【探訪】「画家 岸田劉生の軌跡」笠間日動美術館で4月23日まで 岸田劉生の波乱万丈な人生をたどる

《麗子十六歳の像》1929年 油彩・キャンバス 笠間日動美術館蔵

大正から昭和にかけて活躍し、その鬼才ぶりと破天荒なふるまいでも知られる洋画家・岸田劉生(1891~1921年)。愛娘をモデルにした連作「麗子像」といえば、画風が思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか。

劉生は、17歳で黒田清輝から油彩画を学び始めてから、わずか2年ほどで文展で入選するなど頭角をあらわし、なんと24歳にして、後に重要文化財に指定される《道路と土手と塀(切通之写生)》を描きました。さぞや輝かしい人生だったのだろうと思いきや、関東大震災をきっかけに生活をガラリと変え、38歳で急逝します。

彼の初期から最晩年にいたるまでの作品170点を所蔵する笠間日動美術館が、その全てを展示する展覧会「画家 岸田劉生の軌跡」が4月23日まで開催中です。岸田劉生の波乱万丈な人生を、本展に展示されている作品を軸に、同館館長・長谷川徳七さんによる特別講演会の内容と合わせて紹介します。

順調にスタートした画業

《自画像》1913年 油彩、キャンバス 笠間日動美術館蔵

劉生は1891年、目薬「精錡水せっきすい」を販売する実業家・岸田吟香ぎんこうの四男として東京銀座に生まれました。「精錡水」を全国展開するなど事業は大成功していたため、家はとても裕福だったそうです。

目薬「精錡水」 展示風景より

長谷川館長は次のように説明していました。

「『メルサ銀座2丁目店』があったあたりに店と家を構え、当時としてはかなりハイカラな生活を送っていました。そのような中、劉生はわがままいっぱいに育てられたので、癇癪持ちだったり傲慢だったりするところがあったようです。ところが14歳の時に父親と母親を亡くしたことで生活が一変します。何かに救いを求めたいという気持ちがあったからか、15歳でキリスト教を信仰します。教会では洋画に触れる機会が多く、16歳から絵を描くようになりました」

ほどなくして白馬会の洋画研究所で黒田清輝に外光派の画風を学び、文芸雑誌『白樺』を読み、ルノワールやゴッホ、セザンヌ、さらにはデューラーなどさまざまな人物から影響を受けます。

《築地居留地》1913年 油彩・ボード 笠間日動美術館蔵

22才で描いたのが、《築地居留地》。赤と緑の絶妙な色使いと家の立体感、自然な奥行きも心地よく、家に飾りたくなります。
長谷川館長によると、「劉生の絵は20代前半から現在の価値にして50~100万円もの値がついてよく売れました。彼の絵に惚れ込む人も多く、弟子もたくさんつきました」とのこと。

《裸体習作》1913年、油彩・キャンバス 笠間日動美術館蔵

勢いに乗っていた1913年に小林しげると結婚。その年に描かれた《裸体習作》に、心を打たれました。麗子を身ごもった新妻の裸のトルソーで、膨らんだお腹を丹念に時間をかけて油絵の具で塗り重ねています。中にいる子供のことを愛おしく思い、これから新しい命を生み出そうとする母体の力強さをリスペクトしながら全力で描いたように感じられます。

《画家の家族》1914年 笠間日動美術館蔵

そして、麗子が誕生したときに描かれた記念的な作品が《画家の家族》です。もともと牧師を志すほど信仰心の強かった劉生が、人生の転機を迎えて味わった宗教的な高揚感がうかがえると作品解説に書かれています。早くに父母を失くしたからこそ家族や命の大切さを実感し、真摯に表現したのではと感じました。

「麗子像」など新境地を拓く

幸せな家庭を築き始めた劉生は、絵画でも新しいフェーズを意欲的に切り開いていきました。そして24歳の頃、後に重要文化財に指定されることになる《道路と土手と塀(切り通しの写生)》(※1)を完成させます。

展示風景より、岸田劉生《道路と土手と堀(切通之写生)》(1915)東京国立近代美術館 展示:東京国立近代美術館70周年記念展「重要文化財の秘密」にて

※1 東京国立近代美術館70周年記念展「重要文化財の秘密」(5月14日まで)で展示

この作品は『月刊文化財』92号で「(前略)外光派・印象派的な作風から脱し、北欧ルネサンスの画風を追求して独自の細密な写実主義と精神表現による画境にいたったことを示す記念すべき傑作である」(図録「重要文化財の秘密」230ページから引用)と絶賛されています。

公私共に充実して、飛ぶ鳥を落とす勢いの劉生の姿が目に浮かびます。

そして、かの有名な連作「麗子像」のうち、最初期に描いたのがこの作品です。当時、麗子は5歳。

《麗子の像》1918年 木炭・コンテ・紙 笠間日動美術館蔵

「麗子像」と聞いて思い浮かぶ、あのおかっぱ頭でデフォルメされた、かわいいような、ちょっと怖いような風貌とは違いますね。ふっくらとして色つやの良い麗子が、木炭で丹念に描かれています。

さらに、麗子8歳のときに描いたのが《麗子微笑》(※2)。後に重要文化財に指定される作品です。

岸田劉生《麗子微笑》 重要文化財 1921(大正10)年 東京国立博物館蔵 展示期間:東京国立近代美術館70周年記念展「重要文化財の秘密」にて2023年4月4日~5月14日 Image:TNM Image Archives

