【レビュー】躍動するフォルムと色彩。まさに芸術は爆発だ――「展覧会 岡本太郎」 東京都美術館

《太陽の塔(1/50)》 1970 川崎市岡本太郎美術館蔵

展覧会 岡本太郎
会場:東京都美術館(東京都台東区上野公園8-36)
会期:2022年10月18日(火)~12月28日(水)
休館日:月曜休室
アクセス:JR上野駅公園口から徒歩7分、東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅から徒歩10分、京成電鉄京成上野駅から徒歩10分
観覧料:平日限定・音声ガイド付き2400円、一般1900円、大学生・専門学校生1300円、65歳以上1400円、高校生以下無料、18歳以下無料、障害者手帳をお持ちの方と付き添い(1名)無料
※日時指定予約制(障害者手帳をお持ちの方と未就学児は不要)、大学生・専門学校生、65歳以上の方は証明できるものの提示が必要。高校生、18歳以下の方も学生証または年齢の分かるものの提示が必要。
※詳細・最新情報は公式サイト(https://taro2022.jp/)で確認を。
※画像の作品はすべて岡本太郎作、Ⓒ岡本太郎記念現代芸術振興財団

芸術は爆発だ!

テレビCMを通じて、このあまりにも有名なフレーズが人口に膾炙したのは、1981年だったという。もちろん「生みの親」は“今回の主役”、岡本太郎(1911~1996)。

振り返ってみれば、昭和も終わりへと向かう時代、今や大阪のアイコンになっている《太陽の塔》を創った「岡本太郎」の顔と名前は、日本中の人がみんな知っていた。ウイスキーのCMで「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」とのたまい、バラエティー番組で「なんだ、これは!」を連発していたその当時、「芸術は大衆のものである」という持論そのままに、「大衆に親しまれた芸術家」だったのである。

では、その「みんなが知っていたオカモトタロウ」はどんな人生を送り、どんな作品を作ったのか。川崎市岡本太郎美術館と岡本太郎記念館(東京・青山)の全面協力のもと、その全貌に迫ったのがこの展覧会だ。

《河童像》 1981 川崎市岡本太郎美術館蔵
《犬の植木鉢》 1955 川崎市岡本太郎美術館蔵

展覧会は、「“岡本太郎”誕生―パリ時代―」「創造の孤独―日本の文化を挑発する―」「人間の根源―呪力の魅惑―」「大衆の中の芸術」「ふたつの太陽―《太陽の塔》と《明日の神話》―」「黒い眼の深淵―つき抜けた孤独―」の6章構成。年次を追って丁寧に、岡本太郎の軌跡がまとめられている。

さらに「東京展」の展示には、もう一つ趣向がある。

第1章が始まる前の地下1階のフロアに、絵画から彫刻、オブジェに至るまで、それぞれの章からピックアップされた作品が、制作年も作品のジャンルも関係なく、ランダムに展示されているのだ。

岡本太郎が創り出した様々なフォルムが躍動し、鮮やかな色彩が奔流をなす空間。ある種それはカオスだが、まるでアーティストの脳の中をさまよっているような、生々しさがある。個人的な話で恐縮だが、改めて気付いたのが、岡本太郎が生み出すフォルムの「抜け感」だ。《河童像》や《犬の植木鉢》を見てみよう。確固たる存在感があるのだが、どことなくユーモラスで剽軽。「なんだ、これは!」と思わせる、独特な感覚だ。

《森の掟》 1950 川崎市岡本太郎美術館蔵
《反世界》 1964 東京国立近代美術館蔵

そんな「カオスなフロア」に展示された作品の数々は、アーティスト・岡本太郎の「本質」をストレートかつダイレクトに見せてもくれる。《森の掟》や《反世界》などの作品は、人間の潜在意識の奥にある普遍的なイメージを描いているようだ。《森の掟》で緑の中を傍若無人に駆け巡っている赤い「怪物」。ジッパーを開くと一体何が出てくるのだろうか。《反世界》のオドロオドロしい感じ。これも個人的な感想だが、映画監督のデビッド・クローネンバーグやデビッド・リンチが若い頃に創り出していた、人間の内面からにじみ出してくるダークでグロテスクな世界と少しだけイメージが重なる。きっと観る人の心の動きによって、その解釈は変わっていくのだろう。

