【動画プラス】「将軍家の襖絵―屏風絵でよみがえる室町の華―」根津美術館で12月4日まで 室町時代の日本人が見たことのなかった最新モード

「将軍家の襖絵―屏風絵でよみがえる室町の華―」が根津美術館で11月3日から12月4日まで開かれています。美術展ナビではこの展覧会の見どころについての動画を制作しました。撮影にあたって、根津美術館学芸部長の野口剛さんに「そこからですか?」レベルの基本のところから教えてもらいました。動画にプラスする展覧会の見方のひとつとして、参考にしてください。(読売新聞デジタルコンテンツ部 岡本公樹)

なぜ「ふすま」を「屏風」で再現するのか?

「ふすま(襖)」と聞くと、4枚の紙を貼った仕切りを横にスライドさせるものを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?
板状なので外せるし、外せば屏風と同じように持ち運びができる、と記者も考えていました。
ただ本展を鑑賞するにあたっては、「ふすま」に描かれた絵というイメージを一度外してみたほうが良さそうです。
図録では、「壁貼付絵等も含む障壁画を、本展では襖絵と総称する」とあります。これはどういうことか? どうやら現代人がイメージしたときに近いのは、温泉旅館の「ふすま」というよりも、部屋の壁一面に描かれた「壁画」のようなのです。

JIS規格は室町時代にはなかった

同じ室町時代でも、大型の屏風絵は残っているのに、足利将軍邸の襖絵は一切残っていません。その理由は、応仁の乱だけではありません。動画でも紹介したように、江戸時代の将軍がずっと江戸城にいたのとは異なり、室町時代の足利将軍は代ごとに新しいところ(京都内)に引っ越しをして、そのたびに新しい将軍邸を作っていました。
襖絵は「壁」の一部や壁そのものでしたから、屏風のようには移動できません。また、当時はJIS規格なんてものはないので、建物を新しく造ると、同じような部屋でも同じ寸法にはならず、襖絵をもし移築できたとしても合わない可能性が高かったのです。

さらに、それぞれの将軍の好みの問題もありました。足利将軍邸は、当時の時代の最先端を走るニューモードであることが特徴でした。将軍によって異なる感性に加えて、デザインの世界は数十年で古く感じてしまうのは今も変わりません。

その結果、襖絵は、使い回しができないことや、インテリア的に「最先端ではない」ことから、一種の消耗品扱いだったというのです。

なにが描かれていたのか?

斧で切られたような岩、滝と橋を渡る人のモチーフ、室町時代の人々は山水図に新しさを感じた 「四季山水図屏風」天章周文[伝]白鶴美術館蔵

現代の日本人が水墨の山水画を見たとき、「伝統」や「歴史」を感じるという人が多いのではないでしょうか?
しかし、室町時代の日本人は中国から来た山水画を見て「これが世界の最新モードか!」と、そのビビッドさと新しさに魅入られたのです。

足利将軍邸には、たくさんの部屋がありましたが、その多くの部屋の壁面には、当時最先端のアートだった中国(南宋時代)の絵画をベースにした襖絵が、日本人の絵師の手で描かれることになります。

筆様とは?「印象派スタイル」「ゴッホ風」

さて、新しく将軍に就任し、邸宅を新築することになった足利将軍は、日本の絵師たちに、「この部屋は印象派風に、こっちの部屋はゴッホ風に、あちらの部屋はバンクシー・スタイルで」と注文します。この「~風」や「~スタイル」が、本展で頻出する重要な用語「筆様(ひつよう)」です。

右:雪舟等楊「倣夏珪山水図」個人蔵 左:狩野正信「山水図」九州国立博物館蔵

例えば、本展の序章で、雪舟が中国の宮廷画家「夏珪(かけい)」の画風を倣った「倣夏珪山水図」(前期)が展示されています。
これを「夏珪様」と言います。「夏珪さま」ではなく「夏珪よう」と読みます。
後期には、雪舟が同じく中国の画家「李唐」の画風を倣った「倣李唐牧牛図」が展示されます。これは「李唐様」になります。繰り返しになりますが、「さま」ではなく「よう」です。

その隣には、幕府の御用絵師の狩野正信が描いた「山水図」(前期)があります。この絵は、南宋の画家・馬遠スタイルで描かれていることから、「馬遠様」の絵として狩野派が描いたと考えられています。後期には、将軍に仕えた同朋衆として知られる芸阿弥が描いた「観瀑図」が展示されます。こちらは「夏珪様」とのこと。
実際に描いた日本の画家と、モデルにした中国の画家の名前で混乱しそうになる時は、「~様」は「夏珪スタイル」「馬遠スタイル」など、頭の中で言い換えると分かりやすいかもしれません。

なぜ完コピしなかったのか?

