家康を夢中にさせた鷹狩とは? 企画展「鷹狩」徳川美術館で12月15日まで

企画展「鷹狩」が名古屋市の徳川美術館で12月15日(木)まで開かれています。徳川家康をはじめ武士たちが好んだことで知られる鷹狩は、単なる狩りではありませんでした。その実態や歴史的な意味を、美術品や歴史史料、剥製、そして現在でも鷹狩をしている人の情報から多角的にひもときます。

狩猟、遊び、権威の象徴
担当した徳川美術館学芸員の板谷寿美さんに案内してもらいました。
鷹狩は、鷹を使って獲物を捕らえる狩りの一種で、日本では古代から行われました。古代においては天皇が国見(領地支配)の一環として行われ、捕らえた獲物を臣下に配ることで、土地の支配者としての権威を高める意味があったそうです。
武士の時代になると、スポーツ的な遊興としても人気が高まりますが、権威の象徴や儀礼的な側面も持ち続けます。

鷹は本来、自分より大きい獲物は獲らないので、鶴など大型の鳥類を狩るには、鷹匠による専門的な訓練が必要です。鷹狩には鷹を育てる人材や技術のほか、鷹狩をする場所(鷹場)の管理も必要で、鷹狩ができることは武士の特権にもなったそうです。
鷹場の管理者が、土地の所有者と必ずしも一致していなかったのも興味深い点です。
こちらの地図「尾張家御鷹場絵図」は、主に尾張藩の重臣たちが鷹狩できるエリアを、それぞれ異なる色で塗り分けています。

地図では上のほうにある犬山城の城主をつとめた重臣・成瀬家の鷹場が、なぜか海側にあるなど、領地とは一致しないこともありました。
江戸時代の武士たちにとって鷹狩は、社会的なステータスでしたが、庶民にとっても、生活のための狩りや害獣駆除に支障があったり、一方で普段会うことのない殿様が来て接待をしたりする機会になるなど、身近なものでした。しかし、明治以降、武士がいなくなるとともに鷹狩も行われなくなり、多くの鷹匠たちは職を失ってしまいます。
謎の解明と新たな謎
日本の歴史上、重要な鷹狩文化ですが、現代人にはさらに遠い存在になっています。本展では、現在でも鷹狩をしている愛知県在住のマンガ家ごまきち氏や、名古屋市科学館の学芸員らの協力で、鷹狩の謎の解明もしていきます。
例えば、こちらの屏風絵は、尾張藩お抱え絵師の伊島牧斎が描いたものです。警戒心の強い鷹が見知らぬ人には見せないリラックスしたポーズをとる鷹が描かれていたり、幼鳥と成鳥の目の色の違いを描き分けたりしていることも明らかになりました。しかし、この伊島牧斎は鷹匠の家の生まれだったので、それも納得です。

下の「鷹狩絵巻」ではたくさんの男たちが川の中に入って騒いでいる様子が描かれています。最初は彼らがなにをしているのか分からなかったそうですが、ごまきち氏に聞くと、水辺の草むらにいる「バン」という獲物となる鳥を狩るには、鷹狩をするのとは別の人たち(勢子)がまず追い立てる必要があるのだそうです。


実際に、現代の鷹狩でも川に入って同じようなことをしていたそうです。
ところが、このバンは今年から狩猟が禁止されました。そのため、本展が無ければ、この絵に描かれた行為の意味を理解できる人が、近い将来いなくなっていたかもしれません。

こちらの木の棒3本をまとめた鷹狩の道具(杉丸箸)は、鷹にえさをあげる「箸」と思われていましたが、ごまきち氏によると、同じ音を持つ「丸嘴(まるはし)」という語ならわかるが、この杉丸箸は、そうではなさそうであることも判明。逆に新たな謎も増えました。
企画展「鷹狩」 |
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会場:徳川美術館・名古屋市蓬左文庫(名古屋市東区徳川町1017) |
期間:2022年11月12日 (土) ~12月15日 (木) |
開館時間:午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで) |
休館日:月曜日 |
観覧料:一般 1,200円・高大生 700円・小中生 500円 |
詳しくは徳川美術館公式サイトへ |
(読売新聞デジタルコンテンツ部 岡本公樹)
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