【レビュー】「没後190年 木米」サントリー美術館で3月26日まで 個性あふれる多彩な文人の魅力を堪能する

没後190年 木米 |
---|
会場:サントリー美術館(東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3階) |
会期:2023年2月8日(水)~3月26日(日) *会期中展示替えあり |
10:00~18:00(金・土は10:00~20:00)※2月22日(水)、3月20日(月)は20時まで開館※いずれも入館は閉館の30分前まで |
休館日:火曜日(ただし3月21日は18時まで開館) |
入館料:一般 ¥1,500、大学・高校生 ¥1,000 ※中学生以下無料 |
詳しくは(https://www.suntory.co.jp/sma/)へ。 |
「木米がもう、頭から離れない。」
江戸時代後期の京都で活躍した文人・木米(1767~1833年)は陶工にして画家でした。京都祇園の茶屋「木屋」(氏は「青木」)に生まれ、俗称を「八十八」と言います。その「木」と八十八を縮めた「米」にちなんで「木米」。自ら名付けた中国風の名前です。それ以外にも「龍米」「九々鱗」「古器觀」などの号があり、その多さからも幅広い趣味人だったことがうかがえます。
本展では木米の作品144点(陶磁73点、絵画42点、書状14点、その他15点)を中心に交友関係のあった田能村竹田、池大雅らの作品を合わせて186件が展示されます。没後190年を記念する展覧会、これほどまとめて木米の作品を見られる機会は滅多にありません。その多彩さと独自性にきっと驚くことでしょう。その魅力に、美術館を出るころにはキャッチフレーズの「木米がもう、頭から離れない」の状態になってしまうに違いありません。
陶工・木米のやきもの

木米は、30代で中国の陶書『陶説』に出会い、陶業に打ち込みました。中国、朝鮮、日本の古陶磁を熱心に研究し、それをもとに独自の視点で再構成、多岐にわたる作品を作り、木米独自の世界を築いたのです。
展示室に入るとまずインパクトのある青いディスプレイが目に飛び込みます。その中央にドラマティックに飾られているのは重要文化財の《染付龍濤文提重》です。色が美しく、提げ梁(提げ手)を伴う染付磁器製の重箱です。
中国明代の萬暦青花磁器を模した五爪の龍文が描かれています。提げ梁の底辺には雷紋、提げ手には紗綾形が描かれ、側面には透かし彫りの装飾があります。龍は展示作品である『磁器叢』に、側面の装飾は『陶法手録』にそれぞれ見本となるものがあるそうです。また、角や縁に釉の欠けがありますが、これらは焼成後わざとつけたものとの見解もあります。
すべて陶器製であるのがすばらしく、全体の調和がとれ完成度が高い作品です。最初のこの1点を観るだけで、木米がいかにこだわりを持ち、細部まで気を配り作品を作っていたかが分かります。

陶工・木米の煎茶道具
第2章は木米の煎茶器を特集しています。18世紀の半ばの日本では、禅僧・売茶翁(1675~1763年)が移動茶店を開き煎茶を広めました。売茶翁の元には「文人」たちが集いました。売茶翁の肖像画を伊藤若冲や池大雅が描いていることからもそのことがわかります。この頃、煎茶道も成立しました。
煎茶が流行したこの時代に木米は、涼炉(湯を沸かす焜炉)や急須、煎茶碗などを多く残しています。白泥や青磁、色絵など様々な手法で制作されたこれほど多くの煎茶道具が一堂に展示される機会は少ないでしょう。

中でも目をひくのが《白泥蘭亭曲水四十三賢図一文字炉》です。これは、中国の書家・王羲之の『蘭亭序』の逸話に基づいたモチーフです。風門(空気抜きのために涼炉に開けられた穴)は窓に見立てられ、周囲に透かし彫りが施され、中からガチョウを眺め満面の笑みを浮かべる王羲之の塑像が覗いています。背後に立つ子供も笑っています。ガチョウは風門の下に描かれています。
涼炉の風門上部には「蘭亭四十三賢之圖」の刻印、側面や背面には高い山々や賢人たちが川岸に座り作詞の宴に興じる様子が彫刻されています。ぜひ色々な角度からご覧ください。
そして、こちらの作品が床から天井まで届く巨大サイズのバナーとなってのちほど再登場します。そちらはフォトスポットになっていますのでぜひ撮影してくださいね!
※また、東京国立博物館と台東区立書道博物館では「王羲之と蘭亭序」展が開催されています。こちらをあわせて鑑賞するのも一興かもしれません。
そのほか白泥、白磁、青磁、赤絵、染付など手法も形も色も様々な煎茶道具が並んでいます。

文人仲間との交流
50代後半からは精力的に絵画を描きました。清らかで自由奔放な作品の多くは為書があり、そこから木米の幅広い交友をうかがい知ることもできます。
中でも画家の田能村竹田(1777~1835年)とは、重要な逸話が残されており親しく交流していたことがわかります。竹田の《木米喫茶図》は、初めて木米に出会った時の様子を淡い筆致で描いています。木米のひょうひょうとした人柄をよく表現しているようにも見えますが、なにか深く考え込んでいるようにも見えます。2人は煎茶を通して友情を育みました。

木米は遺言として「これまでに集めた各地の陶土をこね合わせ、その中に私の亡骸を入れて窯で焼き、山中に埋めて欲しい。長い年月の後、私を理解してくれる者が、それを掘り起こしてくれるのを待つ」と竹田に語ったと伝わります。一見途方もない遺言ですが、将来も自分のことが評価されると信じているようにも聞こえます。この遺言が執行されることはなかったそうですが、木米が陶業を愛し、竹田と緊密な会話をする仲だったことを示す逸話です。
画家・木米、誰かのために描く
木米の絵画作品の特徴は、主題の大半が山水画であることと、為書があること、つまり誰かのために描いたものであることが多いという点です。

上の写真中央の《重嶂飛泉図》は木米の絵画の中ではサイズが大きい作品ですが、こちらは、幼い頃に絵を習っていた可能性がある池大雅の命日に供えるためのものでした。迫力のある険しい岩山と一筋の滝、池大雅を慕っていた木米渾身の作です。木米の多くの絵には小さく人物が描かれています。この絵の中では下部の橋の上の人物は先生である池大雅と少年期の木米とみる人もいるそうです。そう思うとしみじみと感慨深いです。
木米を堪能しつくして
実は木米展に出かける前にサントリー美術館のサイトで展覧会のPVを観て以来「木米(もくべい)」が妙に頭の中でこだましていました。そして、木米展を実際に観覧したあとはもう木米の沼にどっぷりとはまっていました。
【ライター・akemi】
きものでミュージアムめぐりがライフワークのきもの好きライター。
きもの文化検定1級。Instagramできものコーディネートや展覧会情報を発信中。コラム『きものでミュージアム』連載中(Webマガジン「きものと」)。
展覧会に合わせたコーディネート。蚊絣の白大島に山水画風の綴織の帯を合わせました。