【プレビュー】「マリー・ローランサンとモード」Bunkamura ザ・ミュージアムで2月14日から 京都市京セラ美術館で4月16日

マリー・ローランサン  《ニコル・グルーと二人の娘、ブノワットとマリオン》 1922年  油彩/キャンヴァス  マリー・ローランサン美術館  © Musée Marie Laurencin

マリー・ローランサンとモード
東京会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
会期:2023年2月14日(火)~4月9日(日)
休館日:3月7日(火)
入館料:当日一般 1,900円、大学・高校生 1,000円、中学・小学生 700円
問い合わせは050-5541-8600(ハローダイヤル)
詳しくは展覧会HPへ。
京都会場:京都市京セラ美術館 本館 北回廊1階
会期:2023年4月16日(日)~6月11日(日)
休館日:月曜日
入館料:当日一般 2,000円、大学・高校生 1,500円、中学・小学生 700円
問い合わせは075-771-4334
詳しくは展覧会HPへ。

戦争の惨禍を忘れるかのように、生きる喜びを謳歌した「狂乱の時代レザネ・フォル」。戦前の古き「良き時代ベル・エポック」への回帰を願いながらも、一方で過去と決別し新たな歴史の創造へ向かった1920年代のパリ。この時代に確かな足跡を残した二人の女性がいました。

セシル・ビートン 《お気に入りのドレスでポーズをとるローランサン》 1928年頃 マリー・ローランサン美術館  © Musée Marie Laurencin

マリー・ローランサンとココ・シャネル。美術とファッションという異なる分野に身を置きながら、互いに独自のスタイルを貫いた姿は、大戦後の自由な時代を生きる女性たちの代表ともいえる存在となりました。

本展は、美術とファッションの境界を交差するように生きた二人の活躍を中心に、モダンとクラシックが絶妙に融合するパリの芸術界を、オランジュリー美術館など国内外のコレクション約90点により展望します。

第1章 狂騒の時代レザネ・フォルのパリ

女性的な美をひたすら追求し、独特な色彩の肖像画で、瞬く間に人気画家に駆け上がったローランサン。一方でシャネルは、男性服の素材やスポーツウェアを女性服に取り入れるなど、革新的なファッションを打ち出しました。

この時代、シャネルの服をまといマン・レイに撮影されることはひとつのステータスでした。やがて『ヴォーグ』などの雑誌に掲載された、オートクチュールに身を包んだ女性たちが、時代のファッションを作り上げていくことになります。

マリー・ローランサン 《ヴァランティーヌ・テシエの肖像》 1933年 油彩/キャンヴァス ポーラ美術館

第2章 越境するアート

「国境を越え」「ジャンルを越える」。「越境」は1920年代のパリを語るうえで欠かせないキーワードです。

1920年代のパリには、スペインからピカソ、アメリカからはマン・レイなど、国境を越え、世界中から多くの若者が集まりました。故国の伝統とパリの国際性が見事に融合すると、独自でありながら普遍性を備えた、新たな表現が生まれました。

また、美術、音楽、文学、そしてファッションなど、様々なジャンルが垣根を越えて手を取り合うようになります。

代表的なのがセルゲイ・ディアギレフ率いるロシア・バレエ「バレエ・リュス」でした。フランスを中心に活躍したこのバレエ団は、「国境」も「ジャンル」も見事に越境し、1920年代のパリを象徴する存在となりました。ローランサンとシャネルも、この活動に参加することで表現の幅を広げ、新たな人脈を形成する糸口をつかみました。

マリー・ローランサン 《牝鹿と二人の女》 1923年 油彩/キャンヴァス ひろしま美術館

しかし、工芸・染色・ファッションなどの装飾美術は、依然として、絵画や彫刻などの純粋芸術に比べ、一段低い扱いを受けていました。

この状況を打破すべく、1925年にパリで開催された、現代産業装飾芸術国際博覧会、いわゆる「アール・デコ博」では、アール・デコを代表する装飾家アンドレ・グルーが手掛けた「大使夫人の寝室」の室内装飾に、ローランサンの作品が提供され、その見事な調和は大きな話題を呼びました。