《傷ましき腕》 1936/49 川崎市岡本太郎美術館蔵
《夜》 1947 川崎市岡本太郎美術館蔵

そのフロアを見た上で、6章にわたる「歴史」をたどると、岡本太郎の「歩み」がとても自然に腑に落ちてくる。若き日の《傷ましき腕》を見ると、そのイマジネーションは緻密な写生力に支えられていることが理解できるし、《夜》などからは独自のスタイルを作り上げる「過程」を見ることができる。

第3章「人間の根源―呪力の魅惑―」では、縄文土器との出会い、日本や韓国、メキシコなどで行った民俗学的なフィールドワークとそれがどのように岡本太郎の作風を変貌させていったかを説明する。ここでは「呪術的」と言っているが、そこに描かれている世界からは「神話的」なものをさえ感じる。ユング心理学でいう「元型」に近い、人種、民族を超えて人間の心の奥の奥にある共通したイメージ。岡本太郎はジョルジュ・バタイユの創った秘密結社「アセファル」に所属していたこともあるという。フロイトの精神分析学や西洋の神秘主義を肌で感じた経験が、その作品の底流にあるのだろうか。

《太陽の神話》 1952 株式会社大和証券クループ本社蔵
《水差し男爵》(1977、岡本太郎記念館蔵)などの展示風景

岡本太郎の「芸術」は、アトリエや美術館を飛び出し、社会生活に溶け込もうとした。そこをテーマにしたのが、第4章「大衆のための芸術」である。考えてみれば、代表作である《太陽の塔》も《明日の神話》も、一般大衆が簡単に見ることができる場所にあるのである。屋外彫刻や建物の壁画などのパブリックアートにとどまらず、洋服などのテキスタイルやグラス、水差しなどの生活用品のデザインにまで、ここでの展示は広がっている。「芸術とは生活そのもの」と岡本太郎は考えていたというが、人間心理の奥底まで潜る「呪術」の世界を描いたうえで、もっとも表層的な場所である「生活」との密着を訴えかけているのである。岡本太郎のいう「芸術」は懐深く、奥深いものだと思う。

《眼の立像》 1981年 川崎市岡本太郎美術館蔵
《疾走する眼》 1992 川崎市岡本太郎美術館蔵

個人的に面白かったのは、第6章「黒い眼の深淵―つき抜けた孤独―」。ここには「目玉」の絵が多数展示されている。「目玉」といえば、ジョルジュ・バタイユの『眼球譚』。この作品は、ルイス・ブニュエルの実験的な映画『アンダルシアの犬』に影響を与えたことでも有名だ。そのバタイユと交流があった岡本太郎が残した「目玉」の絵。《眼の立像》に描かれているシンプルな「目玉」は、何のバイアスもかかっていない「生命」そのものの象徴のようにも見える。そこに「疾走」や「愛憎」など、何らかの「動き」が加わった時、「目玉」はそれぞれに表情を変えていく。その表情の変化が、こちらの心をかき乱し、様々な「よしなしごと」が泡のように浮かんでは消えていくのである。

《雷人》(未完) 1995 岡本太郎記念館

「呪術」の時代以降、岡本太郎の作品には「書の筆致を思わせる」(公式HPの解説)黒い線が目立つようになり、鮮やかな色彩、ユニークなフォルムとの対比が目立つようになる。「書を思わせる黒い線」「色彩」「フォルム」というワードで、私なんぞが連想するのはスペインの抽象画家、ジョアン・ミロだが、ミロの描く世界が「踊るように楽しく」て「どこまでもかわいい」のに対し、岡本太郎の世界は「あくまでも力強く」て「エネルギーに満ちあふれている」。最晩年の作品《雷人》を見ても、それは顕著だろう。そのエネルギーは、人間という普遍的な存在が太古から受け継ぎ、未来へと繋いでいくものなのだろうか。「芸術は爆発だ!」のフレーズは人気アニメ「NARUTO―ナルト―」に受け継がれている。岡本太郎の作品も時代を超えて語り継がれる。そんな予感を抱かせる展覧会なのである。

(事業局専門委員 田中聡)

展示会場に入ったら、こんな雰囲気です