【レビュー】「藤野一友と岡上淑子」福岡市美術館で来年1月9日まで 戦後シュルレアリスムの男女作家の共通点と違い

幻想的で緻密な画風で知られる藤野一友(1928~1980年)と、写真を用いたコラージュ作品で知られる岡上淑子(1928年~)。夫婦でもあった二人の作品を二つの個展形式で展示した「藤野一友と岡上淑子」が、11月1日から2023年1月9日まで福岡市美術館で開催されています。

特別展「藤野一友と岡上淑子」
会場:福岡市美術館(福岡市中央区大濠公園1-6)
会期:2022年11月1日(火)~2023年1月9日(月)
観覧料金:一般1,300円、高大生800円、中学生以下無料
休館日:月曜日、12月28日(水)~1月4日(水)※1月9日(月・祝)は開館
開館時間:9:30~17:30 (入館は閉館の30分前まで)
詳しくは展覧会公式サイト

二人の共通点や差異を感じ取る

 

ともに戦後に活躍したアーティストであり、夫婦でもあった藤野一友と岡上淑子。本展示では、シュルレアリスムの影響を根強く感じる二人の作品を、二つの個展形式で展示しており、両者を見比べることでその表現手法の共通点、差異を感じ取ることができるのが見どころのひとつです。

【岡上淑子】 進駐軍が残した洋雑誌から生み出される幻想的なコラージュ

まずは、岡上淑子の展示からスタート。22歳の頃から、戦後に進駐軍が残した洋雑誌を切り抜いた写真のコラージュを生み出していった岡上。展示会では、彼女が手掛けた作品が時系列で展示されています。

コラージュ・パーツ 岡上淑子蔵
岡上淑子《ポスター》(旧題:作品B)1950  東京国立近代美術館

女性の身体をモチーフに女性の独立や解放をイメージ

岡上は25歳の頃、日本のシュルレアリスムの第一人者と言われる美術評論家の瀧口修造に見いだされ、タケミヤ画廊で初の個展を開催。
その後、本展でも登場する『人形師』をはじめ、写真と写真を貼りあわせるというコラージュ技法を使った創作活動を展開していきます。また、女性の身体というモチーフを通じて、女性の独立や家庭からの解放をイメージさせる作品も見られます。

岡上淑子《人形師》 1951 東京国立近代美術館
岡上淑子《長い一日》 1952頃 東京国立近代美術館
岡上淑子《花嫁》 1954  東京国立近代美術館

岡上が27歳の頃、コラージュだけの創作に限界を感じ、自らカメラを持ち、写真撮影をするなど新しい表現方法を模索。本展では、岡上自身が撮影した写真の数々も紹介されていきます。

岡上淑子《祖母像》 1955  高知県立美術館

結婚、出産をきっかけに、作家活動を中断

1957年、29歳のときに画家の藤野一友と結婚したことを契機に、コラージュ創作から離れます。寺山修司から挿画を頼まれたり、瀧口修造から詩画集を提案されたりするものの、家事や育児の合間を縫っての本格的な作家活動の実現には至りませんでした。本展では新聞紙面に掲載された岡上のコラージュや童話が紹介されています。

そして、1967年、39歳のときに藤野と離婚。東京から実家のある高知県へと移住します。独自で日本画を始めるなど、創作活動は続けていたそうです。そして、2000年に44年ぶりの個展を開催。その独創的なコラージュ作品が、現代でも再評価されています。

岡上淑子《薔薇》 1970年代  岡上淑子蔵

【藤野一友】絵画だけでなく舞台や文芸、映像でも活躍

続いては、夫である藤野一友の展示を見ていきましょう。50年代から二科展を中心に活動した藤野は、緻密な描写が特徴的な幻想絵画を多数生み出しました。
本展では、絵画のみならず舞台の演出・美術、詩や小説の執筆、装丁、挿画、映画など、幅広いジャンルを縦断的に活動する藤野の一連の作品を、時系列で紹介していきます。

『ワヤンクリット・バレエ』プログラム(表紙:藤野一友)1956年

 

藤野一友《夜》1954 個人蔵

異形な女体を表現

展覧会の中盤で人目を惹くのが、ヒエロニムス・ボスをはじめとする西洋古典絵画や神話、シュルレアリスムを下敷きにした世界観が広がる緻密に描かれた油絵作品です。その中心モチーフとして描かれるのは、異形な女体の数々。これらの作品からは、女性の解放を訴えた岡上淑子とは対照的な雰囲気を感じました。

藤野一友 ルクレチア 1957 油彩・画布 福岡市美術館
藤野一友《聖アントワーヌの誘惑》 1958 福岡市美術館

大林宣彦と共同監督 実験的な映画『喰べた人』

藤野は、演劇や文芸の世界との関りも深く、三島由紀夫の『薔薇と海賊』の表紙絵や女優・杉村春子の肖像画なども担当。彼が手掛けた舞台芸術、小説や雑誌、パンフレットの表紙や挿絵などを通じて、その活躍ぶりが伝わっています。

藤野一友『薔薇と海賊』表紙原画 1958頃  福岡市美術館
『文藝復興』第8集1958 (表紙:藤野一友)文藝復興社
藤野一友《マヤに扮する杉村春子》 1958 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館

また、本展では映画監督・大林宣彦と藤野が共同監督を務め、大林にとっては初の16ミリ作品となった実験的映画『喰べた人』(23分)も上映。藤野自身が俳優としても参加しています。

没後後もインパクトを与えつづける

しかし、1965年の37歳のときに、藤野は脳卒中に倒れ、右半身が不随に。2年後、岡上淑子との離婚を経た後も、左手を駆使して創作活動を続けました。本展では、晩年に藤野が左手で描いた作品を見ることができます。

そして、展覧会の終盤では、緻密に描き込まれた《眺望》《抽象的な籠》《卵を背負った天使》などの代表作を展示。1980年に51歳にして亡くなるも、これらの作品は、その没後にフィリップ・K・ディックやコリン・ウィルスンなどのSF小説の装画として作品が使用されるなど、死後においてもその作風は多くの人にインパクトを与え続けました。

藤野一友《眺望》 1963 福岡市美術館
藤野一友《抽象的な籠》 1964 福岡市美術館
藤野一友《卵を背負った天使》1964 福岡市美術館

(ライター・藤村はるな)