【レビュー】からまり、もつれ、うごめく刺繍ー「沖 潤子 さらけでるもの」 神奈川県立近代美術館 鎌倉別館で2023年1月9日まで

沖潤子《レモン1》2021  75.5cm×70.5cm×9.0cm 綿、絹

1951年に開館した日本初の公立近代美術館、神奈川県立近代美術館。現在は、葉山館と鎌倉別館の2つの拠点で活動を行なっている。開館当初からの旧鎌倉館が2016年3月に閉館した後も、精力的に同時代の作家の活動を紹介している。2019年10月にリニューアルオープンした鎌倉別館では2023年1月9日まで、刺繍で表現活動を行う作家、沖潤子の美術館での初の個展が開かれている。従来の刺繍という概念を覆す作品約80点が集結し、まとまってみられる絶好の機会となっている。

沖潤子《柘榴》2020 40.2cm×30.4cm×6.0cm 麻、綿、絹(左)、《柘榴》の細部(右)

沖潤子の刺繍による創作では、数本をとり合わせて縫う刺繍糸が使われず、糸の中でも非常に細い糸であるミシン糸、ボタン穴のかがり糸に使われる太くて丈夫な穴糸、手縫い用の手縫糸が使われる。それらは刺繍に特化した均一な素材ではなく、それぞれ用途も太さも強度もバラバラに異なる糸。糸の太さや針を引く強さによって布によれや起伏が不規則にできている。細部を見れば、作家の一針一針のジェスチャーが感じられ、全体を見ればうごめく微生物のようにも見える。沖の刺した針目は従来の刺繍のように整然と具体的な図柄を描き出すために布の面や隙間を埋めていくのではない。縦横無尽に自由に這い回っている。夥しい数の針目を見ているとそこに費やされた途方もない時間を想像して気が遠くなる。

「つくる」ことの源泉

沖潤子《檸檬》2013  69.6cm×55.8cm×5.9cm 麻、綿、木製額縁 (左)、《檸檬》の細部(右)

沖は、2002年頃から刺繍による表現で本格的に作家活動を開始する。元々、絵が好きであった沖は、絵画に没頭する学生時代を過ごした。一時は、美術大学受験を目指すも、受験用の技法を学ぶことに嫌気がさして取りやめる。その後、セツ・モードセミナーを卒業し、商品企画会社にプランナーとして就職する。ところが、クライアントやマーケットを意識したものづくりと自身の作りたい創作とのジレンマに苦しんだという。そんな矢先、自身が創作活動を始めるきっかけとなった出来事が起こる。

沖の娘が作ったバッグ 2000年頃

母を亡くしたことと娘からもらった誕生日プレゼントでその転機は訪れた。

1995年に母を亡くした沖は、母が生前大切に使っていた布や糸巻きの数々を遺品として受け継いだ。洋裁を得意とする母が大切にしていた品々、それらを使用することははばかられ、手をつけずにいた。その数年後、沖は誕生日に娘からお手製の手提げバッグをもらう。それは沖の母が大切にしていたイギリスの生地メーカー「リバティ」の布を切って裏地にしたものだった。沖の母の孫である娘は、つくりたい一心で「そこにあったもの」でバッグを作った。沖はこのバッグから、あることに気がついた。大切にしているものも手を加えれば新しい何かに生まれ変わる。それも受け継ぐということになる。沖は、これを機に、「つくる」ということについての考えを大きく変える。

沖の祖母の創作。女学校に入学する沖の母のために、祖母が作ったセーラー服

もう一つ、沖の創作の源になっているのが、沖の祖母が作ったセーラー服。それは、太平洋戦争末期で物資が乏しい中、創意工夫を凝らして娘のために作られたものだった。身頃みごろは着物の襦袢、襟・カフスはズボン、白線は刺繍のステッチの繰り返しで作られている。沖の母が大切に保管し、今日まで受け継がれてきたという。娘への愛情が「つくる」ことの源であった。沖の祖母から娘までと4世代の女性たちを繋ぐ「つくりたい」という気持ちは、沖の創作の時間の中に深く刻まれている。

糸と針で受け継ぎ「まざっていく」

沖潤子《祈り》 2009  63.0cm×51.0cm×7.7cm 綿、紙、木製額縁 額縁には、古い木製木枠を用いている

初期のころは、手元にあったバッグやクッション、子供服、ネクタイ、ストールなど実用性のある素材に刺繍をしていた。沖は、さまざまな古い布に対して敬意を払いつつ、それらを生かし自分の創作を加えていくことを「まざっていく」という言葉で表現する。一針一針、布に糸をくぐらせていくという刺繍が「まざっていく」ために沖が選んだ手段であった。また、刺繍を施した後、全体を洗いにかけるという。すると、糸や布から染料が染み出して、色が滲みだし、混じり合う。ものが歩んできた歴史や物語に作家の創作時間と予期せぬ偶然が折り重なり、新旧が「まざっていく」。

