【プレビュー】「没後200年 江⼾の知の巨星 ⼤⽥南畝の世界」たばこと塩の博物館で4⽉29⽇から

没後200年 江⼾の知の巨星 ⼤⽥南畝の世界 |
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会場:たばこと塩の博物館(東京都墨田区横川1-16-3) |
会期::2023年4⽉29⽇(⼟・祝)〜6⽉25⽇(⽇) 前期:4⽉29⽇〜5⽉28⽇/ 後期:5⽉30⽇〜6⽉25⽇ |
休館日:⽉曜⽇ |
開館時間:午前10時〜午後5時(⼊館は午後4時30分まで) |
アクセス:とうきょうスカイツリー駅から徒歩10分 |
入館料:⼤⼈・⼤学⽣:100円/ 満65歳以上の⽅(要証明書):50円/⼩・中・⾼校⽣:50円 |
詳しくは(https://www.tabashio.jp)へ。 |
狂歌の名⼈「蜀⼭⼈」こと⼤⽥南畝(1749〜1823年)の没後200年を記念する展覧会がたばこと塩の博物館で4⽉29⽇から6⽉25⽇まで開催されます。江戸の出版界の中心人物であった南畝の多岐にわたる偉大な業績を、⾃筆の書物、版本や⾁筆画、版画など約180点で紹介します。筆まめな南畝の大量かつ詳細な記録は、現代の私たちが江戸時代を知る上で欠かせない資料となっています。
第一章 南畝の文芸
幼少時から神童と目されていた南畝。漢詩をはじめとし、その名を世にとどろかせた狂詩、盟友らとともに江戸に大流行をもたらした狂歌、さらには戯作など、ことばを自在に操る天賦の才に恵まれた人物でした。
この章では、江戸の風俗や流行が描き出された南畝の出世作、『寝惚先生文集』をはじめ、南畝が手がけた諸ジャンルの作品を紹介します。

「寝惚」は生涯にわたる呼称となり、寝惚先生の名にちなんでか、寝てばかりの南畝の姿が肖像画として描かれるようになります。

第二章 情報編集者としての貌
南畝は、耳目に留まった書物についての記載や見聞、伝承などを記録しました。南畝の随筆として最も有名な『一話一言』をはじめ、南畝の随筆を通じて、多くの情報の編集者としての一面を紹介します。

第三章 典籍を記録・保存する
コピー機や写真がない時代、南畝は書物を借りては気づいたことを記入しつつ自ら写し取り、蔵書に加えていきました。記録したのは書物にとどまらず、狂歌会や芝居関係のチラシ類、身近にあった紙片さえ、貼込帖という形で残しました。

第四章 歴史・地理を考証する
伝統的な事物から、庶民の風俗・習慣の歴史まで幅広い探究心を持っていた南畝。特に江戸の地理や、遊里を含む風俗・文化の成り立ちに強い関心を寄せていました。山東京伝ら仲間とともにまとめた奇物・珍物集や地誌などを紹介します。

第五章 公務に勤しむ
南畝は武士でもありました。低い⾝分の御家人ながらも、豊富な知識と能⼒によって、46歳で幕府の文官に抜擢されました。
幕府の書物蔵で勘定所の帳面を整理することになった南畝は、帳面整理という公務の合間に、勘定所の古い記録も写しました。

第六章 同時代の証言者として
南畝は自らが目撃したことや体験したこと、さらには古い記録の筆写など、形式を問わず多くの記録を残しました。現代の私たちが江戸時代の風俗や流行、事件などに触れる際、その情報源が南畝の記録によることも少なくありません。
『沿海異聞』では、日本沿岸に現れた、または漂着した異国船や異国人、あるいは海外に漂流して帰国できた日本人などについて、その顛末が書き留められています。

第七章 雅俗の交遊圏
江⼾の出版界の中⼼⼈物であった南畝の交友関係は幅広く、狂歌仲間はもちろん、戯作者の山東京伝、葛飾北斎や鳥文斎栄之に代表される浮世絵師、さらには歌舞伎役者まで、当時の文化界を代表する面々と交流を持ちました。
北斎が描いた富嶽に南畝が賛を寄せた扇面など、南畝の交流の広さを伺い知ることができる資料が紹介されます。

南畝とたばこ屋
「たばこと塩の博物館」ならではの視点として、知友でたばこ屋でもあった平秩東作と蘭奢亭薫について、南畝との交友を示す資料が紹介されます。
南畝の⽣涯の節⽬ごとに、彼を⽀えた二人の紹介も交え、”江⼾の知の巨星”大田南畝の姿を⾒つめます。

北尾政演(戯作者の山東京伝の絵師としての名)による挿絵で、すでに晩年に差し掛かっていた東作の姿が描かれている

北斎が絵を手がけた初春の摺物。薫は「蘭奢亭香保留」として、春興の狂歌を添えている
(読売新聞デジタルコンテンツ部美術展ナビ編集班)