【街のアート】「鳥獣戯画」の動物たちが、富山県高岡市の<過去・現在・未来>を駆け抜ける

「鳥獣戯画」に描かれた動物たちがブロンズ像となって、富山県高岡市の街中を駆けているパブリックアートがあるという話を聞いて、現地に向かってみました。

JR高岡駅北口から、高岡大仏方面に向かって約8分歩いたところにある「えんじゅ通り」沿いの小公園「御旅屋町ポケットパーク」に、その《伝えの扉》という作品はありました。


高岡市都市創造部景観みどり課によると、この作品は同市の「過去・現在・未来」をキーワードに、「鳥獣戯画」から抜け出した動物たちが、<過去>から受け継いだメッセージを携え、高岡の<未来>へ向かって跳びあがる様子をイメージしているそうです。真ん中にある高さ3.6㍍、幅1.8㍍の扉は、少し開くことで無限の可能性を象徴していると言います。
「鳥獣戯画」が選ばれたのは、日本が世界に誇る漫画やアニメのルーツとも言われる国宝の絵巻物で、文字を使わなくても見る人の創造力をかきたてるため、パブリックアートとふさわしかったからです。

それでは、作品を<過去>の方から見ていきましょう。<現在>に向かって、ウサギとカエルが1本の棒を担いで、ネズミが乗った釜を運んでいます。釜の中にはいくつものメッセージが詰まっていますが、ウサギのスピードに少しバテたような顔のカエルの足元には、幾つかこぼれてしまっています。

<現在>を表す扉の前では、ウサギが扇を高く掲げて、開いている扉の方向を示しているようです。

その扉の上にはサルが腰掛け、望遠鏡を覗いています。きっと明るい<未来>が見えていることでしょう。

そして、最後の<未来>では、金色のウサギが階段を駆け上がり、今にも大きく跳びはねようとしています。明るい未来を感じさせる作品ですね。
同市は昭和50(1975)年代から「彫刻のあるまちづくり」などを進めてきました。これを発展させて、市は「パブリックアートたかおか構想」を策定し、2002年に構想を推進する「高岡市パブリックアートまちづくり市民会議」から提案で《伝えの扉》は作られました。現在、市内には約70の銅像、彫刻などのパブリックアートが存在し、散策マップも作られています。

《伝えの扉》から数分歩くと、高岡大仏があります。「奈良」、「鎌倉」と並んで、日本三大仏に数えられているそうです(異説もあり)。初代は延享2(1745)年に約9.7㍍の木造で建立されたものの、2度の焼失を経て、現在の約16㍍の銅製は1933年に完成しています。
なぜこれほど銅像などが多いのでしょうか? 実は高岡市の銅像や銅製品の制作シェアは日本全国の90%以上を占めているのです。

その歴史は加賀二代藩主の前田利長にまで遡ります。高岡市鋳物資料館などによると、慶長14(1609)年に、高岡は高岡城の城下町として開かれました。まちづくりのため、鋳物師集団を招き、土地を授けて税の免除などの手厚い保護を行いました。しかし、利長は慶長19(1614)年に没し、その翌年には幕府の「一国一城令」により高岡城は廃城となり、武士は金沢へ移るなど急速にさびれてしまいました。しかし、利長の遺志を継いだ三代藩主の利常が、商工業の街へと見事に転換させました。鋳物も保護と奨励を受け、農具や調理器具から、だんだんと大きな鐘や灯籠から美術工芸品なども手がけるようになりました。明治期には欧米への一大輸出産業となり、今につながっているとのことです。
そんな歴史を知ると、「鳥獣戯画」の動物の完成度の高さにも納得できるのではないでしょうか。街で見かけた作品を入口に、その街の歴史などにも探求が広がるのも、パブリックアートの魅力でしょう。(読売新聞美術展ナビ編集班・若水浩)
◆10月に開幕する特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」(東京国立博物館)では、「鳥獣戯画」も見られます。