【レビュー】「マリー・クワント展」Bunkamura ザ・ミュージアムで1月29日まで  60年代の「ミニの女王」の自由な発想と行動力

PVC素材のレインウェアコレクション

マリー・クワント展
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム(東京都渋谷区道玄坂2-24-1)
会期:11月26日(土)〜2023年1月29日(日)
休館日:1月1日(日・祝)
開館時間:10:00~18:00(入館は17:30まで)
毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
※12/31(土)は18:00まで(入館は17:30まで)
観覧料:一般 1,700円、大学・高校生 1,000円、中学・小学生 700円
会期中すべての日程で【オンラインによる事前予約】が可能。予約なしでも入場できるが、混雑時には待つ場合がある。
予約方法などの詳細は展覧会公式HP
問い合わせは050-5541-8600(ハローダイヤル)

「ミニの女王」といえばツイッギーですが実は…

1960年代、ロンドン発ポップカルチャーが世界を席巻したあの時代を知る人はもちろん、若い人も楽しめる展覧会が、東京の文化の発信地、渋谷で開催中です。

会場入り口

“ミニの女王”「マリー・クワント展」は、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催された展覧会の世界巡回展です。モダンアートやデザインの分野を中心に膨大なコレクションを擁する同博物館の所蔵品を中心に、マリー・クワントがデザインした約100点の衣服や小物が展示され、写真や映像資料とともに、マリーがデザイナーとしての活動を始めてから最初の20年間をたどります。
当時を知る人には懐かしく、若い人たちの目にはきっと新鮮に映る、カラフルなファッションアイテムを満喫し、60年代を中心としたロンドンのストリートカルチャーを追体験してみませんか?

大ぶりなデイジーの花の形をしたモノトーンのロゴマークは、誰でも一度は見たことがあるのではないでしょうか。でも、マリー・クワントがビートルズの時代に、世界的なミニスカート流行の発信源だったことを知る人は少ないかもしれません。「ミニスカート」「ツイッギー」「反骨精神」。60年代から連想されるこれらのキーワードとともに、展覧会を見ていこうと思います。また、内覧会で聞いた、マリーと長年働いてきたヘザーさんのお話やメッセージも紹介します。

自分の着たい服を自分の手で

マリーは1930年、ロンドン生まれ。小さい頃からファッションが大好きでした。大学では美術を学び、そこで出会って後に夫となるアレキサンダー・プランケット・グリーンらと、1955年にロンドンのチェルシー地区にブティック「バザー」を開き、徐々に自分のデザインしたファッションアイテムを販売するようになります。

1960年、バザー・ナイツブリッジ店の前に立つマリー・クワント。左はマリーが14歳の頃のスケッチブック

第2次世界大戦終結から10年あまり、まだ階級社会が残るイギリスでは、ファッションは上流階級のものという認識が依然根強くありました。そこへマリーが「自分が着たい服」を自らデザインし、若者でも買える手ごろな価格でファッション市場に投入し始めたのです。バザーは最終的に3店舗を展開し、上流階級も普通の人たちも、皆同じようにマリーの服を求めて押し寄せました。その影響力は、販売するファッションアイテムにとどまらず、ショーウィンドウでも、斬新な表現で世間を驚かせていたようです。

中央のマネキンの足元の赤いロブスターは、当時のバザーのショーウィンドウを再現したもの。本物のロブスターにリードを付けて犬の散歩のようにディスプレイするなど、奇抜なアイディアで話題をさらっていたという

スカートの丈と女性解放

写真右:1960年、ニューヨークのダンスホールで踊るマリーとアレキサンダー。この頃のスカート丈はまだひざすれすれだった

マリーの服は海外でも評判になり、1960年代初頭にはアメリカのアパレル大手と結んだライセンス契約を皮切りに、世界各地に進出していきました。

また、マリーがデザインしたひざすれすれのスカートは、1960年ごろからメディアに取り上げられるようになりました。1963年に立ち上げた若者向け低価格帯の新しいライン「ジンジャー・グループ」で扱ったミニスカートも、ミニの普及に一役買いました。スカート丈は徐々に短くなり、1966年頃には「ミニ」という言葉とともにひざ上丈が世界に広がっていきました。ミニスカートは動きやすく、当時流行していたダンスを踊るにも最適と評判になり、女性解放の象徴ともとらえられたのです。

