【プレビュー】表情豊かな「猫と少女」を――軽井沢安東美術館で企画展「藤田嗣治 猫と少女の部屋」 3月3日から

企画展「藤田嗣治 猫と少女の部屋」 |
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会場:軽井沢安東美術館(長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東43―10) |
会期:2023年3月3日(金)~9月12日(火) |
休館日:水曜休館。水曜日が祝日の場合は、次の平日が休館 |
アクセス:JR軽井沢駅から徒歩8分 |
入館料:一般2300円、高校生以下1100円、未就学児無料 |
※詳細、最新情報は、公式サイト(https://www.musee-ando.com/)で確認を。 |
昨年秋オープン、「藤田だけ」の美術館
日本で初めて藤田嗣治の作品だけを常設展示する美術館として、昨年10月にオープンした軽井沢安東美術館。開館記念展に続いて開催されるのが、企画展「藤田嗣治 猫と少女の部屋」だ。同館は、実業家・安東泰志氏と妻の恵さんが約20年にわたって蒐集してきた藤田嗣治の作品を常設展示する美術館。藤田の作品だけを常設展示する美術館は、日本では初めてだ。約200点の作品をコレクションしている安東夫妻。その始まりは、散歩の途中にギャラリーで出会った一枚の版画だったという。そこに描かれた愛らしい猫に魅せられた2人は、藤田作品を蒐集することになり、その後、猫だけでなく少女の作品も好んで集めていくことになったという。
そんないきさつもあり、「猫と少女」の作品は、安東コレクションの中核になっている。「猫と少女の部屋」と題されたこの展覧会では、コレクション最初の作品となった《ヴァンドーム広場 『魅せられたる河』より》(1951)のほか、表情豊かに、ユーモアたっぷりに、躍動感あふれる猫たちが描かれた《猫の教室》(1949)を、展示室5で初披露。藤田作品の代名詞でもある「乳白色の下地」の裸婦像など、それぞれの時代ごとに藤田の画業を代表する作品を120点ほど展示する。

初公開作品は5点
本展の初公開作品は、《猫の教室》(1949年)、《腕を上げた裸婦》(1924年)、《雪》(1949年)、《猫を抱く幼いグレコ》(1953年)、《モランディエールの肖像》(1934年)の5点。藤田は1920年代から人物像とともに動物をよく描いていた藤田だが、擬人化された動物が登場するのは1947年以降のこと。
約1年間滞在したニューヨークで制作された《猫の教室》は、同じ年、同じ場所で描かれた、狐の家族を擬人化した《ラ・フォンテーヌ頌》を彷彿させる躍動感、繊細な筆遣い、豊かな色合いに満ちている。《猫の教室》は、猫の作品という枠組みを超えて、この時代の藤田を代表する貴重な作品の一つといっても過言ではないだろう。
エコール・ド・パリのなかで藤田が「破格の成功」を収めることとなったのは、「乳白色の下地」と呼ばれる新しい絵画技法。《腕を上げた裸婦》は、それがはっきりと見て取れる作品だ。
終戦後、日本で戦争責任を追及された藤田は、祖国を離れニューヨーク経由でフランスへ戻る決心をする。ニューヨーク滞在中に西洋の名画・文化と再び出会ったことで刺激を受けた藤田は、多くの作品を描いている。《雪》はニューヨークでの個展に出品された稀少な作品のひとつ。
《猫を抱く幼いグレコ》は、歌姫ジュリエット・グレコの結婚式の日に藤田がお祝いとして送ったもの。
《モランディエールの肖像》のモデルはフランス法学者で、日仏会館所長を務めていたレオン・ジュリオ=ド=ラ=モランディエール。「軽井沢にて(à Karuizawa)」と記されたこの肖像画は、藤田と軽井沢との関係をひも解く貴重な作品である。

同時開催は、特別展示「藤田嗣治と日本文化 パリにおける『本のしごと』」(3月3日~8月1日)。藤田が脚光を浴びた1920年代は、第一次世界大戦を経て日本が世界の仲間入りを果たした時期で、「第二のジャポニズム」とも思える動きが見られるようになった。1924年の日仏会館の設立、1929年のパリ国際大学都市における日本館の開設……、この潮流を受けた藤田は、日本をテーマとした挿画本に深く関わった。日本をテーマとした「本のしごと」は、戦後、パリに戻った1950年代にも確認できる。特別展示室(挿画本展示室)では、そんな挿画本コレクションのなかから、『日本昔噺』(藤田嗣治編集・訳/クロード・ファレール序文 アベイユ・ドール社 1923年刊)、『海龍』(ジャン・コクトー著 ジョルジュ・ギヨ社 1955年刊)など、日本文化をテーマとした作品を紹介する。
(美術展ナビ取材班)