【レビュー】「発見された日本の風景展 美しかりし明治への旅」4月9日まで、長野県立美術館で

発見された日本の風景展 美しかりし明治への旅 |
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会場:長野県立美術館(長野市箱清水1-4-4) |
会期:2023年2月11日(土・祝)~4月9日(日) |
休館日:毎週水曜日 |
開館時間:午前9時~午後5時(展示室入場は 午後4時半まで) |
観覧料:一般 1,200円、大学生及び 75 歳以上 1,000円、高校生以下又は 18 歳未満無料 |
館公式サイト:https://nagano.art.museum/ 問い合わせはハローダイヤル050-5542-8600へ |

絵の中の明治日本を旅する
日本の近代が幕を開けた「明治」。日本の絵画界も黎明を迎えるが、先導したのは、はるばる海を渡ってきた外国人画家たちだった。好奇心と冒険心旺盛な彼らは全国各地を歩き、つつましく美しい日本の風俗や自然を描いた。西洋画法の習得を目指した日本人画家もそれにならった。まだ写真が普及していないころ。彼らの画業のおかげで、「明治」は絵の中に記録された。ただ、作品群は画法流入の逆コースをたどって海外に渡った。日本みやげなどに珍重されたからだ。こうして日本を離れた絵はいつしか存在すら忘れ去られてしまったが、美術コレクターの高野光正氏による精力的な調査で多くの優品が発見・収集され、帰郷を果たした。本展ではその高野コレクションの中から国内外の画家70人による水彩画や油彩画計243点を展示。展覧しながら「明治」を旅してまわるという趣向になっている。

初公開など見どころたくさん
本展は京都、東京、愛媛に続く全国巡回展の一つ。序章の「明治洋画史を眺める」以下、「明治の日本を行く」「人々の暮らしを見る」「花に満たされる」の各章で構成されている。展示作品数の多さが特徴だが、長らく行方不明だった黒田清輝の油彩画など日本初公開の作品や、日本に水彩画を伝えた英国人風景画家らの作品も多数公開されており、見どころは盛りだくさん。本稿では長野県立美術館の木内真由美 学芸員がギャラリートークで取り上げた作品のいくつかを鑑賞していく。
今も昔もおしゃれには――

最初は笠木治郎吉(1870-1923)の水彩画「農家の少女たち」。手に下げたかごがキノコであふれているあたり、キノコ狩りからの帰りだろう。肩を組み、いかにも仲の良い二人だが、それぞれの着物の柄は格子と縞、襦袢の色は朱と白という違いがある。「油彩のような緻密な描き込みと表現力に引きつけられます。この時代の少女も今と変わらず、自分らしいおしゃれに気をつかっていたことも、うかがえます」と木内学芸員は話した。
よく見ると、右の少女の右手の指が相手の肩越しに何かをさしている。二人の視線もその指の方向を向いている。何かひそひそ話をしているようにも見える。もしや歩みの彼方に心ときめかせる男子でも現れたか。それなら、うっとりしたような目元と微笑にもうなずける。
働くことへの喜びと感謝

次も笠木治郎吉の水彩画「提灯屋の店先」。細密な描写に加え、陰影のつけ方が印象的だ。木内学芸員は「外国人相手の売り絵、つまり訪日のおみやげとして描いた絵のようです」と説明した。登場人物は歳のいった提灯職人と娘(嫁?)、その幼子だろう。祭りが近づいているのか、久しぶりの晴れの日なのか、「たまった仕事を片付けちまおう」とばかり、老職人は精を出している。暮らしは楽ではなさそうだが、女性の明るい表情から、我が子の成長や一家が元気に働ける喜びが伝わってくる。勤労と親孝行。日本人の美徳を表している。
「子守」に愛らしさ、賢さ

続いては地元・長野県出身の丸山晩霞(1867-1942)の「洗馬」。旧中山道の洗馬宿(現長野県塩尻市)の風景で、鎮守の森にのぼりが立ち、稲が干してあるので秋祭りのころと推察できる。川にかかった橋の上で女の子が幼児をおぶっている。子守だ。木内学芸員によると、この時代の風景・風俗画には子守を題材にした作品が目立ち、特に外国人画家や旅行家には日本の子どもの愛らしさ、賢さの象徴として関心を引いたという。
子どもが子どもを背負う。そんなシーンは現代ではとっくに見られなくなった。最近はせいぜいテレビドラマ「おしん」の再放送で見たくらいだ。
「おみやげ」の美術的価値にも注目

世界遺産の日光東照宮は100年前も内外の画家たちが好んで描いた題材だった。五百城文哉(1863-1906)が陽明門を描いた「日光東照宮陽明門」もその一つ。無数の彫刻で飾られた門の荘厳さと巨大さが伝わってくる。
木内学芸員は「当時すでに国際観光都市の地位を築いていた日光の絵は、訪日外国人がやはり『おみやげ絵』として買い取ったため、量産されたと伝わっています。でも本作のような完成度の高い作品は美術的価値でも注目されるべきものです」と指摘した。
着物姿を絵に残し、持ち帰る

外国への旅行先で、その土地の伝統衣装に身を包んで記念写真を撮る人も多いのでは。山村柳祥(1858頃–没年不詳)「和装の西洋の女」の外国人女性2人はともに日傘をさし、うちわや扇子を手にしている。着物や帯、日傘の絵柄まで細かく描写している。木内学芸員は「『訪日のおみやげに』と美しい着物で着飾った人物を絵に残し、母国に持ち帰ることがはやりました。その多くは、顔の部分は写真をもとにした西洋人の肖像で、衣服は日本の服装という組み合わせでした」と解説した。
名峰とソテツのダブル主演

日本に水彩画を伝えた英国人画家の一人、アルフレッド・パーソンズ(1847-1920)の作品「富士山」を見る。パーソンズは1892(明治25)年に来日。約9か月の間に東京、長崎、神戸、宇治、日光、熱海、箱根、鎌倉などを旅行し、水彩画制作にいそしんだ。帰国後は「日本印象記」を著した。
富士登山にも挑んだ健脚の持ち主でもあったが、画家の目はその山容のとりことなり、静岡市の名刹、龍華寺から見える富士山をこの絵に描いた。遠く駿河湾越しにそびえる富士山を高く広い空と雲が覆う。晩春か初夏だろうか、海上は波も穏やかで、船の帆がほどよい風を受けている。
視線を手前に移すと、緑濃く生い茂ったソテツが堂々の存在感を放っている。ここのソテツは国の天然記念物。絵の中の男女も富士山ではなく、ソテツを見ながら一服のお茶を楽しんでいる。どうやら富士山とソテツのダブル主役の絵のようだ。
「訪日画家たちの功績は大きい」

木内学芸員は「龍華寺は明治のころも、今で言う『バエるところ』だったわけです」とユーモアを交えながら説明し、「でも昔の旅行は徒歩が中心で、今とは比べものにならないくらい大変だったのですから、外国人画家の精力的な取材行脚には感心させられます。そんな彼らに触発された若い日本人画家が日本の水彩画の道を開いたことを考えると、功績は大きいと思います」と付け加えたところでギャラリートークは終了した。

明治を絵で旅しながら、いろいろと想像を巡らせた。鑑賞の最後に、思わず心の中で絵の中の人たちに頭を下げた。「おかえりなさい。ようこそ令和の日本に。全国巡回で大変でしょうけれど、よろしくお願いします。それと既にお気づきだと思いますが、申し訳ないことに、皆さんが大切に守ってこられたものの多くを、私たちはとうの昔に無くしてしまいました」
(ライター・遠藤雅也)