時間の層の重なり

沖潤子 《初恋》2015  55.3cm×36.8cm×31.6cm 紙、綿、ガラスケース

刺繍は、平面的なものから立体的になっていく。沖は、作品制作に打ち上げ花火の火薬を詰める容器である玉皮たまがわを使う。玉皮の球体に沿って布を縫う。玉皮を布の中に残したままの作品もあれば、取り除き抜け殻のようになった作品もある。

上段 沖潤子 《ネクター》 2020 30.3cm×30.3cm×3.8cm 麻、綿、絹、《泰山木》  2020  66.3cm×65.5cm×6.0cm 綿、麻、《アネモネ》 2020 45.3cm×40.0cm×3.8cm 綿、絹、
下段 《百日紅》 2020  65.3cm×60.2cm×5.7cm  綿、絹 、《プラタナス》 2020 65.3cm×65.3cm×5.8cm 麻、綿、絹

円形は初期の作品から頻繁に登場するモチーフ。時間においては刺繍の始まりにもなれば、空間においては中心のようでもある。波紋のように、または渦巻き状、螺旋状に中心から外側に向けてステッチの幅や大きさで針目の階層がはっきり分けられているものもあれば、円の中の隙間を不規則に埋め尽くしているものもある。毛布やフェルトの縁をかがるかがり縫いの一種であるブランケットステッチも見られる。

沖潤子《レモン1》2021  75.5cm×70.5cm×9.0cm 綿、絹

糸を巻いて束にしてある状態のかせ糸(巻き束)がそのまま使われている作品もある。洗いをかけたことによる色の滲みと相まって、画面に奥行きと動きを与えている。また、結び目を作って縫うノット・ステッチなどによる異なるステッチの階層が遠近感を生み出している。

沖潤子《抱擁 1》  2021 111.5cm×105.5cm×6.5cm 綿、絹 (左) 《抱擁 2》 2021 111.5cm×105.5cm×6.5cm  綿、絹(右)

沖は近作で、古い陶芸の修復の技法である金継ぎの一種、「よびつぎ」の技法を取り入れている。「よびつぎ」とは、割れた陶器の破片が一部足りない場合、他の陶器の破片を漆で繋ぎあわせて形を作ることをいう。自身の作品を裁断して自身の他の作品と継ぎ合わせて作品を完成させる。他の人から受け継いだ布以外にも、自身の過去作を用いて新しいものへと変容させていく。

沖潤子《月と蛹 08》 2017 110.3cm×66.3cm×2.8cm ヘンプ、絹、包帯、鉄、蜜蝋

沖は、作品のあらゆる可能性に挑戦する。表面からしか見られない平面的な「絵画」のような刺繍を真四角の額から解放する。刺繍をより多角的に見られるような額装の工夫や展示の方法が施される。布という支持体を生かした自由な発想の額装には、古い鉄枠、車輪などが使われる。

沖潤子《伝言》 2019 24.8m×36.2cm×35.7cm 樹脂、針、糸、木製朱塗膳

沖の途方もない創作時間、そしてその創作の場である布の上では、祖母や母、自身と娘という4世代の女性の創作の遺伝子がコミュニケートしつつ、素材が歩んできた歴史や物語、自身の過去と現在が交感する。

今日も沖の刺す針目は布の上をからまり、もつれ、新旧の時間のはざまを自由電子のようにうごき回る。(キュレーター・嘉納礼奈)

沖潤子 さらけでるもの
会場: 神奈川県立近代美術館 鎌倉別館(神奈川県鎌倉市雪ノ下2-8-1)
会期:2022年9月17日(土)~ 2023年1月9日(月・祝)
休館日:月曜(1月9日は開館)、2022年12月29日 ~ 2023年1月3日
開館時間:午前9時30分 ~午後5時(入館は午後4時30分まで)
入場料:一般700円、20歳未満・学生550円、65歳以上350円、高校生100円。※中学生以下と障害者手帳等をお持ちの方(および介助者原則1名)は無料
詳しくは展覧会サイト
かのう・れな 兵庫県生まれ。フランス国立社会科学高等研究院 (EHESS)博士号取得(社会人類学及び民族学)。パリ第4大学美術史学部修士課程修了。国立ルーブル学院博物館学課程修了。国内外で芸術人類学の研究、展示企画、シンポジウムなどに携わる。 過去の展示企画に、「偶然と、必然と、」展(アーツ千代田33312021年)、“Art Brut from Japan(プラハ、モンタネッリ美術館、2013年~2014年)などがある。ポコラート全国公募のコーディネーター(2014年~)。共著に「アール・ブリュット・アート・日本」平凡社(2013年)、“ lautre de lart ” フランス・リール近現代美術館(2014年)