【プレビュー】「生誕120年 大沢昌助展」練馬区立美術館で4月29日から 新収蔵品や新発見を含む約120点

大沢昌助《人と太陽》(旧国立競技場壁画原画下図) 1964年頃 鉛筆、グアッシュ、紙 個人蔵

戦前、戦後の社会背景を見据えつつ、ブレることのない独自のスタイルを貫いた昭和を象徴する美術家、大沢昌助(1903~1997年)の作品には、モダン、シンプル、自由そして軽やかさが息づいています。大沢の最初期から晩年に至る、100 点以上の作品を所蔵する練馬区立美術館が、生誕120年を記念した「大沢昌助展」を開催します。 これまで紹介してきた作品に加え、作画の原点であるスケッチ類や父の作品を含む新収蔵品、調査の中で新たに発見された作品、さらに、 1980~90年代にかけての晩年の抽象画を含めた約120点により、大沢芸術の豊かさを多面的に紹介します。

生誕120年 大沢昌助展
会場:練馬区立美術館  (東京都練馬区貫井1-36-16)
会期:4月29日(土・祝)~6月18日(日)
休館日:月曜日
開館時間:10:00~18:00 ※入館は17:30まで
アクセス:西武池袋線中村橋駅徒歩3分
観覧料:一般1,000円、高校・大学生および65~74歳800円、中学生以下および75歳以上無料
詳しくは(https://www.neribun.or.jp/museum.html)へ。

大沢昌助の父、大沢三之助 (1867~1945年)は官庁や宮内庁の建物を数多く設計した近代黎明期の建築家でした。学生時代に洋画家の松岡寿にデッサン・水彩画を学ぶなど、絵画に親しんでいた父の影響もあり、大沢昌助は画家となるのに恵まれた環境で育ちました。

大沢昌助《自画像》 1996年 油彩、カンヴァス 個人蔵

1928 年、大沢は東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科を首席で卒業。翌年、《丘上の少年》 ほかで二科展に初入選し大いに注目を集めました。当時、画壇で一世を風靡していた抽象美術シュルレアリスムといった表現とは距離を置いていた大沢は、試行錯誤の末、《水浴》に代表されるような、古代ギリシア彫刻が持つ均整の取れたモニュメンタルな人物表現に関心を持つようになります。

大沢昌助《水浴》 1941年 油彩、カンヴァス 練馬区立美術館蔵

1940 年に二科会会友推挙、42年に二科賞受賞と、充実した作画活動が続くかに思われましたが、日本は戦時中であり、戦況は悪化し、作品にも暗く重い影が差すようになります。やがて終戦を迎えると、大沢の作品には明るさと希望が戻りました。

1950年代には抽象的な表現を始め、さらに60年代には「ふっきれてきて仕事が楽になってきた」と語ったように、自由な発想が明快な形態で表現されるようになりました。

そして「若いころ、僕は、こう描けなかった」と振り返ったように、大沢の画業の後年は”晩年”という言葉とはほど遠い、収穫と豊穣の年月を迎えます。大沢は自らの画歴を「変心」という言葉で言い表しました。大沢のスタイルとは、一つのスタイルにとどまることはなく、新鮮な発想を重んじ、自由な画風に身を任せたものでした。

大沢昌助《笛を吹く童女》 1978年 油彩、カンヴァス 個人蔵
大沢昌助《変わっていく繰り返し》 1981年頃 油彩、カンヴァス 練馬区立美術館蔵
大沢昌助《緑と青》 1991年 アクリル、カンヴァス 個人蔵
大沢昌助《黒いおもかげ》 1995年 油彩、カンヴァス 練馬区立美術館蔵
大沢昌助《草むらにバッタ》 制作年不詳 油彩、カンヴァス 個人蔵

原画と動画で壁画の壮大さを体感

また、本展では、現在都内で見ることができる大沢の壁画の映像を展示室内で上映し、原画と共に展示します。上映されるのは、1959年の世田谷区役所(取り壊しが決まっている)、1964年の旧国立競技場(新設に伴い移設)、1990年の東京都庁の都議会議事堂の3か所の壁画。壁画は、建物に付随しその当時の社会情勢や美術・文化の動向を如実に表すモニュメントでありながら、建物の建て替えにより、持続性の難しい戦後絵画の記録、記憶であると言えるでしょう。

大沢昌助《人と太陽》(旧国立競技場壁画原画下図)  1964年頃 鉛筆、グアッシュ、紙 個人蔵

(読売新聞デジタルコンテンツ部美術展ナビ編集班)