女性イラストレーターの先駆け 85歳・田村セツコさんにインタビュー 「今も毎日、中学生の夏休みの気分です」 弥生美術館で展覧会を開催中

東京の弥生美術館で「田村セツコ展  85歳、少女を描き続ける永遠の少女」を開催中の田村セツコさんにお話を伺いました。1938年(昭和13年)生まれ。女性イラストレーターの先駆けとして、実に65年のキャリアを誇る田村さん。今も「カワイイ」の体現者としてバリバリ活躍しています。お話ぶりもとてもパワフル!元気をもらいました。(聞き手・美術展ナビ編集班 岡部匡志、撮影・青山謙太郎)

シャキッとしたたたずまい。お話もテンポよいセツコさん。こうしたいで立ちで原宿や表参道を歩くのが日課、「高価な服やアクセサリーはひとつも持ってないですよ」(弥生美術館で)

自由な暮らしに憧れ、フリーに

Q 姿勢がとってもいいですね。お年を感じさせません。

A 父が警視庁の警察官で、警察署の署長もしました。いつもピシッとして謹厳実直なおまわりさんを絵に描いたような人。ガミガミいうタイプではなかったですけれど、よく「姿勢が悪いよ」と注意されて(笑)そのお陰かな。

Q 高校を卒業して1956年、銀行に就職しました。

A 秘書課に配属されて、上司や先輩たちは優しく、よい職場だったのですが、ある日、職場のビルから街を眺めていて、ゴミを拾って歩いているおじさんが目に入ったのです。もちろん、大変なんでしょうけど、一日中オフィスにいる暮らしより、自由な生き方に憧れたといえばいいのでしょうか。もともとゴミが好きなんですよ。ゴミはギフトだと思っています。今も道端で拾っては家に持ち帰ってオブジェなんかにしちゃうし(笑)。当時、松本かつぢ先生(画家、漫画家、1904‐1986)に弟子入りして絵を習っていましたし、翌年には退社してフリーになりました。

Q 家族には反対されませんでしたか。まだフリーランスで働く女性は多くない時代だったと思いますが。

A 「後悔しないこと」「愚痴はいわないこと」「経済的な負担をかけないこと」と約束させられましたが、判断は尊重してくれました。すでに上田トシコ先生(漫画家、1917‐2008)のような先人もいらっしゃいました。

油彩の作品もステキです。「好きで描いたもの。手放せないんです」

救世軍の人から「大丈夫ですか?」と励まされる

Q 仕事は最初から順調でしたか。

A 最初は小さなイラストや飾りの罫線を描くような仕事ばかりで、なかなか大変でした。所在なさげに神保町の交差点に立っていたら、角の救世軍の方から「大丈夫ですか」と声をかけられ、お部屋に通されて励まされたほど(笑)。転機になったのは雑誌「少女クラブ」(講談社)で挿絵画家の方が急病になり、代理で急きょ、小説の挿絵を4ページ分も描いたことです。雑誌が発売されるやいなや、いろんな出版社から原稿依頼の速達が次々に届き、最新のファッションなどを紹介する絵をたくさん描くようになりました。おしゃれの連載のページも持ちました。神保町で海外のファッション誌をあさったり、名画座で欧米の映画をみて女優さんが来ている服を研究したり、と取材も楽しかったです。

Q あとはとんとん拍子で。

A 運もよかったです。読み物中心の少女雑誌が徐々に少女漫画雑誌に切り替わり、仕事の範囲が狭くなりそうになったら、今度はイラストを使ったグッズの人気が急上昇。寝る暇もないほど描きまくる生活でした。仕事がない時期の経験があるから、依頼があると断れないんですよ(笑)。

絶大な人気を誇ったセツコグッズの数々。当時はどこの家にもあった気がします

Q セツコグッズは一世を風靡しましたね。

A グッズが一段落したら、今度は名作の児童書の挿絵の仕事が増えました。

「月並みな学園もの」が大ヒットに

Q そちらでセツコさんの作品を記憶している人は特に多いですね。私もそのひとりです(笑)「おちゃめなふたご」はとりわけ人気でした。

A 大ヒットでしたね。出版社のかたは「月並みな学園ものなんですけどねえ・・・」と気乗りしない様子だったのですが、自分は面白いと思ってはいました。あれよあれよとベストセラーになりました。いまだにあの仕事で覚えてくださっている方が多くて、ありがたいですね。

『おちゃめなふたごのさいごの秘密』(ポプラ社 1986年)🄫田村セツコ

常に「今」を全力で生きる

Q   今回の展覧会では、挿絵やグッズの展示が盛りだくさんですが、とりわけ自室を再現したという賑やかな一角が楽しいですね。

A そうですか!そういってもらえるのは嬉しいです。昔の作品を懐かしんでもらうことはもちろんですが、自分は常に「今」が大切なので、現在の自分の姿を見てもらえるように、学芸員さんと一緒に頑張ったコーナーなのです。

おもちゃ箱をひっくり返したように賑やかな「今」のセツコさんを表現したコーナー。自宅から持ち込んだ人形など、ありあわせの材料だけで作っているのに、ただならぬセンスを感じさせます。

Q 85歳の現在もまさに第一線のアーティストなんだ、と思わせました。

A このコーナーを見た同世代のファンの方が、「これぐらいなら、私でも出来そうな気がする」と言ってくださったのが嬉しかったです。そう思ってもらえたら本望です。気分は今も中学生の夏休みみたいなものです(笑)。毎日が楽しいし、仕事は宿題かな。

来場したファンがメッセージを書き込めるボード。「赤毛のアンの想像力とアリスの行動力をもって、これからもお元気で」など。「嬉しい励まし。私にとってのビタミン剤ですね」とセツコさん

街の新陳代謝に刺激をもらう

Q そういうセツコさんの普段の暮らしぶりは。

A 買い物ついでによく原宿や表参道を歩くのですが、ひっきりなしにお店が閉まったり、入れ替わったりして厳しい街だな、残酷だな、と思うのです。そうした新陳代謝の激しい街に触れて、自分の感覚を磨いているのだと思います。

Q これからどんなお仕事に取り組みたいと思っていますか。

A これまでにアフリカやインド、パリやニューヨークなど、いろんな場所を旅しました。印象に残る出来事もたくさんあります。そうした旅の記憶を絵本にしてみたいと思っています。

Q ずっと一線で活躍してほしいです。

A ふと思いついた「老い、と呼んだが返事がない」が最近、ちょっと自分でハマっているキャッチフレーズで(笑)。まだまだ返事していられないですね。

(おわり)