【レビュー】「ロートレックとミュシャ パリ時代の10年」大阪中之島美術館で来年1月9日まで 2人の画家に導かれ、よき時代のパリへ

「ロートレックとミュシャ パリ時代の10年」 |
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会場:大阪中之島美術館 4階展示室 |
会期:2022年10月15日(土)~2023年1月9日(月・祝) |
休館日:月曜日(1月2日、1月9日を除く)、12月31日、1月1日 ※11月29日(火)より展示作品の一部が変わります |
観覧料:一般1600円 高大生1300円 |
詳しくは美術館公式サイトで。 |
19世紀末。「よき時代(ベル・エポック)」と呼ばれたこの頃のパリにおいて、一夜にしてポスターの概念を塗り替える出来事が起こりました。
その立役者の名は、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864~1901年)とアルフォンス・ミュシャ(1860~1939年)。大阪中之島美術館で開催中の「ロートレックとミュシャ パリ時代の10年」は、この二人の画家がパリで活躍した1891年から1900年までの10年間を、石版画ポスター制作という仕事を中心に紹介する展覧会です。

豊富なコレクションから見る19世紀末の華やかなパリ
本展では、夭折の画家ロートレックが手掛けたポスター全31点に加え、同館に寄託されたサントリーポスターコレクションのステート違いや、試し刷りが一堂に展示されています。
当時、主に使用されていたのは「リトグラフ(石版)」。18世紀末に生まれたこの印刷技術は、画家が石に描いたものがそのまま印刷できたため、より臨場感のある筆致を再現することができました。さらに、印刷所の規模にもよりますが、1時間に1万枚の生産が可能であったこともあり、ポスターのような宣伝物と相性が良かったのです。

ステートとは、浮世絵で言うところの「初摺り」や「後摺り」に近く、第1ステートと第2ステートを比較することで、何らかの事情によって色の変更があったり、文字が加わったりした様子が確認できます。
そのほか会場では、当時流行したアール・ヌーヴォーの工芸品や、同時代の作家たちによるポスターも展示。ベル・エポックの華やかな雰囲気が伝わってくる構成となっています。
異なる2人の画家が巻き起こしたポスター旋風
舞台は1891年のパリ。当時画家としての地位が確立されつつあったロートレックは、モンマルトルにあるダンスホール、ムーラン・ルージュのポスター制作の依頼を受けます。

ロートレックにとっては初めてのポスターでしたが、これが大当たり。彼が生み出した斬新で軽やかなデザインは、今まで単なる宣伝物であったポスターを、一気に芸術の域に引き上げました。こうしてロートレックの名は一躍知られるようになり、彼はリトグラフに打ち込むようになったのです。
それから約3年後のクリスマスの頃。挿絵画家の仕事をしていたミュシャの元に、大女優サラ・ベルナールが演じる舞台「ジスモンダ」の劇場ポスターの依頼が舞い込みました。これを受けたミュシャは、わずか数日で下絵を描き上げます。

演目のワンシーンが描き込まれたそれは、仕上がりを見たサラが思わず涙するほどの傑作でした。ポスターはパリの街に張り出されるや否や人気を呼び、ポスター泥棒も現れたと言います。
かくしてクライアントも作風もテーマも異なる二人の画家によって、新しい芸術のかたちが誕生したのです。
シンプルなロートレック 贅を尽くしたミュシャ
会場にはそれぞれが描いたポスターがずらりと並びます。おしゃれでシンプルなロートレックと、豪華で緻密なミュシャの世界観はまるで対極。
ロートレックは当時流行していたジャポニスムに傾倒しており、その構図はしばしば浮世絵からの影響も指摘されています。また、少ない色数で画面を構成しているところも特徴的です。

これに対しミュシャの作品からは、緻密な描き込み、そして豊富な色使いがうかがえます。金や銀が用いられたものも多く、見る位置を変えることで作品の印象に変化をつけるといった贅沢な試みも見て取れます。

ロートレックは主に歌手や踊り子など、当時のカフェ・コンセールを中心に活躍していた表現者たちを描き、ミュシャは第1作目のポスターでサラ・ベルナールに才能を認められて以来、サラとの仕事を中心に活動を続けました。
彼らの間に親密な交流はなかったものの、美術ギャラリー「サロン・デ・サン」の展示告知ポスターなどをそれぞれが手掛けたという接点はあり、互いの存在は意識していたのではないでしょうか。
企業ポスターに見るそれぞれの表現

売れっ子作家となった二人は、様々な企業のポスターも手掛けました。例えば当時大ブームとなった自転車は、各メーカーがこぞって人気画家を起用したポスターを作っていたそう。当然彼らの元にも依頼は届き、自転車レースが好きだったロートレックは、嬉しさのあまり母に手紙を書いています。
仕上がったポスターは両者全く異なるもので、ロートレックは鍛え上げた選手を、ミュシャは愛らしい女の子を描きました。
この頃ミュシャは舞台美術や衣装を担うことが増え、また商品のパッケージデザインなども手掛けています。

ロートレックの最期 そして祖国への想いを強くするミュシャ

快進撃を続けていたロートレックですが、次第に体調を崩すようになり、療養のためパリを離れることが増え、ポスターでは《学生達の舞踏会》の作品を最後が最後となりました。そしてついに1901年、36歳の若さでこの世を去ります。
一方でミュシャは自身の様式を確立し、円熟期に入っていました。
この頃パリではアール・ヌーヴォーの全盛。流行とミュシャの描く作品は親和性が高かったため、彼に多くの依頼が殺到します。その中でも大きなものが、1900年に開催されたパリ万博での仕事です。これを機にミュシャは祖国であるチェコへの想いを強くし、パリを離れる決心をしました。
そして10年後。アメリカでの活動を経てチェコへ戻ったミュシャは、あの大作《スラヴ叙事詩》に着手するのです。

無料の音声ガイドを聴きながら、よき時代のパリへ
ベル・エポックを彩った二人の画家。惜しくもロートレックはその絶頂で命を落としますが、彼の作品は今尚多くの人に愛され、モンマルトルの代名詞のように輝いています。ミュシャに至っては言わずもがな、浅井忠や藤島武二をはじめとする、日本の画家たちに影響を与えました。
同じ時期に活躍しながらも、あまり比較されることがなかったロートレックとミュシャの画業を、華やかな雰囲気と共に味わえるのが本展です。
最終章ではボナールやヴュイヤールといったナビ派の面々を中心に、同時代に活躍した画家が手掛けた酒類のポスターも楽しむことができます。油彩の作品とはまた違った表現は、新鮮な驚きとともに、当時の画家の活動範囲を知る資料とも言えるでしょう。

今回、溝端淳平さんが務める音声ガイドはなんと無料。軽妙な語り口が誘うロートレックとミュシャの画業は、わかりやすいだけでなく魅力的な逸話が多数登場します。こちらはスマートフォンを使って聴くタイプなので、来場の際はイヤホンをお忘れなく(イヤホンは会場でも購入可。また、数量限定でガイド機の貸出あり)。
そしてぜひ、音声ガイドの中に収録された「さくらんぼの実る頃」を聴きながらポスターを眺めてみてください。“良き時代”の中を歩くような気分を味わうことができます。
(ライター・虹)
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