【レビュー】かわいらしくも恐ろしい? 古代中国の「奇想」が満載――泉屋博古館東京で「不変/普遍の造形―住友コレクション中国青銅器名品選―」 2月26日まで

展示風景

不変/普遍の造形―住友コレクション中国青銅器名品選―
会場:泉屋博古館東京(東京都港区六本木1-5-1)
会期:1月14日(土)~2月26日(日)
休館日:月曜休館
アクセス:東京メトロ南北線の六本木一丁目駅北改札正面 泉ガーデン1F出口から徒歩3分、日比谷線の神谷町駅4b出口から徒歩10分、銀座線・南北線の溜池山王駅13番出口から徒歩10分
観覧料:一般1000円、高校生・大学生600円、中学生以下無料
※問い合わせはハローダイヤル(050・5541・8600)へ。
※詳細情報はホームページ(https://sen-oku.or.jp/tokyo/)で確認を。

怪力乱神を語らず――。
孔子は『論語』の中でこんなことをのたまわった。「君子(=教養があり人格も優れた“立派な”人)は怪しげなこと、理屈では説明がつかないようなことは語らない」ということだ。ちなみに「怪力」は「かいりょく」と読む。
孔子と言えば、中国4000年の歴史の中で、一、二を争う有名人。その聖人が言ったことだから、影響はとてつもなく大きかったのだろう。中国の歴史書などで怪物やら伝説やらの「奇妙なモノ」が扱われることはめっきり減ってしまったように思われる。中国といえば、「神話なき国」というイメージが強くなったのも、仕方のないことだろう。

《爵》=殷前期~西周前期(前14~11世紀)泉屋博古館蔵=の展示風景

とはいえ、泉屋博古館東京のリニューアルオープンを記念する展覧会のパート4、世界屈指の呼び声高い住友コレクションの中国青銅器を一堂に会した今回の展覧会を一覧すると、そういう中国のイメージが一面的なものでしかない、ということが良く分かる。古代中国で生み出された青銅器の数々はとにかく不思議なイメージに満ち、超絶技巧で創造されているのだから。かわいい動物を象った器から奇怪な古代神をモチーフにした文様まで、予備知識がない「一見さん」でも十分以上に楽しめるコレクションになっている。

《虎卣(こゆう)》殷後期(前11世紀)泉屋博古館蔵
《饕餮文方罍(とうてつもんほうらい)》殷後期(前12-11世紀)泉屋博古館蔵

展覧会は「神々の宴へようこそ」「謎多き文様の世界」「古代からのメッセージ 金文」「中国青銅器鑑賞の歴史」の4章構成。それぞれのコーナーで紹介される青銅器については、種類、用途、鑑賞のヒントなどが、事細かく説明されている。中国青銅器といえば、現代の日本ではとても使わない「難読字」で名前が付けられており、それによって「難しい」というイメージが先行してしまうのだが、今回のように丁寧な説明が付けられていると、「なるほど」と納得してしまう。公式ガイドブックである『中国青銅器入門』(山本堯著、新潮社)を併せて読めば、さらに理解はたやすくなるだろう。

《鴟鴞尊(しきょうそん)》殷後期(前13-12世紀)泉屋博古館蔵
《有翼神獣像(4体)》戦国前期(前5世紀)泉屋博古館蔵

紹介される青銅器を見ていて思うのは、バリエーションの多彩さであり、イメージの豊かさだ。特に楽しいのが、実在の動物や想像上の生き物の姿を象ったもの。ミミズクも「有翼神獣」も、そこはかとないユーモアをたたえ、愛嬌たっぷりなのである。いずれも無名の工人の作成したものだが、現代のアーティストでもこれだけのものが作れるだろうか、と思うほどの精巧で繊細、ち密な技術だ。改めて古代中国文明のレベルの高さを目の当たりにした気がする。

《円渦文敦(えんかもんたい)》=戦国前期(前5世紀)泉屋博古館蔵=の展示風景

青銅器を見ていて分かるのは、「神話なき国」中国でも、「君子」ではない「普通の人々」は「怪力」や「乱神」を信じ、おそれ、時にはそれらと親しんでいたということだ。『捜神記』や『聊斎志異』など、「大衆文学」を紐解くと、そういう姿も実は意外とたくさん見られたりもする。史書には表れない中国の庶民の息遣い。青銅器を見ていると、そんなものも、ほの見えてくるのである。

(事業局専門委員 田中聡)

《金銀錯獣形尊(きんぎんさくじゅうけいそん)》=北宋(10-12世紀)泉屋博古館蔵=の展示風景