【美術人ナビ】第7回 十和田市現代美術館 百瀬文さんの個展「口を寄せる」6月4日まで 声で伝えたい世界の複雑さ

百瀬文さん(右)と見留さやかさん。中央の作品は百瀬さんの新作《Interpreter》2022年 紙にインクジェットプリント、サイズ可変=青山謙太郎撮影

地域の美術館を応援する「美術人ナビ」。第7回は十和田市現代美術館(青森県)を紹介する。同館では、6月4日(日)までアーティスト・百瀬文さんの個展「口を寄せる」を開催。百瀬さんは、主に映像作品で、コミュニケーション、身体、ジェンダーなどをめぐる問題を追究し、同展では「声」をテーマに取り上げた。どんな思いで展覧会を作り上げたのか。百瀬さんと担当学芸員の見留さやかさんに話を聞いた。

性別は何で判断? 声優の力で可視化

――「口を寄せる」は、百瀬さんにとって初の大規模個展。開催のきっかけは?

<見留> 「引込線2015」という展覧会で百瀬さんの作品を見て以来、ずっと百瀬さんに興味があって、早く当館で紹介したいと思っていました。2020年、コレクション作家以外の展覧会を初めて担当することになり、お声がけしました。

<百瀬> 私が扱うテーマは、ジェンダーなど社会のなかで見えづらい問題です。これまで、主に首都圏で作品を発表しましたが、そういった問題で抑圧されている人はさまざまな地域にいるはず。有意義な機会にできればと思いました。

百瀬文さん

<見留> 約3年間、百瀬さんと一緒にテーマや展示作品を考えていきました。学芸員としては「青森をテーマにした展示を」という思いはなくて、むしろ百瀬さんの今までの関心にもとづいた展覧会をつくることを重視しました。

見留さやかさん

――これまでにも声に関連する作品を制作していますが、今展はその集大成?

<百瀬> 自分の中に関心の柱が複数立っていて、それらを順番に回りながら作品を作っています。まるで、らせん状に山を登っていくみたいに。そうやって展開してきた過去の作品に、今、私が関心を抱いているジェンダーという視点を加えると、制作当時と異なる見方ができるのではと思ったんです。

実際、留守番電話を題材とした「Here」(※1)は、東日本大震災をきっかけに作りましたが、見留さんが書いた作品解説を読むうちに、まさにジェンダーの問題にもつながることに気づきました。

※1 美術館の壁に、ある電話番号を掲示。その番号に電話をかけると作品を体験できる。見留さんはこの作品から、受付や電話交換手の役割を女性が担ってきたことを連想した。

――今展のために、新作「声優のためのエチュード」(※2)も制作しました。

<百瀬> ある研究によると、ジェンダーの平等が実現していない国ほど女性の声が高くなるそうです。また日本のアニメでは、主に女性声優が少年キャラクターの声を演じてきました。声は、生まれつきのものである一方で、社会的な要因によって事後的に作られていくものでもあるのではないか。何をもって、声から性別を判断するのか。「声で性別を演じ分けること」を仕事にしている女性声優の力を借りて、可視化したいと思いました。

<見留> 最初は物語性のある作品を考えていましたが、二転三転して、女性声優が特定のセリフを繰り返すという形に行き着きました。要素をそぎ落とした結果、声そのものの本質と向き合える作品になりました。

百瀬文《声優のためのエチュード》2022年 撮影:瀬尾憲司

※2 薄暗い空間で、「これは私/僕の声です」「これは私/僕の声ではない」という声が繰り返される。声を演じるのはひとりの女性声優だが、姿は見えない。映像から切り離され、少年から成人女性までグラデーションのように変化していく声は、性別を超えた流動的な存在でもあり、性別を演じているようでもある。

――建築など美術館の特色から得た着想はありますか?