ここで、別の疑問が浮かびました。当時、日本で一番のお金持ちの足利将軍なら、「~スタイル」ではなく、本物を、もしくは本物の完全な模写をしてしまえばよかったのではないか?と。
その答えの一つは、サイズです。将軍が欲しいのは、デザイン化された部屋の空間そのものであり、「壁画」なので、大きすぎて中国から輸入できなかったのです。(もしも海運で運べたとしても、完成した建物に設置しようとしたらサイズが合わない恐れがある)

では、どうやって、足利将軍たちは最新の中国の画家たちの作風を知ることができたのでしょうか?

国宝「鶉図」李安忠[伝]根津美術館蔵

そのヒントは、会場の冒頭に飾られている国宝の「鶉図」(後期は伝 牧谿「竹雀図」)にありました。ウズラが今にも動き出しそうな緻密な描写がされていますが、そのまま襖絵にするには小さなサイズ(24.4センチ×27.8センチ)の絵です。
足利将軍が持っていた中国絵画の原本は、今は1つ1つが国宝などになっていますが、室町時代に日本に来たときは、何枚もの絵が複数載っているアルバム状か、横スクロールしていくと色々な絵を見ることができる巻物状だったと考えられているそうです。
そうした絵がたくさん載っているハンディーなものを、「画本(えほん)」と呼び、こちらの用語も「~様」と同様に、本展のキーワードです。

画本は、印刷物ではなく、画家が描いた絵そのものなので、まさに1点ものの貴重なもの。それを所持できたのが足利将軍でした。

繰り返しますが、新しい足利将軍は、先代とは別の場所に新しい邸宅を造ります。そのときに「この部屋は、夏珪スタイルで」と注文するわけですが、日本の絵師は、夏珪がどんな絵なのか分かりません。そこで、将軍が特別にこの貴重な「画本」を貸し出してくれるというわけです。

絵師たちは、画本を見ながら、「夏珪」の絵を見て、学び、描いては試すを繰り返します。元の画本にある絵は小さいので、同じ大きさで正確に模写するだけでは、大きな壁一面を埋めることはできません。例えば、マンガの一コマを拡大して壁に貼っても、そのマンガの世界が伝わらないように。そして、絵師たちはついに「夏珪スタイル」を、キャンバスの大きさに関わらず、自在に描けるようになったのです。

ただ、当時の絵師たちが大変なのは、「夏珪スタイル」だけを習得すれば事足りたわけではないことでした。
「夏珪スタイル」を発注した将軍は、銀閣寺で知られる8代将軍足利義政でした。義政が建てた邸宅「東山殿」の数ある建物のうち接客などをする中枢的な建物「会所」には、7つの部屋(納戸などを除く)がありました。その一つ「西茶湯間」のインテリアが「夏珪スタイルの山水画」でしたが、隣の部屋は「馬遠スタイル」、また別の部屋は「李安忠スタイル」と、部屋ごとに異なるインテリアデザインが要求されていたのです。

こうして新しい邸宅が完成すると、足利将軍は、大名や公家、時には天皇も招きました。邸宅の中には、当時の日本人がだれも見たこともないような、世界最先端のグラフィカルな世界が次々に展開されていったのです。

室町時代の水墨画に大きな影響を与えた夏珪様の山水図 「秋冬山水図屏風」狩野元信[伝]九州国立博物館蔵(通期)

元が小さい絵だったゆえに

壁画(襖絵)を描くために参照元となった中国から輸入された絵は、アルバム状だったり巻物状だったりと小さいサイズでした。そのことが、日本独自の美の発展に結びついていきました。

国宝の「鶉図」のように中国では優れた花鳥画が描かれました。花鳥画は、山水図に並び、将軍が大好きなジャンルでした。8代足利義政は会所の座敷を「馬遠スタイルの花鳥画」と指定しています。
風景画である「山水図」を壁面に描くことは、構成上、それほど難しくはなかったでしょう。しかし、画本をベースにした「スタイル」を守りながら、小さな花や鳥で壁面を一杯にするには、かなりの工夫や発想の飛躍が必要です。

「四季花鳥図屏風」 狩野松栄 山口県立美術館蔵(通期)

そこで日本の絵師たちがたどり着いたのが、背景に山水図を描いてから、花や鳥を描き加えていく、山水図と花鳥図のハイブリッドな絵画表現でした。こうした「四季花鳥図」は、その後の日本美術の絵画でスタンダードな構成となりますが、もとは室町時代の絵師たちの創意工夫の結果なのだそうです。

動画には盛り込めなかった、野口さんが教えてくれた展覧会の見方の一部を紹介しました。ぜひ会場を訪れて鑑賞のヒントにしてみてください。

特別展 将軍家の襖絵―屏風絵でよみがえる室町の華―
会期:2022年11月3日(木・祝)〜12月4日(日)
会場:根津美術館 (東京都港区南青山6-5-1)
開館時間:10:00〜17:00 (最終入場時間 16:30)
観覧料: 一般 1,500円/学生 1,200円/中学生以下は無料
※オンラインでの日時指定予約が必要です。
休館日:月曜日
アクセス:地下鉄銀座線・半蔵門線・千代田線表参道駅下車、徒歩約10分
詳しくは同館の展覧会HPへ。