※2 東京国立近代美術館70周年記念展「重要文化財の秘密」(5月14日まで)で展示

あのおかっぱ頭の彼女です。顔が横長に引き延ばされて、目も口もニタッとしているところがちょっと怖いのですが、子ども独特の質量感と純粋さが内側からにじみ出ていて、美しさも感じます。

この作品が完成した日の劉生の日記には「明月が照つてうつくしい。麗子にお月さまに、学校や字が上手になつていい子になつて丈夫になつてお化けの出ません様にと御おがみといつたら手を合はせておがんだ。可愛い奴だ」と書かれているそうです。(図録「重要文化財の秘密」231ページから引用)

父親としての愛情もたっぷり込めたからこそ、名作が誕生したのでしょう。劉生のユニークさは、愛娘を描くことで、自身の美をとことん追求しているところにあると思います。「麗子像」をとおして、写実的な作風から、「写実の欠如の美」、そして宗元画や肉筆浮世絵の影響を受けた「卑近美」「グロテスクな美」へと、次々と新境地を切り開いていく様子が見て取れるのです。

関東大震災を機に生活が激変

ところが、1923年に関東大震災が勃発。当時住んでいた鵠沼の家が半壊したため、劉生は京都に移り住みます。単身で京都に滞在していた彼は、宋元画や初期肉筆浮世絵の収集に熱中すると同時に、茶屋遊びを始めます。

「京都滞在は約2年間でしたが、酒と女に溺れる生活で、友人も離れてしまうほどでした。この期間は、日本画をさかんに描く反面、油彩画はたった1点しか描いていません。1つには、京都にある東洋の美を描くのに、油絵の具が不向きだったということがあると思いますが、もう1つには、早く乾く日本画を沢山描くことで、茶屋遊びや、骨董品購入の資金を捻出したということもあるのでは……と私は想像しております。1000点近く描いた日本画の中には、名作も多く、例えばこの《猫図》は一目惚れして、気に入っていた犬の絵を泣く泣く手放して購入しました」(長谷川館長)

《猫図》1926年 紙本彩色 笠間日動美術館蔵

茶屋遊びの激しさが増すばかりの生活を変えるために、劉生は35歳で転居します。しかし、今までの素行からしてあまり歓迎されなかったとのこと。最晩年の1929年に、再起をかけて満州を訪れましたが、再び酒浸りとなったうえに絵も売れなかったそうです。そのような年に描いたのが《劉生自像》です。

《劉生自像》1929年 紙本彩色 笠間日動美術館蔵

自らを中年太りのおじさんに仕立て、胸の辺りがだらしなくはだけています。顔は赤くなっていますが。眼鏡の奥にある目は真剣です。何やらおちょこを鑑賞している様子。輪郭がぼやけて色がにじみ出ているあたりは、画家の酩酊状態を表現しているようにも見えます。

そしてこの年の12月、山口県の田島一郎の別邸で劉生は急逝します。後半生は放蕩生活にふけってしまった劉生ですが、先ほどの《劉生自像》と同じく、亡くなった年に描かれた名品があります。

それが《麗子十六歳の像》。お正月に久しぶりに会った麗子のポートレイトです。

《麗子十六歳の像》1929年 油彩・キャンバス 笠間日動美術館蔵

「ずっと会っていなかった麗子が以前と全然違う雰囲気になっていたことに衝撃を受けて描いたのでしょう。初めて日本髪を結った晴れ着姿の彼女を、鮮やかな色彩で写実的に描いています。5歳から16歳まで描き続けた麗子像の最後の一点で、傑作といえます」(長谷川館長)

最初期の「麗子像」の頃から変わらない麗子への愛情を感じさせてくれる作品です。

33歳で始めた茶屋遊びからその死まで、放蕩生活が続いた劉生。今ここにある幸せを「当たり前」としてしまい、何か非凡なものをつかまえようと夢中になっていたのかもしれません。
彼の波乱万丈な人生から、改めて幸せとは何かについても考えさせられました。

(ライター・菊池麻衣子)

画家 岸田劉生の軌跡
会期:2023年3月4日(土)~4月23日(日)
会場:笠間日動美術館(茨城県笠間市笠間978-4)
開館時間:午前9時30分より午後5時(入館受付は午後4時30分まで)
観覧料:大人1000円、65歳以上800円、大学・高校生700円、中学生500円、小学生以下は無料
休館日:月曜日
アクセス:●JR常磐線友部駅よりバスまたはタクシー約15分、または笠間市内観光周遊バスで約20分
●JR水戸線笠間駅より徒歩約25分または市内循環バス「日動美術館入口」下車 徒歩3分
など
詳しくは同館の展覧会HPへ。
お問い合わせ先 笠間日動美術館 TEL:0296-72-2160

長谷川徳七さんのプロフィール
株式会社日動画廊代表取締役社長。昭和14年、東京都に生まれる。昭和39年、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、住友銀行東京支店に入行。昭和40年、退行、同年日動画廊に入社。創業者で実父である長谷川仁の跡を継ぎ、昭和51年、代表取締役社長に就任。全国洋画商連盟会長、全国美術商連合会会長を歴任する。昭和54年にオフィシェ芸術文化勲章を、平成10年にはコマンドール芸術文化勲章をフランス政府より受賞。