<百瀬> 一方通行ではなく、Uターンできる動線をいかして、「経験を反復する」という要素を展覧会に取り入れてみました。最初の展示室で「声優のためのエチュード」を見た後に、他の作品を見て、最後に「声優のためのエチュード」に戻ると、感じ方が変わるかもしれません。同じ作品で異なる経験を実現できるのが面白いですね。

――地元の方にとってどんな展覧会になってほしいですか。

<見留> 観光客だけではなく、地域の人々に必要な展覧会は何かを考えることも大切だと思っていて、その一つとして百瀬さんの展覧会を開催しました。百瀬さんの作品には、複数の視点が整理されずに映し出されています。そして、その視点は鑑賞者の日常にひそむ問題にもつながっていきます。この展覧会が視野を広げるきっかけになると嬉しいです。

<百瀬> 芸術の良さとは、いろんな矛盾が同時に存在できることです。私がつくりたいのは、「宙づり」の状態。「声優のためのエチュード」も、声の主が男性か女性か、キャラクターか声優か、一概に判断できません。判断の手前でモヤモヤするうちに、隠された規範意識に気づくかもしれない。曖昧な状態に耐えることが難しい時代だからこそ、この展覧会で世界の複雑さを感じ取っていただけたらと思います。

(聞き手・美術展ナビ編集班 美間実沙)

◇みとめ・さやか 1986年、東京都生まれ。2016年より十和田市現代美術館の学芸員。「口を寄せる」や6月24日開幕の企画展「劉建華リュウジェンホァ 中空を注ぐ」を担当。

ももせ・あや 1988年、東京都生まれ。2013年、武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了。6月29日からドイツ2都市で開催される「世界演劇祭/テアター・デア・ヴェルト」に参加予定。

まち全体が美術館に 鷲田めるろ館長

鷲田めるろ館長 撮影:小山田邦哉

十和田市現代美術館では、見る人が体感できるような大掛かりな常設作品を多く展示しています。また、作品が美術館の建物の中だけではなく、まちなかにも点在し、まち全体が美術館のようになっています。

十和田市現代美術館 手前の作品はチェ・ジョンファ《フラワー・ホース》

今年度は開館して15年目となりますが、2021年には、初の常設作品の入れ替えと展示室の増設を行い、塩田千春、レアンドロ・エルリッヒの作品を新たに収蔵しました。
当館のほか、青森県立美術館、八戸市美術館など、青森県内にある5館で連携したプロジェクトを行っており、2024年には合同で展覧会を開催します。

レアンドロ・エルリッヒ《建物―ブエノスアイレス》

現代美術 十和田から

同館は、十和田市のまちづくりの一環である「Arts Towada」計画の中核施設として、2008年に開館。中心市街地にある官庁街通り全体を美術館に見立て、多様な現代アート作品を展開している。

オノ・ヨーコ、奈良美智、ロン・ミュエクなど国内外のアーティストの作品を紹介。そのほか、「まちなか常設展示」として、草間彌生《愛はとこしえ十和田でうたう》をはじめとする作品を美術館向かいの広場や中央商店街にも展示している。

草間彌生《愛はとこしえ十和田でうたう》。美術館向かいの広場に展示 ©YAYOI KUSAMA

「現代美術を十和田から発信すること」を目的に、企画展を年に2回開催する。そのうち1回はコレクション作家の近年の作品などを紹介。もう1回は中堅作家に焦点をあてる。

ロン・ミュエク《スタンディング・ウーマン》

次回の企画展

劉建華リュウジェンホァ 中空を注ぐ」が6月24日に開幕する。
劉建華は、上海を拠点に活動している芸術家で、中国における経済や社会の変化や、それに伴う問題をテーマに、土や石、ガラス、陶磁器などを使って立体作品やインスタレーションを制作。本展では、ペットボトルや靴などの日用品を磁器で制作した《遺棄》、同館の常設作品《痕跡》の造形ともつながる浮遊する枕《儚(はかな)い日常》など、劉の初期から近年までの作品を紹介する。
繊細でもろい陶磁器で作られた作品は、空虚さに満ちた現代を物語る。

《遺棄》2001年-2015年、磁器、サイズ可変 ©Liujianhua Studio


◇過去の「美術人ナビ」の記事は↓こちらで読めます。平塚市美術館、富山県美術館、新潟県立近代美術館、愛媛県美術館、京都市京セラ美術館、広島市現代美術館を取り上げています。

(※)美術館連絡協議会

1982年、全国の公立美術館が連携を図り、芸術、文化の向上および発展に資することを目的に設立された。読売新聞社などの呼びかけに賛同した35館で発足、現在は47都道府県の149館が加盟している。
創立40周年の節目を迎えるにあたり、2022年4月に前文化庁長官の宮田亮平氏を会長に迎えた。今後も美術館の発展を通じて、広く市民が芸術に親しむことができるよう、様々な取り組みを進める方針。

美術館連絡協議会のホームページ(https://birenkyo.jp/

(この記事は、2023年4月28日の読売新聞朝刊に掲載された「美術人ナビ」の記事をリライトしたものです)