『ズワルテンダイク・オランダ領事と「命のビザ」の知られざる原点』展 オランダ大使館で2月23日~25日

有名な杉原千畝の「命のビザ」の成立には、オランダ領事によるもう一つの「ビザ」(※)が欠かせませんでした。オランダ王国大使館(東京都港区)で『ズワルテンダイク・オランダ領事と「命のビザ」の知られざる原点』展が2月23日から25日まで3日間限定で開催されます。21日に開かれた報道発表会を取材しました。
在リトアニア日本領事館の杉原千畝が出したのは日本を通過するビザで、前提として最終目的地への”ビザ”が必要でした。そこで、在リトアニアのオランダ名誉領事ヤン・ズワルテンダイク(1896~1976年)が南米のオランダ領キュラソー島への見せかけの”目的地ビザ”(※本物のビザではなく、パスポートなどの身分証に「在リトアニア・カウナスオランダ領事館は、スリナム、キュラソー島をはじめとするアメリカのオランダ領への入国は、入国ビザを不要とすることをここに宣言する」と記載)を発行し、それに杉原が通過ビザを追加したものが「命のビザ」なのです。


1940年7~8月に「命のビザ」は2千通以上(一家に1通)が発行され、数千人のユダヤ人を救いました。本展に合わせて、当時12歳だったポーランド出身でオーストラリア在住のマルセル・ウェイランドさん(95歳)が約80年ぶりに来日しました。

「家族とともに並んだ日本領事館では杉原千畝の奥さまがビザのスタンプを押してくれたのを覚えています」と話し、7ヶ月滞在した神戸の思い出について「大丸のカフェテリアで毎日おいしい焼きそば(Yakisoba)を食べました」と振り返っていました。ウェイランドさんは子供5人、孫21人に恵まれ、ひ孫も3人いるそうです。「ズワルテンダイクさんや杉原さんの2人をはじめ勇気ある人たちのおかげで幸せな人生を送ることができました。この場で感謝を伝えたい」と話していました。
1940年8月3日、当時オランダと国交が無かったソ連軍は領事館を閉鎖。ズワルテンダイクは8月中旬に領事館の全ての記録をストーブで燃やしました。その後、ズワルテンダイクの行動はオランダ政府にさえも知られないままとなりました。ズワルテンダイク自身も、自分のしたことが果たして本当にユダヤ人の命を救ったのかの確信が持てず、1963年にロサンゼルスの新聞に「キュラソーの守護天使」という記事が掲載されるまで知らなかったそうです。
杉原千畝とズワルテンダイクという外交官の2人だけでなく、他にも複数の人たちが勇気を出して行動した結果が「命のビザ」という奇跡を起こしたことが分かる展示内容でした。入場無料ですが、大使館内なので完全予約制です。

また、福井県敦賀市の「人道の港 敦賀ムゼウム」で3月16日から5月30日まで、その後、岐阜県八百津町の杉原千畝記念館などに巡回する予定です。
(読売新聞デジタルコンテンツ部美術展ナビ編集班 岡本公樹)