マリー・ローランサン 《鳩と花》 1935年頃 油彩/キャンヴァス(タペストリーの下絵) マリー・ローランサン美術館 © Musée Marie Laurencin

第3章 モダンガールの変遷

1920年代、第一次世界大戦をきっかけに女性の社会進出が進むと、短髪のヘアスタイル、ストレートなシルエットのドレスをまとった女性が街を闊歩しました。新しい女性たち、“モダンガール”の登場です。

実は、こうした身体の解放や服飾の簡素化は、すでに世紀末やアール・ヌーヴォーの時代から進行していました。ポール・ポワレが1906年に発表したエキゾチックなハイ・ウェストのドレスは、コルセットから女性を解放。ポワレは、モードの改革者と位置づけられています。

ジョルジュ・ルパップ《ポール・ポワレの夏のドレス『ガゼット・デュ・ボン・トン』誌より》 1913年  ポショワール/紙 島根県立石見美術館

「ポワレが去り、シャネルが来る」――。ジャン・コクトーの言葉に表されるように、1920年代に入ると、複雑で東洋的、演劇的な要素の多いポワレのドレスよりも、人々は短いドレスに憧れるようになりました。

ガブリエル・シャネル 《デイ・ドレス》 1927年頃  神戸ファッション美術館

中でも、1926年にアメリカのファッション雑誌『ヴォーグ』でシャネルが発表した「リトル・ブラック・ドレス」は、新しい時代の到来とも言えるファッションでした。ユニフォームのようなニュートラルなドレスに、ジュエリーやスカーフなどを好きなように装飾で追加できるスタイルは、「新しいエレガンスの方程式」となりました。

1930年代になると、世界恐慌やファシズム台頭による不安な情勢から、復古調のロングドレスや装飾が復活します。シンプルなファッションよりも女性らしさが求められ、スカート丈は長く、女性的な曲線が好まれ、花柄などのモチーフも多く見られるようになりました。

マドレーヌ・ヴィオネ 《イブニング・ドレス》 1938年 島根県立石見美術館

一方、ファッションの動向に呼応するように、1920年代末頃からローランサンの作品にも鮮やかな色彩が見られ、真珠や花のモチーフが多用されるようになります。

マリー・ローランサン 《ばらの女》 1930年 油彩/キャンヴァス  マリー・ローランサン美術館 © Musée Marie Laurencin

帽子

忘れてならないアイテムが帽子です。ココ・シャネルのキャリアのスタートは帽子デザイナーでした。過剰な装飾を取り払ったデザインで評判を呼び、1910年にパリで「シャネル・モード」を開店すると、富裕層からの支持を得ました。ローランサンの絵画にも多く描かれているように、20世紀の女性のファッションにおいて、帽子は重要なファッションアイテムでした。

ガブリエル・シャネル 《帽子》 1910年代 神戸ファッション美術館
マリー・ローランサン 《羽根飾りの帽子の女、あるいはティリア、あるいはタニア》 1924年 油彩/キャンヴァス マリー・ローランサン美術館 © Musée Marie Laurencin

エピローグ ローランサンの色彩パレット

マリー・ローランサン  《ニコル・グルーと二人の娘、ブノワットとマリオン》 1922年  油彩/キャンヴァス  マリー・ローランサン美術館  © Musée Marie Laurencin

30年以上にわたりシャネルのデザイナーを務めたカール・ラガーフェルド(1933~2019年)は、2011年の春夏オートクチュール・コレクションでローランサンの色づかいから着想を得たと公言しています。ローラサンの初期の色調である「ピンク、消え入るような淡いグレー、そしてもっと抑えた筆致で、更に黒の点も加わった」(ラガーフェルド)もので、ローランサンの世界観が時代を越えて、現代のファッションにもインスピレーションを与え続けていることが分かります。

ローランサンとシャネル、生誕140年を記念して開催される本展。時代とともにありながら、時代を超えた存在となった二人の創作の真価を再発見できるでしょう。

(読売新聞デジタルコンテンツ部美術展ナビ編集班)

*Bunkamuraが4月から休館となるため、本展は現在のBunkamuraでの最後の展覧会になります。Bunkamura ザ・ミュージアムは夏以降、渋谷ヒカリエで展覧会を開催する予定です。