【開幕】「四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎」京都文化博物館で6月25日まで

四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎
会場:京都文化博物館
会期:2023年4月22日(土)~6月25日(日)
※会期中、一部展示替えをおこないます。
開室時間:10:00~18:00(金曜日~19:30)※入場は閉室30分前まで
休館日:月曜日 ※5月1日は臨時開館
入館料:一般1,600円、大高生1,000円、中小生500円
美術展ナビチケットアプリでも販売
詳しくは、公式サイト

安土桃山・江戸前期の大名で茶人、織田信長の実弟である織田おだ有楽斎うらくさい〈天文16年(1547)~元和7年(1622)〉。武人として信長、秀吉、家康の三人の天下人に仕えて戦乱の世を生き延びる一方、独自の茶風を展開し、茶道有楽流の祖としても知られています。

有楽斎の四百年遠忌にあたる今年、京都文化博物館にて4月22日から6月25日まで、特別展「大名茶人 織田有楽斎」 が開催されています。2024年1月31日からは東京のサントリー美術館へも巡回します。

古澗慈稽賛・狩野山楽筆 織田有楽斎像 正伝永源院蔵 【4/22~5/21展示】

有楽斎うらくさいこと織田長益ながますは、天文16年(1547)に織田信秀の子、信長の弟として生まれました。信長、秀吉、家康のもと、武将として活躍し、晩年には京都・建仁寺の塔頭である正伝院しょうでんいんを再興、隠棲します。75年の生涯を終えるまで、この寺で、茶道三昧の生活を送りました。
正伝院内に建てた茶室「如庵」は国宝に指定され、各地に如庵の写しが建てられました。近代化の中で寺名を改めつつ、正伝永源院には現在も有楽斎ゆかりの文化財が数多く伝来しています。

本展は、四百年遠忌にあたり、正伝永源院に伝わる文化財を再度調査し得られた知見をもとに、文化人として名高い一方で、武士としては「逃げた男」と否定的なイメージが付きまとう織田有楽斎(長益)の人物像を5章構成で今一度捉え直す内容です。

本展の見どころ

本展には、大きく3つの見どころがあります。

1、有楽斎ゆかりの刀剣や茶道具の名品も

大井戸茶碗 有楽井戸 東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives

国宝「短刀 無銘 貞宗(名物 寺沢貞宗)」(5月23日~6月25日まで展示) (第1章)のほか、寂びの茶碗の代表格として有名な大井戸茶碗のうち、五指に入る定評が与えられている「大井戸茶碗 有楽井戸」、「三島筒茶碗 銘 藤袴」(ともに第3章)など、有楽斎ゆかりの刀や茶道具の名品がそろいます。

2、狩野山楽と正伝永源院

狩野山楽筆 蓮鷺図襖(部分)  正伝永源院蔵 【全図は、4月22日~5月21日展示】

安土桃山時代を代表する画家・狩野永徳の有力な門人で、京狩野初代・狩野山楽(1559〜1635年)による「織田有楽斎像」や「鍾馗図しょうきず」、「蓮鷺図襖れんろずふすま」(第4章)のほか、安土桃山の美を感じられる作品が並びます。

3、旧正伝院書院の障壁画を一堂に展示

長谷川等伯 旧正伝院書院障壁画のうち山水図 名古屋鉄道株式会社蔵【5/23~6/25展示】

長谷川等伯筆「旧正伝院書院障壁画のうち山水図」のほか、織田有楽斎が再興した正伝院の書院を飾っていた障壁画が一堂に揃います。

武将としての姿、茶人・文化人としての姿

織田有楽斎こと長益は、本能寺の変で脱出し生き延びたことから、江戸時代の歴史書で“逃げた男”と評価を下すものがあります。果たして、その実像はいかなるものなのか。第1章では、歴史資料を通して、武将・長益の真の姿に迫ります。

そして、第2章では、有楽斎が遺した書状を中心にその交友関係から、茶人や文化人として活躍した彼の姿を紹介します。

数寄者としての有楽斎

青磁輪花茶碗 銘 鎹 マスプロ美術館蔵

茶の湯を介して大名や町衆との交わりを深め、当時の茶の湯に重要な役割を果たすようになっていった有楽斎。正伝院に茶室「如庵」を造営し、茶の湯三昧の日々を送り、多くの茶道具を有したと伝わります。第3章では、かつて有楽斎が所持、あるいは好んだと伝わる現代に残る茶道具の名品を通じ、彼の美意識を紹介します。

正伝永源院の寺宝とこれから、「鳴かぬなら 生きよそのまま ホトトギス」

富岡鉄斎 如庵図 正伝永源院蔵

有楽斎の菩提寺「正伝院」と大名の細川家の菩提寺「永源庵」の2つの由緒を持つ京の禅寺・建仁寺の塔頭のひとつ正伝永源院。
寺内には、狩野山楽の襖絵や貴重な絵画、墨蹟類などが残っており、桃山時代にさかのぼる寺宝が現在も脈々と継承されています。正伝永源院の寺宝を中心に有楽斎没後の歴史をたどります。

扁額「如庵」  正伝永源院蔵

そして、有楽斎が茶道の師として敬愛した武野紹鴎の供養塔を設置した時の動画などから、正伝永源院の「いま」の姿、現代に伝わる茶風から、改めて有楽斎のひととなりを見つめ直します。

織田有楽斎四百年遠忌実行委員会が作成した句「鳴かぬなら 生きよそのまま ホトトギス」からもうかがえるように、戦国の世に生を受け、織田家の血筋として時の政治に利用されながらも、武将として、文化人として生き抜き、新たな文化創造をなした人物であったことが分かります。

織田頼長筆 波に卯図 正伝永源院蔵