狩野探幽の名古屋城本丸御殿の襖絵13面が初の一挙公開 名古屋城西の丸御蔵城宝館で12月18日まで

関ヶ原の戦いのあと、徳川家康は1610年(慶長15年)から名古屋城の築城を始めました。本丸御殿も家康が建てたものですが、1634年(寛永11年)に、3代将軍徳川家光が上洛する際に、尾張徳川家が家光用の御書院(上洛殿)を増築しました。この上洛殿の襖絵は、狩野探幽(1602~1674年)が手がけたもので、探幽の襖絵を含む本丸御殿の計1047面の障壁画が重要文化財に指定されています。

名古屋城の本丸御殿や天守はともに江戸時代以降も残り、1930年(昭和5年)には城郭建物として第1号の国宝となりました。しかし、1945年5月14日に米軍による空襲で、天守や本丸御殿は全焼。ただ、本丸御殿の襖絵や天井画などは事前に取り外されていたため無事でした。

昨年11月、名古屋城内に、障壁画の保存・公開などを行う「西の丸御蔵城宝館」がオープン。今年11月19日から12月18日まで開かれている企画展「本丸御殿に秘められた意味-将軍たるもの、清貧であれ、人格者たれ-」で、初めて13面の探幽の襖絵が同時に一挙公開されています。

重要文化財 帝鑑図襖絵 狩野探幽筆 寛永11年(1634年) 名古屋城総合事務所蔵

城宝館ができるまでは、展示スペースの問題から襖としてセットとなる最大4面までの展示しかできませんでした。企画展を担当する名古屋城調査研究センター学芸員の朝日美砂子さんは「並べて展示することで、狩野探幽の画家としての個性がよく分かります」と話します。

注目したいのは、本来は柱を挟んで別の壁面になる部分のつなげ方です。
「例えば、襖絵にまたがるように、木の枝や建物などたくさんの情報を描き込むほうが、つながって見えやすいので、描くほうにとっては楽です。しかし、探幽はあえてそれをせず、わざと余白を広くして、空白を描き残す、つまり余韻で絵と絵をつなげているのです」と説明します。

城宝館で重要文化財の実物を見たあとには、復元された本丸御殿で当時の配置で並ぶ復元の襖絵を見ることもできます。「空間の描き方から探幽の画家としての力量の高さを確かめてみてください」と朝日さんは話しています。

復元された本丸御殿の上洛殿

企画展「本丸御殿に秘められた意味」は12月18日まで。城宝館や本丸御殿は無料ですが、名古屋城への入場料(大人500円など)が必要です。
(読売新聞デジタルコンテンツ部 岡本公樹)