【プレビュー】NHK大河ドラマ特別展「どうする家康」三井記念美術館で4月15日から

重要文化財 金陀美具足  桃山時代(16世紀) 久能山東照宮博物館蔵 通期展示

東京・日本橋の三井記念美術館で、NHK大河ドラマ特別展「どうする家康」が4月15日から6月11日まで開かれます。家康が大河ドラマで単独主役となるのは1983年の「徳川家康」以来40年ぶり。番組公式の本展では、国宝や重要文化財などが集結し、家康と彼が生きた時代を浮き彫りにします。その後、岡崎市美術博物館、静岡市美術館へも巡回します。

NHK大河ドラマ特別展「どうする家康」
会場:三井記念美術館(東京都中央区日本橋室町2-1-1三井本館7階)
会期:2023年4月15日(土)~6月11日(日)
*会期中、展示替えを行います
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(ただし5月1日は開館)
入館料:一般 1,500円/大学・高校生1,000円/中学生以下無料
詳しくは館のホームページ(https://www.mitsui-museum.jp/
問い合わせは050-5541-8600(ハローダイヤル)
巡回情報 岡崎市美術博物館 7月1日~8月20日/静岡市美術館 11月3日~12月13日

家康の生涯をビジュアルにたどる

徳川家康は、今川氏真うじざね、武田信玄・勝頼、豊臣秀吉、石田三成など、強敵たちと時に手を組み、時に戦い、天下人へと登りつめました。そして死後、「東照大権現」として神となりました。

大日本五道中図屏風(駿府・久能山の部分) 8曲2双 江戸時代(19世紀) 三井記念美術館蔵 通期展示

こちらは江戸から長崎までの街道を描いた鳥瞰図的な絵図です。家康の没後30年頃の景観が描かれており、岡崎城、浜松城、駿府城、名古屋城、関ヶ原の戦いの布陣、久能山東照宮など家康の一生をビジュアルにたどることができます。

若き日の凜々しき武装

重要文化財 金陀美具足  桃山時代(16世紀) 久能山東照宮博物館蔵 通期展示

大河ドラマ「どうする家康」では若き日の松平元康が桶狭間の戦い以来、ずっと着用して奮戦しているのが印象的な金色の甲冑。そのモデルがこの「金陀美きんだみ具足ぐそく」です。

家康及び徳川十六将図 伝狩野探信守政筆 江戸時代(17~18世紀) 久能山東照宮博物館蔵 前期(4/15~5/14)展示

徳川家康とそれを支えた16人の武将たちが描かれています。多くは三河時代からの譜代の家臣たちです。

今川・武田との抗争

家康は一時、武田信玄と同盟を結び、今川氏が支配する遠江へ侵攻します。今川氏を倒した家康の前には、次に信玄が立ちふさがります。家康は元亀3年(1572)に信玄と遠江の三方ヶ原で戦い、大敗北を喫します。しかし、信玄はまもなく病死し、息子の武田勝頼との激しい攻防が始まります。

長篠合戦図屏風 6曲1隻 江戸時代(17世紀) 名古屋市博物館蔵 4/15~5/7展示

天正3年(1575)、家康と織田信長の連合軍が三河の地で勝頼と戦い、大勝利しました。それが「長篠の戦い」です。天正10年(1582)には、信長と家康は勝頼を自害に追い込み、武田氏は滅亡。しかし、その直後に、信長は明智光秀の本能寺の変により自刃してしまいます。

秀吉と家康

小牧長久手合戦図屏風 6曲1隻 江戸時代  名古屋市博物館蔵 4/15~5/7展示

本能寺の変のあと、家康は信長の息子織田信雄のぶかつと手を結び、秀吉に対抗します。小牧・長久手の戦いでは、家康は長久手の合戦で勝利したものの、最終的に信雄が秀吉と和睦。家康もその後、秀吉の妹をめとり、秀吉の臣下となって豊臣大名として政権を支えます。天正18年(1590)、家康は秀吉の小田原攻めに参陣し、小田原の北条氏は滅亡。その後、家康は関東への領地替えを命じられ、江戸を本拠とします。

天下分け目の関ヶ原の戦い

重要文化財 関ヶ原合戦図屏風(津軽屏風) 8曲1双  左隻 桃山~江戸時代(17世紀) 大阪歴史博物館蔵 前期(4/15~5/14)展示

慶長3年(1598)に豊臣秀吉が死ぬと、いよいよ家康の天下人への歩みが始まります。慶長5年(1600)に、石田三成を中心とする西軍と、家康と組んだ東軍とが雌雄を決する関ヶ原の戦いが起きました。この天下分け目の戦いに勝利した家康は征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開きます。

三井記念美術館の国宝刀剣も

国宝 短刀 無銘 正宗(名物 日向正宗) 鎌倉時代(14世紀) 三井記念美術館蔵 前期(4/15~5/14)展示

前期には、石田三成が所持したことのある名刀で、関ヶ原の合戦で水野日向守勝成が手に入れたことから日向正宗と呼ばれている三井記念美術館が所蔵する国宝刀剣を展示。後期(5月16日~6月11日)には、同館所蔵の別の国宝刀剣で、秀吉や家康が所持した「短刀 無銘 貞宗」(名物 徳善院貞宗)を展示します。

天下人が愛したもの

家康は秀忠に将軍職をゆずり、大御所として慶長12年(1607)から元和2年(1616)に亡くなるまで、駿府城(静岡市)で過ごしました。愛刀ソハヤノツルキやゼンマイ式時打ち時計として国内現存最古の洋時計など、家康が駿府城で身近に使っていた遺愛品は他界後に、久能山東照宮に納められました。

重要文化財 太刀 無銘 光世 切付銘 妙純伝持 ソハヤノツルキ ウツスナリ
鎌倉時代(13~14世紀) 久能山東照宮博物館蔵 前期(4/15~5/14)展示
重要文化財 洋時計 1573年 久能山東照宮博物館蔵 前期(4/15〜5/14)展示

この洋時計は慶長16年(1611)に家康がスペイン国王から贈られたものです。スペイン属領のフィリピン総督らが航海中に房総沖で遭難し、家康が救助したことの謝礼でした。

家康、神「東照大権現」となる

最後で最大級の「どうする家康」が、冬と夏の2度にわたる大坂の陣(1614、1615年)です。豊臣氏を滅亡させた家康は、戦国の世に幕を下ろし、徳川幕府による太平の世を実現させました。
大坂夏の陣の翌年、元和2年(1616)に家康は駿河で鷹狩り中に発病。死期を悟った家康は「久能山に遺骸を納め、葬礼を増上寺で行い、三河の大樹寺に位牌を置き、一周忌以後に、日光山に小さき堂を建て、関八州の鎮守となりた」という遺言を残して駿府城で他界しました。75歳でした。死後に、家康の神号が検討され、「東照大権現」と決まり、家康は神となりました。

東照大権現像 天海僧正賛写 江戸時代(17~18世紀) 久能山東照宮博物館蔵 通期展示

(読売新聞デジタルコンテンツ部美術展ナビ編集班 岡本公樹)