【3月末閉園】「星の王子さまミュージアム」(箱根)ルポ 永遠のファンタジーの世界を満喫 戦争の非道さも

数多くのミュージアムが立地する箱根の中でも、「星の王子さまミュージアム」(神奈川県箱根町仙石原)は、ひとつの物語をモチーフとするユニークな存在として1999年の開園以来、海外からも含めた多くの「星の王子さま」ファンを惹きつけてきました。コロナ禍による来園者減少や建物の老朽化により、残念ながら3月31日で閉園します。2022年の大晦日、名残を惜しむ人たちで賑わう同ミュージアムに伺ってきました。
大晦日の箱根は曇り空。“最後の年の瀬”を迎えた「星の王子さまミュージアム」はやはり大賑わいでした。昨年10月28日に閉園が発表され、翌日から大勢のファンが詰めかけました。その熱気は今も途絶えることなく、年末の人出は前年の倍といいます。この日も朝10時の開園前からゲート前には長い列。駐車場には関西や東北ナンバーの車も。さらにアジア各地からもはるばるファンが訪れており、場内では様々な言語が聞こえてきます。
同ミュージアムは1999年6月29日の開園。『星の王子さま』の著者、サン=テグジュペリ(1900年6月29日-1944年7月31日)の生誕100年を祝した世界的記念事業の一環として企画され、当時としては世界ではじめての「星の王子さまミュージアム」でした。
ミュージアムの中心となる展示ホールでは、サン=テグジュペリの写真や手紙、愛用品などの資料展示や彼が過ごした当時の風景が再現され、その劇的な生涯を紹介。『星の王子さま』が生まれた経緯を分かりやすく解説してくれます。彼は自由を希求し、ナチと戦う危険な軍役にこだわりました。




「星の王子さま」の世界観は映像やインスタレーションで紹介されています。大人も子供もじっくり楽しめます。原作を読んだことがない人でもストーリーを想像できるでしょう。
第二次大戦中、一時ニューヨークに亡命したサン=テグジュペリは、友人であるベルナール・ラモットの部屋をよく訪れました。彼のアトリエは当時の著名人たちのたまり場のようになっており、テーブルには訪問した人たちがそれぞれの名前を刻んでいきました。その複製が展示されており、幅広い交友を伺わせます。




300以上の国と地域の言葉で翻訳され、文字通り世界中で愛されている『星の王子さま』。戦争に散ったサン=テグジュペリといい、「大切なことは、目に見えない」というメッセージといい、困難な今の時代にこそかみしめたいあの世界観。閉園はやはり惜しいです。

東京から訪れた女性(45歳)は「昔、子どもを連れてきた時の印象が鮮明で、閉まる前にと思い来ました。ミュージアムがなくなってしまうのは残念ですが、ここで作品の背景を深く知ることができてよかったです。様々な読みができる『星の王子さま』は永遠のストーリーですね」と話していました。
【アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ】1900年6月29日、フランスのリヨンに生まれました。幼少の頃から空に憧れ、飛行士として活躍しながら、作家デビュー。飛行士の体験をもとに『南方郵便機』(1929年)、『夜間飛行士』(1931年)、『人間の大地』(1939年)など数々の作品を発表。第二次大戦中、亡命先のアメリカで『星の王子さま』を執筆し、1943年に出版。同年、軍に復帰し、翌1944年7月31日、地中海コルシカ島から偵察飛行に飛び立ったまま、消息を絶ちました。
同ミュージアムの公式サイト(https://www.tbs.co.jp/l-prince/)
Le Petit Prince™ Succession Antoine de Saint-Exupéry
Licensed by(株)Le Petit Prince™ 星の王子さま™
(美術展ナビ編集班 岡部匡志)