詳細情報は公式サイト(https://www.ktv.jp/event/nakamuraza/)で確認を
第一部の「鰯賣戀曳網」、姫路城を借景に使ったこんな演出も(左は蛍火役の中村七之助さん、右は鰯賣猿源氏役の中村勘九郎さん)ⓒ松竹