【レビュー】「ヴァロットン―黒と白」“黒”を操る画家の木版画が一堂に 三菱一号館美術館で来年1月29日まで

19世紀末のパリで活躍した画家、フェリックス・ヴァロットン(1865~1925年)の画業のうち、木版画のキャリアに注目した展覧会「ヴァロットン―黒と白」が三菱一号館美術館で2023年1月29日まで開催中です。彼の豊富な木版画コレクションを擁する、同館ならではの企画となっています。※作家名の記載がないものは、すべてフェリックス・ヴァロットンによる

ヴァロットン―黒と白
会期:2022年10月29日(土)~2023年1月29日(日)
会場:三菱一号館美術館(東京都千代田区丸の内2-6-2)
開館時間:10:00~18:00 ※入館は閉館の30分前まで
(金曜日と会期最終週平日、第2水曜日は21:00まで)
観覧料:一般1,900円 高大生1,000円 中学生以下無料
休館日:月曜日、12月31日、1月1日
※11月28日、12月26日、1月2日、1月9日、1月23日は開館
アクセス:JR「東京」駅(丸の内南口)徒歩5分
詳しくは美術館公式サイトへ。https://mimt.jp/

稀少な揃い物を含めた約180点が初公開

会場風景

版画といえば、色鮮やかなリトグラフ(石版画)が隆盛だった19世紀末のパリ。ヴァロットンは初期こそリトグラフやエッチング(銅版画)を手掛けていたものの、その後はあえて木版画で制作を行っています。しかも彼が表現したのは、強烈な印象を与える黒一色の世界。一度見たら忘れられないこれらの作品は、瞬く間にヨーロッパ中に知れ渡りました。

《1月1日》 1896年 木版  奥に見えるのはこの作品の版木。日本の版木と異なり、かなり分厚く固い木材が使われている

本展はヴァロットンが木版画に着手する少し前の作品から、円熟期、そして木版画から離れるまでを、全5章でひも解きます。会場では画家の集大成とも言える〈アンティミテ〉など、稀少な揃い物を含めた約180点の木版作品を初公開。同館は2014年にもヴァロットンの回顧展を開催したほか、折に触れて彼の作品を紹介していますが、本展は、木版画を特集する企画だからこその作品が充実しています。

会場風景 ロートレック美術館の特別協力により、ヴァロットンとロートレック、それぞれがどのように女性を描写したか比較できる部屋も

外から内へ ヴァロットン芸術の昇華

ヴァロットンの木版画にはパリに集う群衆の日常やいさかい、男女間に漂う不穏、そして肖像画など、様々な画題が登場します。どのシリーズも魅力にあふれていますが、やはり白眉は室内画でしょう。それまで街中や公の場をモチーフにしていたヴァロットンは、1894年頃から室内画を多く手掛けるようになります。

《怠惰》 1896年 木版

1896年に《怠惰》、そしてシリーズ〈楽器〉と、画家は親密な空間をテーマにした作品を発表。それまでの作品より、さらに洗練された画面構成の核を成したのは、やはり「黒」でした。もともと黒が占める面積の多かった彼の版画は、やがて「闇が徐々に画面を浸食する」かのような構図へと姿を変えていきます。

そしてついにヴァロットン版画の真骨頂ともいえる〈アンティミテ〉のシリーズが生み出されるのです。

垣間見える画家自身の「不穏」

『〈アンティミテ〉ポートフォリオ』 1898年 厚紙による紙ばさみ

ヴァロットンの様式が完成されたともいえる〈アンティミテ〉は、それまでの皮肉やブラックユーモアも交えながら、室内全体に漂う不穏な空気を見事に表現した傑作です。画家自身によってつけられた意味深なタイトルもさることながら、描かれた男女が織りなす謎めいた雰囲気は、高く評価されました。

この頃ヴァロットンは大きな画廊の未亡人と再婚し、経済的な安定を手に入れます。それによってブルジョワジーとの交流も増え、新たな人間関係を築くようになりました。──と書くと順風満帆のように見えますが、彼にとって結婚生活は、必ずしも安寧をもたらすものではなかったようです。

《お金》(アンティミテ Ⅴ) 1898年 木版

かつてヴァロットンは、ピエール・ボナールらが参加していた若き前衛画家集団「ナビ派」の画家でもありました。そこではそれぞれに「〇〇のナビ」というニックネームのようなものがつけられており、スイス出身の彼は仲間から「外国人のナビ」と呼ばれます。フランスの都市生活者が多かったナビ派の中で、ヴァロットンは彼らとの間に見えない隔たりを感じていたのではないでしょうか。

《〈アンティミテ〉板木破棄証明のための刷り》 1898年 木版  限定部数の作品の希少性を高めるために、版は破棄されることが多かった。各作品の一部をこのように並べてもとの版木を分割したことを示しているが、単なる証明を超えたデザインが光る

ヴァロットンの作品からは、どこか「パリの人間」になりきれない、その輪から距離を置いたような視線を感じます。同じ集団の中にいても外国人であること、ブルジョワ階級に身を置いていても周囲とは家柄が異なること。内に潜むかすかな居心地の悪さが、皮肉や不穏の香る黒の画面を作ったのかもしれません。

手前《有刺鉄線(これが戦争だ! Ⅲ)》 1916年 木版

ヴァロットンは一旦木版画から離れるも、第一次世界大戦の惨状を描いた〈これが戦争だ!〉を制作するために、再び木版画に取り組みます。彼にとって木版画は、内なる意思を表現する格好の手段だったのかもしれません。

臨場感あふれる音声ガイド

さて、本展にはそんなヴァロットンの世界を一層盛り上げてくれる、素晴らしい音声ガイドがあります。声優であり俳優の津田健次郎さんがナビゲートしてくれるのですが、これが本当に凄い! まるで同じ室内を共に歩いているような臨場感あふれるサウンド、解説や逸話の数々、そして何より作品の持つ世界観と一致したナレーション。展示作品、構成、会場、音声ガイド、全てがひとまとまりになった時の、この展覧会が放つ迫力は絶大です。

音声ガイドは「三菱一号館美術館音声ガイドアプリ」(iOS/Android)で配信。スマートフォン、タブレットに一度ダウンロードすれば、配信期間中に限りいつでもどこでも再生可能

色鮮やかにきらめくベル・エポックのパリを、黒と白で彩ったフェリックス・ヴァロットン。「ヴァロットン―黒と白」は、三菱一号館美術館にて2023年1月29日までの開催です。(ライター・虹)