【開幕】生誕480年記念「徳川家康公展」久能山東照宮博物館(静岡市)で3月21日まで 愛刀ソハヤノツルキ、関ヶ原の歯朶具足から杖や眼鏡など身の回りの日用品まで

480年前の天文11年(1542年)12月26日、徳川家康が誕生しました。12月26日から久能山東照宮博物館(静岡市)で始まった「徳川家康公展」を取材しました。愛刀ソハヤノツルキ(前期展示)、関ヶ原の戦いで着用した甲冑・歯朶具足から、若き日の金陀美具足や人質時代に稽古に使った木刀まで。全国に建てられた東照宮の先駆けとなった神社ならではの充実した展示内容です。
「武人」家康の足跡




家康の遺言で久能山に

家康は元和2年(1616年)4月17日、駿府城(静岡市)で75歳で亡くなりました。死の2週間ほど前に死期を悟った家康は、側近の本多正純、南光坊天海、金地院崇伝を枕元に招き、次のように自分の遺体は太平洋を臨む久能山に納めるようにと遺言を残しました。
御終り候わば、御躯をば久能へ納め、御葬礼をば増上寺にて申し付け、御位牌をば三川の大樹寺に立て、一周忌も過ぎ候いて以後、日光山に小さき堂をたて勧請し候へ。八州の鎮守に成らせらるべし。『本光国師日記』より
この遺命により、亡くなったその日の夜のうちに久能山に移されました。社殿は5月から造営が始まり、翌年12月までに主要な建物が完成。その間に、朝廷から東照大権現の神号と東照社に正一位の位階が贈られました。こうして家康を祀る久能山東照宮が創建されたのです。

極彩色で総漆塗の権現造(本殿・石の間・拝殿からなる)の社殿は2010年、国宝に指定されています。
身の回りの”日用品”が久能山へ
天下人である家康の莫大な遺産のうち、「名物」と呼ばれるような宝物の多くは、息子の将軍家(二男・徳川秀忠)や御三家(九男・義直=尾張 、十男・頼宣 =紀州、十一男・頼房=水戸)へ譲られましたが、杖や眼鏡、中身が入ったままの薬瓶、手洗い用のタライや手ぬぐい(タオル)掛けなど、身の回りのものは亡きがらとともに久能山へ納められました。それらからは、飾らない家康の好みや日常が垣間見えます。


実は技巧とこだわりが尽くされた「ハイブランドな」日用品

写真では「地味」に見えるかもしれません。しかし、案内してもらった同神社権禰宜で博物館学芸課長の戸塚直史さんの説明を聞くと、「質素」だったわけではなさそうです。
例えばT字の杖が一木からの削り出しであったり、書棚は装飾は少ないものの400年経っても板材が反り返らないほど良質の素材にこだわっていたり、シンプルを極めたハイブランドな”用の美”を好んでいた様子がうかがえます。

これまでほとんど展示されてこなかった手爐(携帯用の火鉢)は必見。上から覗き込むとなんと灰が残ったまま。久能山に納められたあとに誰も使うことはなかったので、家康が暖を取ったときの状態と推定されています。
最近は「健康マニア」とも評される家康は、特に薬は自らの手で作るほどこだわっていました。薬草を擦り潰した道具(乳棒)の水晶部分は、圧がかかったためでしょう、濁っていました。鉢は割れたところが金継ぎされています。この鉢に相当なこだわりがあったと想像できます。製薬の方法が書かれている医薬書「朝鮮版 和剤局方」の左下にはページをめくったときに付く指のあとがはっきりと見てとれました。


世界史的に貴重な洋時計

スペイン国王フェリペ3世が慶長16年(1611年)に、漂流船への対応に感謝して家康に贈ったゼンマイ式の時打ち洋時計は、国内で現存最古。それだけでなく、中の機械部分が9割以上が現存していることが2012年に、大英博物館の調査で判明。この当時の洋時計で、内部の機構が残っているのは世界でも例がなく、世界史的にも貴重な時計です。
天下人へとのぼりつめていった家康の姿を、頭の中で生き生きと思い描くことができる「徳川家康公展」は、久能山東照宮博物館で12月26日から2023年3月21日まで。後日、戸塚さんの解説による会場の動画も公開します。(読売新聞デジタルコンテンツ部 岡本公樹)
新春特別展「徳川家康公展」 |
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会場:久能山東照宮博物館(静岡市駿河区根古屋) |
2022年12月26日(月)~2023年3月21日(火・祝)※会期中無休 ※刀剣は前期(2月17日まで)後期(2月18日から)で一部入れ替え。前期に重要文化財 太刀 無銘光世作(ソハヤノツルキ)を、後期に国宝 太刀 銘 真恒を展示 |
入館時間:9:00~17:00(最終入館時間は16:45) |
入館料(大人):博物館のみ400円 社殿共通800円 |
アクセス:久能山東照宮に登る自動車道はなく自動車の直接乗り入れは不可。参拝は「静岡鉄道 日本平ロープウェイ」か「久能山下からの徒歩ルート」(石段1,159段、約20分)で。 |
詳しくは久能山東照宮の公式サイトへ |