【開幕】「闇と光 ―清親・安治・柳村」が太田記念美術館で12月18日まで 明治の浮世絵の新境地「光線画」の世界

11月1日より「闇と光 ―清親・安治・柳村」が太田記念美術館(東京・原宿)にて開幕しました。*12月18日まで、前期(~11月23日)、後期(11月26日~)で全点展示替えされます。
本展は月岡芳年と並び「最後の浮世絵師」と称される小林清親(1847~1915年)を中心に、清親の弟子である井上安治(1864~89年)、そして謎に包まれた絵師・小倉柳村(生没年不明)の3人が取り組んだ、「光線画」というジャンルに着目した展覧会です。
光線画とは?
「光線画」とは、主に明治9年(1876)から明治14年(1881)までの6年の間に制作された、浮世絵による風景画のひとつです。
文明開化が進み、ガス灯が普及し始めたこの時代。闇を灯す光によって、それまではただの暗がりであった場所が、新たに「夜景」として生まれ変わりました。また、西洋から入ってきていた油彩や水彩、銅版画、石版画、そして写真といった新しい技術を、貪欲に吸収していた時代でもありました。

そのような中、清親と彼の版元は、木版画の技術を使って西洋の表現に挑戦します。それまでの浮世絵にはなかった闇の中に灯る繊細な光を、薄暮の時を、残照を、新しい木版画で作り上げようとしたのです。これが「光線画」の始まりでした。
本展では光線画が描かれた代表的なシリーズをほぼ網羅し、前期100点、後期100点の計200点でその魅力に迫ります。
それまでの浮世絵から、新しい浮世絵へ
木版浮世絵の技術を使って西洋の表現を得るために、清親はどのようなことをしたのでしょうか。


伝統的な摺り違いの技法を使って闇と光のバランスを図るなど、作品からは試行錯誤の様子が見て取れますが、幾つか革新的な技法にも挑んでいます。
まず油彩画や水彩画に倣い、従来の浮世絵には一般的であった主版(線画の部分)を極力排して、色の面を使うことでモチーフをとらえようとしました。浮世絵では墨で主版を摺りますが、清親は主版自体を無くすか、薄い色を使っています。


次にぼかしや網目のような表現を用い、それまでの木版画とは異なった陰影の表し方をすることで、画面に独特の立体感を持たせることに挑戦しています。

また、摺りあがった和紙の表面にニスのようなものを引いて、油彩画のテクスチャを模しているのも、今までにはなかった方法と言えるでしょう。

これらの斬新な技法に当時の摺師は苦戦したようですが、このような清親の試みは、後の木版表現に大きな影響を与えました。
清親が描いた 失われた江戸への寂寥

清親の光線画を見ていると、いずれも浮世絵特有の「名所が一番映える状態」を描いたものでないことがわかります。江戸末期に生まれた清親は、発展によって失われていく江戸の風景に一種の寂寥感を持っていたのではないでしょうか。
絵師になる前は幕臣であった清親は、明治に入ったのを機に徳川慶喜について静岡へ転居しています。その約7年後に東京へ戻った際に彼が目にしたのは、がらりと変わった街の様子。おそらく浦島太郎の心境だったに違いありません。清親の作品からは文明開化を祝う華々しさよりも、消えゆく江戸の姿を名残惜しく見つめる視線を感じさせます。

長期に渡っての需要が少なかったのか、はっきりとした理由は残されていないものの、清親にとっての光線画プロジェクトは6年という長くはない期間で幕を閉じました。また、輸出を視野に入れた作品も制作されていますが、反応は芳しくなかったといいます。
ところが大正時代になると、光線画は再評価されます。永井荷風ら文人たちが、急速な都市開発とともに失われていった風景を清親の絵の中に見つけたのです。
明治になって目まぐるしく変わった東京の街は、大正に入ってさらに姿を変えていきます。発展に対して諸手を挙げて歓迎するのではなく、少し距離を置いた清親の視線は、時代を超えて人々の共感を集めました。
安治の見た明治の東京

清親に師事した小林安治は、数え年で26歳という若さで亡くなった夭折の絵師です。当時多くの門人を抱えた清親ですが、中でも安治は群を抜いて優れていたといいます。
安治は清親の画風を忠実に受け継ぎますが、「江戸の名残を持った明治」という郷愁を感じさせた清親と違って、明治生まれの安治は、ニュートラルな視点で変化し続ける明治の街を見つめているのが特徴です。

ポストカードサイズ(四つ切判)の名所絵は、大判錦絵用の和紙に4面付し、それを分割して作られていましたが、分割前の珍しい状態が展示されているのも見どころ。中には清親の画題とそっくりな風景が描かれたものも窺えます。
残した作品こそ少ないものの、その短い画業の中で清親に倣ったものと、安治らしさが現れた作品とを制作しています。
謎に包まれた絵師・柳村

展示の最期を飾るのが、謎の絵師・小倉柳村です。柳村の記録がほぼ残っていないため、一体どのような経緯で光線画を手掛けることになったのか、定かではありません。
明治13年から14年(1880~81)にかけて清親に倣って光線画を制作しており、現在では9点の作品が確認されています。

主版がしっかり描かれているので清親と比べるとやや力強い印象を受けますが、人物の描写に存在感があるため、そこに潜むドラマを鑑賞者に想像させる力を持っています。
おさえておきたい新版画前夜の9年間
それまでにない西洋的な表現を用いて描かれた、不思議な浮世絵「光線画」。心象風景のように私的な感情に訴える景色は、派手なインパクトを伴わずとも深く心に残ります。
吉田博、川瀬巴水を筆頭に、近年再燃している新版画を興した版元の渡邊庄三郎は、清親の作品を強く意識していました。そういうこともあってか、新版画の中には黄昏時や夜の風景、日の出前のシーンが多く登場しますし、摺り違いで光の移ろいを表現したものも見られます。新しい表現を試みた光線画の挑戦を知ることで、新版画が挑んだものへの理解も地続きで深まるのではないでしょうか。
多数の光線画が一堂に会す貴重な機会です。ぜひお見逃しなく。
(ライター・虹)
闇と光 -清親・安治・柳村 |
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会場:太田記念美術館(東京都渋谷区神宮前1-10-10) |
会期:2022年11月1日(火)〜12月18日(日) ※前期(~11月23日)、後期(11月26日~)で全点展示替え |
休館日:月曜休館、11月24、25日も休館 |
アクセス:JR山手線原宿駅から徒歩5分、東京メトロ千代田線・副都心線明治神宮前駅から徒歩3分 |
観覧料金 一般1000円、高校生・大学生700円、中学生以下無料 |
※詳しくは、美術館公式サイト(http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/)へ 問い合わせは050-5541-8600(ハローダイヤル) |