【プレビュー】特別展「アルフォンス・ミュシャ展 」八王子市夢美術館で4月7日から

アール・ヌーヴォーを代表する芸術家、アルフォンス・ミュシャ(1860~1939年)。優美な女性像と草花の有機的な曲線美を活かした「ミュシャ・スタイル」を確立し、19世紀末パリでベル・エポック(美しき時代)を彩りました。
八王子市夢美術館で4月7日(金)~6月4日(日)まで開催される特別展「アルフォンス・ミュシャ展」では、パリ時代の華やかなポスター画や装飾パネル、画学生の手引きになるようにと制作された『装飾資料集』をはじめ、故郷チェコに尽くした晩年の作品など、400点余りが紹介されます。
特別展「アルフォンス・ミュシャ展 」 |
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会場:八王子市夢美術館 |
会期:2023年4月7日(金)~6月4日(日) |
休館日:月曜日 |
午前10時より午後7時(ただし入館は午後6時30分まで) |
アクセス:JR八王子駅より徒歩15分、京王八王子駅より徒歩20分 |
観覧料:一般 800円、学生(高校生以上)・65歳以上 400円、中学生以下無料 |
詳しくは美術館の公式サイト(https://www.yumebi.com/)へ。 |
「ジスモンダ」を機に時代の寵児へ
1860年、民族意識の色濃いモラヴィア地方の村イヴァンチッツェ(現チェコ共和国)に生まれたミュシャ。 27歳のときパトロンの援助を受けパリ留学を果たしますが、援助終了後は、挿絵画家として細々と生計を立てていました。
転機が訪れたのは、34歳の頃。ミュシャは偶然、当時のパリで名高い女優サラ・ベルナールの舞台「ジスモンダ」の宣伝用ポスターを手掛けることになりました。ミュシャが描いたポスターはたちまち話題となり、貼ったそばから剥がされるほどの反響を呼びました。

その後、女優サラ・ベルナールと6年間のポスター制作契約を結びます。サラとの仕事で名を馳せたミュシャのもとには、ポスターはもとより装飾パネル、カレンダー 、商品パッケージなど様々なデザインの依頼が殺到。挿絵画家だったミュシャは一躍時代の寵児となりました。
中でも装飾パネルは、リトグラフで制作することで大量生産と安価での販売を可能とし、それまで富裕層の特権であった芸術を一般市民にまで広める役割を果たしました。




故郷に尽くした後半生
ミュシャは1900年の第5回パリ万博で、ボスニア・ヘルツェゴビナ館の装飾や、オーストリア=ハンガリー帝国のためのポスター制作を手掛けます。特にボスニア・ヘルツェゴビナ館の装飾は、晩年のミュシャの大作《スラヴ叙事詩》の制作の足掛かりとなりました。この後、ミュシャは商業的な仕事からは距離を置き、後半生を祖国チェコとスラヴ民族に捧げることになります。

1906年以降、ミュシャはアメリカに拠点を移しますが、《スラヴ叙事詩》制作のための資金の目途が立った 1910年、チェコに帰国。《スラヴ叙事詩》制作と並行して、プラハ市民会館の壁面装飾に取り組みました。そして、1918年にチェコスロヴァキア共和国が独立すると、切手や紙幣など新国家に関連するあらゆるデザインを無報酬で引き受けました。展覧会後半では、祖国発展のため手がけた切手や紙幣のデザイン、《スラヴ叙事詩》のパネルなどが紹介されます。

才能を見出されたパリ時代から、祖国に捧げた晩年まで、一貫して「民衆のための芸術」という信念を終生貫いたミュシャ。麗しい作品の数々を通して、その信念に触れることができる展覧会です。

(読売新聞美術展ナビ編集班)