ちょうどその頃、細い体と短い髪が少年のようなツイッギーがモデルデビューしました。「小枝」を表すその名の通り華奢なツイッギーがマリーのミニスカートを身に付けた姿がメディアで紹介されると、マリーの服は一層話題になりました。ツイッギーはデビュー翌年の1967年に来日し、これをきっかけに日本でもミニスカートが大流行します。

《ベストとショートパンツのアンサンブルを着るツイッギー》 1966年 © Photograph Terence Donovan, courtesy Terence Donovan Archive. The Sunday Times, 23 October 1966

反骨精神と広報戦略

ヘザーさんは1970年代初頭にマリーから直々にスカウトされ、長年マリーと共に同社の海外展開やマリー自身の広報戦略を練ってきた

会場で展覧会の解説をしてくれたマリークワント社の元取締役、ヘザー・ティルベリー・フィリップスさんによると、マリーはインタビューが苦手など内気な面を持ち合わせる一方で、ファッション・ビジネスにおいては「過激で、反抗的で、不屈の精神を持った」女性とのこと。過激で反抗的といえば、この時代に世界を熱狂の渦に巻き込んでいたビートルズも若くて反抗的でした。

展示風景

マリーは1966年に、ファッション業界での輸出振興の功績を認められ、大英帝国勲章を受章しました。マリーは勲章を与えられることには驚きながらも素直に喜びましたが、叙勲式にはジャージー素材のミニのワンピースにタイツ、ベレー帽にぺちゃんこの靴と、自分がデザインしたアイテムで全身を包んで臨みました。

今でこそセンスの光る自己表現と考えられるかもしれませんが、1960年代に、他の受章者がイブニングドレスやタキシードで参列する中、カジュアルなイメージがあるミニのジャージードレスでバッキンガム宮殿へ乗り込むのは相当型破りなことだったでしょう。

当日のマリーの写真は世界中のメディアに取り上げられ、これによってまた、マリーのファッションが注目を浴びることになりました。

ファッションに新素材

PVC素材のレインウェアコレクション

それまでファッションアイテムに使われることがなかったPVC(ポリ塩化ビニール)素材のレインウェア、ジャージー素材のワンピースやジャンパースカート……。

色鮮やかなジャージーのミニワンピース

今見てもおしゃれでそのまま着られそうなアイテムばかりですが、当時を知る人にとっては本当に懐かしく、いろいろな思いがあふれてくるのではないでしょうか。

そんな感想を会場でヘザーさんに伝えると「私が世界各地の展覧会の会場で本当にうれしかったのは、見に来た人たちの会話が聞こえてくることでした。『夫と出会った時、ちょうどこんな服を着ていた』とか、『誕生日のパーティーでは、あんな服装をした』とか、そんなストーリーが聞こえて来るの。それに、同時代の人たちだけじゃなくて、18歳ぐらいの若い人も、『わぁ、こんな服着たい!』なんて言ってくれたりするんですよ」と話してくれました。

流行は繰り返すと言いますが、この場合は流行というよりも、今につながるより普遍的な価値観が、マリーが活躍した最初の20年間に生み出されたのだという印象を受けました。

戦後、社会が大きく変革したスウィンギング60’sと呼ばれる時代。この時代の人々は、着たい服を着て、聴きたい音楽を聴き、欲しいものがなければ作ってしまう自由な発想を、その後の私たちのためにも手に入れてくれたのではないでしょうか。マリーが、自分のファッションを完成させるために必要なタイツも下着も化粧品も自分で作ってしまったように。

マリーのファッションを着せ替えで楽しめる人形が1973年に発売された。デイジーのロゴマークにちなみ「デイジー人形」と名付けられた

最後に、ヘザーさんから日本の若い人たちにメッセージをもらいました。「マリーの服から是非インスピレーションを得て、自信をもって自由にファッションを楽しんでください。そして、どんどん外へ出て、目標に向かって進んで行ってください」。

コロナ感染拡大の影響で内向きになりがちですが、ファッションが人々を勇気付けることはできるでしょうか、と聞くと「もちろん、絶対にできますよ!そのためのファッションですから」と、力強く答えてくれました。
(ライター・片山久美子)

 
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