「心の余裕」が生んだ「大人の文化」――東京ステーションギャラリーで「大阪の日本画」展

北野恒富《いとさんこいさん》1936年、京都市美術館(展示期間:4/15~5/14)

大阪の日本画
会場:東京ステーションギャラリー(東京都千代田区丸の内1-9-1)
会期:2023年4月15日(土)~6月11日(日)
休館日:月曜休館、ただし5月1日と6月5日は開館
アクセス:JR東京駅丸の内北口改札前
入館料:一般1400円、高校・大学生1200円、中学生以下無料
※障がい者手帳等持参の方は100円引き(介添者1名は無料)
※会期中、展示替えあり
※詳細情報はウエブサイト(https://www.ejrcf.or.jp/gallery)で確認を。

これですよ、これ。大阪の風情と言えば、これですよ。

そんなことを言いたくなってしまう作品が、北野恒富の《いとさんこいさん》だ。商家のお嬢さんらしい女の子がふたり、床几でくつろいでいる。奔放そうな白い着物の娘と内気そうな黒い着物の娘。まるで谷崎潤一郎の『細雪』の一場面のようだ。

東京ステーションギャラリーの今回の展覧会、テーマは「大阪の日本画」だ。戦前、大阪の経済力は東京を凌駕しており、1920年代から30年代にかけては「大大阪」とまで呼ばれた。富のあるところに美は集まる。その商都を彩った絵画、約150点が展示されている。

展示風景(4月14日のプレス内覧会で)

江戸・東京の美意識の中心にあるのが「粋(いき)」の精神であるとすれば、上方のそれは「粋(すい)」。江戸の「粋(いき)」では、世間の風潮に流されることなく自分の信じるところを貫きとおす「意地」や「張り」が称賛される。対して上方の「粋(すい)」は人と人との関係を重んじる「情」が底流にある。だから、「江戸の美」はざっくりと力強く、「上方の美」はしっとりとつややかだ。そして上方の中でも、大阪は「商都」らしい現実主義が根底にある。「しっとり」と「つややか」な中にも「現実」をしっかり見つめる目がある――。吉岡美枝の描く女性、菅楯彦が描く四つ橋の風景、それらを見ていると、江戸の風俗画とはまた違った、ちょっとウェットな感じが伝わってくる。

展示されている吉岡美枝《店頭の初夏》(1939年、大阪中之島美術館、展示期間:4/15~5/14)
菅楯彦《阪都四つ橋》 1946年 鳥取県立博物館

展覧会は6章に分けられている。「ひとを描く」を第1章として、「文化を描く」、「新たなる山水を描く」、「文人画」、「船場派」、「新しい表現の探求と女性画家の飛躍」まで。上に挙げた北野恒富や菅楯彦をはじめ、矢野橋村、島成園、中村貞以らの作品が紹介される。21世紀の今、当時の大阪画壇にはあまり注目が集まっていないのだが、世界でも有数の大都市「大大阪」で活躍した面々だけに、改めてじっくり見ると、魅力的な作品が多い。

中村貞以《失題》 1921年 大阪中之島美術館
中村貞以《お玉》 1922年 滋賀県立美術館(展示期間:4/15~5/14)

上に挙げた2作品は、大阪を代表する画家のひとり、中村貞以(1900~82)が若い頃に描いたもの。大阪・船場の鼻緒問屋で生まれた貞以は、幼いころに負った大やけどの影響で手が不自由になったため、絵筆を両手で拝むように挟んで絵を描いていたという。浮世絵師の長谷川貞信(二代)に入門した後、北野恒富に師事。美人画を得意とした北野の弟子らしく、貞以も女性を描くのを得意とした、のだそうだ。

脇息にもたれかかる女性に何ともいえない愛嬌のある《失題》、胡弓を弾く姿に退廃的な妖しさがある《お玉》、どちらの女性も決して「美人」ではないが、何ともインパクトのある表情だ。二次元の画像では分かりにくいが、《失題》は浮世絵でいう「きめ出し」のような技法で着物の所々を立体的に見せている。こういう「個性的な」絵を描くかと思うと、楚々とした美人、しっとりとした色気の漂う女性を題材にした「正統的な」絵も多い。守備範囲が広い、そして様々な技がさりげなく使えるのである。ちなみに「お玉」は、江戸時代に伊勢にいた大道芸人だそうだ。

河邊青蘭《武陵桃源図》 1908年 大阪中之島美術館
展示されている矢野橋村の《柳蔭書堂図》(1919年、愛媛県美術館、展示期間:4/15~5/14)

大阪の人々は中国の古典に造詣が深かったようだ。その「すっきり」と「洗練された」表現が、船場の旦那衆の嗜好に合ったのだろうか。女性画家も多く活躍したようで、今回の展覧会にも橋本青江や河邊青蘭といった作家の作品が展示されている。《武陵桃源図》は、青蘭の作品だが、ち密で丁寧な描写と柔和な雰囲気が印象的だ。中国好みの文化の延長線上で「新南画」の代表的な作家が、矢野橋村。スケール雄大でダイナミックな作風である。《柳蔭書堂図》では、「橋村迂斐(きょうそんうそう)」という雅号を使っているが、「橋村(きょうそん)」の音が「今日損」に通じるといわれ、「今日損するのはウソ」という意味で記したのだという。いかにも「大阪の画人」らしいユーモアのセンス。

平井直水《梅花孔雀図》 1904年 大阪中之島美術館

船場の旦那衆はまた、自宅の床の間を地元・大阪の画家たちによる絵で飾った。「船場派」の章では、そういう作品を描いた作家たちが紹介されている。花鳥や虎などの動物、街の風景などが、ち密かつ丁寧に描かれた、すっきりとして品のいい作品が多いのが特徴だ。上に挙げたのは、平井直水による《梅花孔雀図》。セントルイス万博に出品されて銀メダルを獲得した。

<このような船場派の作品は、家の床の間に掛けることで、はじめてその魅力が分ってくるであろう>

展覧会の「図録」で、大阪中之島美術館の主任学芸員・林野雅人氏は書く。

それは<天井が高く、広い展覧会場で目立つことを目的に描かれた>ものではなく、<静かで品よくずっと見続けられる絵画>であるとも記す。

個人の意見で恐縮だが、「大阪の日本画」の本領はそういうところにあるのではないだろうか。展覧会で賞を取るような「権威」を求めるのではなく、「日常」に寄り添うこと目的とした絵。そしてそういう絵からは、ざっくりと力強い江戸、風雅で華やかな京都とはまた違う、さっぱりとして少しだけ憂いがある「大阪特有の空気」が漂ってくる。大阪・船場。そこには、大都会に住む人々の「心の余裕」が生んだ「大人の文化」があった、と思うのである。

(事業局専門委員 田中聡)

展示風景(4月14日のプレス内覧会で)