【ウクライナ侵攻1年】ジャン=ピエール・レイノーが「現代版ゲルニカ」を披露ーパリのパンテオン=ソルボンヌ大学で

ロシアのウクライナ侵攻から1年を迎えた2月24日、現代美術家のジャン=ピエール・レイノーによる「現代版ゲルニカ」の除幕式がパリ市内のパンテオン=ソルボンヌ大学で行われた。同作品は《ゲルニカ》のレプリカと共にウクライナ政府に寄贈され、戦況が落ち着き次第、ウクライナのキーウの美術館で公開される予定。同大学で4月24日まで展示された後、パリ市内にある国立ピカソ美術館に一時保管される。

レイノーの「現代版ゲルニカ」のプロジェクトは、美術本の発行で知られるフランスの出版社ジャナンク社の呼びかけで始まった。
1937年、ピカソは《ゲルニカ》をスペイン共和国派に贈り、スペイン内戦におけるドイツ軍のゲルニカ爆撃に抗議した。2022年、レイノーは戦争における暴力を抗議するために、ピカソの《ゲルニカ》と同じサイズ(横7.76m x縦 3.49m)の作品を制作し、ウクライナの人々に寄贈することを決めた。わずか2か月足らずの短期間で 、ウクライナ政府、《ゲルニカ》を展示しているスペインのソフィア王妃芸術センター、仏文化省、パンテオン=ソルボンヌ大学、仏国立ピカソ美術館からの賛同を得て実現した。

パンテオン=ソルボンヌ大学の中庭には、特別に許可を得て実寸で再現されたピカソの《ゲルニカ》と、レイノーの「現代版ゲルニカ」が向かい合って設置された。

ピカソの《ゲルニカ》のモノクロで具象的な表現とは対照的に、レイノーの作品は、赤と白の「進入禁止」の標識と黒くて太い檻の柵が2本表されている。いずれもレイノーが活動初期の1960年代初頭から使ってきたモチーフだ。
「進入禁止」は前へ進むことを阻むと同時に、先に進まない方が良いと警告をしてくれている。黒い柵は閉じ込められてもいるし、外からの侵入に対し守られているとも受け取れる。見る人の解釈で反対の意味にもなるサイン。レイノーにとって外国語を話せなくても世界中の人々とコミュニケーションできるのがこれらのサインであった。

庭師であったレイノーが現代美術家に転身したきっかけも「戦争」に深い関わりがあった。第二次世界大戦とアルジェリア独立戦争という2度の戦争体験だ。第二次世界大戦中の3才の時、爆撃により父を失った。アルジェリア独立戦争では、1959年から28ヶ月間、兵役でアルジェリア軍の拷問の資料収集に携わった。戦場に行かずとも戦争の恐ろしさを経験する。兵役後は1年間、ベッドから起き上がれない日々を過ごした。2度の戦争に絶望したレイノーを救ったのは芸術という表現との出会いだったという。
レイノーは、ウクライナ侵攻1周年のプロジェクトについて「どちらかの側につく政治的な立場ではなく、戦争による暴力に対する切実な思いを表現した。20世紀の傑作、《ゲルニカ》に対抗する気持ちなど到底なく、むしろ謙虚な気持ちで取り組んだ。大学には、ウクライナの学生もいればロシアの学生もいる。知の殿堂で作品を展示することは、芸術が美術館などの狭く閉ざされた枠組みから出て社会のさまざまな人々とコミュニケーションできるよい機会でもある。84才になるが、この世に存在する限り、まだ表現の挑戦は続けていきたい」と語った。(キュレーター・嘉納礼奈)

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