「服部一郎生誕90周年記念 名物 記録と鑑賞」サンリツ服部美術館(長野県諏訪市)で12月4日(日)まで

「服部一郎生誕90周年記念 名物 記録と鑑賞」 |
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会期:2022年9月16日(金)~12月4日(日) 前期9月16日(金)~10月25日(火) 後期10月27日(木)~12月4日(日) |
会場:サンリツ服部美術館(長野県諏訪市湖岸通り2-1-1 ℡0266-57-3311) |
開館時間:午前9時30分~午後4時30分 |
入館料:大人1,200円、小中学生400円 |
休館日:祝日を除く月曜日 |
詳しくは、同館公式サイト |
「名物記」でたどる茶器の逸品
日本の伝統文化の一つ、茶道で用いられた茶道具のうち、由緒ある逸品は「名物」と呼ばれ、時代をさかのぼると一国一城に匹敵するほど高い評価を受けるものもあった。今日、私たちが「名物」を美術品として鑑賞する際、作者や銘の由来、歴代所蔵者、エピソードなど、関連する情報は「名物記」を通じて知ることができる。もちろん、茶道史研究には不可欠の史料だ。本展はその「名物記」の変遷をたどりながら、同館が誇る国宝の白楽茶碗「銘 不二山」をはじめ、「名物」の数々を展覧している。今回は「日本と東洋の美」を探求し続ける地元の書道家、吉澤大淳さん(77)に同行し、「名物」の世界を堪能した。

国宝含め優品1,400点所蔵
公益財団法人「サンリツ服部美術館」は諏訪湖畔に立つ。諏訪市のサンリツ企画株式会社(現・株式会社サンリツ)が所有する美術品と、セイコーエプソン社などの社長を務めた故服部一郎氏のコレクションの継承と公開を目的に、1995年に開館した。所蔵品は日本と東洋の古代から近代に至る絵画や書跡、ルノワール、シャガールといった西洋近代絵画など総数1,400点。その主軸をなすのが茶道具を中心とした工芸品だ。

諏訪生まれの吉澤さんは日展会員や読売書法会常任理事を務める傍ら、書や作陶など芸術活動や文筆活動にまい進してきた。とりわけ中国美術には造詣が深い。サンリツ服部美術館はこれまで何度も訪れた場所だが、中国伝来の「名物」も数多く並ぶ本展には強い興味を持った。同館では学芸員の藤生明日美さん(37)の出迎えを受け、藤生さんの解説で展示室を回ることにした。

ウミガメに似た紋様 銘の由来
本展は時代順に4章で構成され、のべ74点を紹介している(前後期で入れ替えあり)。
第1章「名物の美と格」では主に室町・足利将軍家の会所飾りについて書かれた「君台観左右帳記」で評価の高かった画家の作品や工芸品のほか、茶聖千利休の高弟、山上宗二(1544~1590)による「山上宗二記」記載の名物と類似のものが展示されている。
「君台観左右帳記」は当時、中国からもたらされ、日本で賞玩された美術工芸品の様相を今に伝える史料。美術品ごとに分類され、解説と格付けが加えられている。天目や茶入なども紹介されていることから、この頃すでに茶道具にも美術的価値が求められていることがうかがえる。

第1章で吉澤さんがじっくり鑑賞したのが重要文化財「玳皮盞天目」(吉州窯 中国・南宋時代 12-13世紀)。藤生さんによると、現在、天目と称される茶碗は低く小さい高台にすり鉢状の形で、口縁の下にくびれのあるものが多いが、本作は高台から口縁に向かって大きく開いている。うつわの内外に施された黄釉と黒釉の斑文様がウミガメ(玳瑁)に似ていることから、このような天目を「玳皮盞」と呼ぶという。
「形、比、様子」名物の条件
一方、「山上宗二記」は茶の湯の秘伝書。この中で宗二は茶の湯にふさわしい道具を選び出し、調和のとれた道具組をする「目聞(目利き)」が重要で、名物と称されるものには「形、比、様子」、つまり「かたち、バランス、雰囲気」が備わっていると説いている。

宗二の師の利休は茶の湯の先達者である武野紹鷗(1502~1555)の影響を強く受けている。本展展示の重要美術品「唐物茄子茶入 銘 紹鷗茄子」(中国・南宋時代 13世紀)は紹鷗が所持し、のち弟子に贈ったもの。ふっくらとした胴に一筋の帯(胴紐)が巡り、焼成の際に生じた焼きむらが景色になっている。
秀吉から家康 天下人に伝来
江戸時代に入ると、出版業の発展とともに名物記も版行され、名物茶道具やその所在情報が次々と発信されるようになった。第2章「本から広がる名物の世界」で展示の「万宝全書」は全13巻からなる美術・茶道具の百科事典。第6、7巻の「和漢名物茶入之記」では名物茶入の一部に図と寸法が加えられ、素地や釉薬など細部の様子まで記録している。本展では元禄7(1694)年上梓の初版本を展示している。

重要美術品「唐物肩衝茶入 銘 筑紫」(中国・南宋時代 13世紀)は、肩から胴にかけてゆったりと張り、裾へ向かって引き締まる堂々とした印象の茶入。胴に深く太い胴紐が巡り、正面にかかる釉薬は裾のあたりで止まる。もとは九州にあったことからこの銘が付いたとされる。豊臣秀吉、徳川家康ら名だたる武将に伝来し、「玩貨名物記」には徳川将軍家所蔵の道具と記載されている。

秀吉や家康に仕えた大名茶人、小堀遠州(1579~1647)が愛したと伝わるのが「瀬戸茶入 銘 玉柏(本歌)」。なで肩で腰は丸く、胴がややくびれている。肩から腰にかけて黒色の釉薬が流れ、下部に焼成の際に生じた石はぜがある。その優れた造形で同種の茶入の手本となる「本歌」に選ばれ、江戸期以降の名物記にもたびたび紹介されている。
銘は遠州が「難波江の藻にうづもるる玉柏 あらわれてだに人をこいばや」(「千載和歌集」巻11、641番)を連想したことにちなむ。

唇の動くさまに似ている
第3章「名物への飽くなき探求」は江戸中期から後期に着目。このころになると、名物茶道具の図と詳細な情報をまとめた図鑑のような名物記が登場する。代表的茶人の一人、「不昧」の号で知られる松江藩第7代藩主、松平治郷(1751~1818)も「陶斎尚古老人」の名で寛政元年(1789)、「古今名物類聚」全18巻を編纂。約1000点に及ぶ道具を掲載した。

「古今名物類聚」に登場する面白い銘の名物があった。「瀬戸新兵衛茶入 銘 弁舌」(瀬戸 江戸時代 17世紀)。肩から黄色の釉薬が二筋、胴中央には胴紐が巡り、所どころ、はけで筋を入れるなど作為にあふれている。小堀遠州の弟子だった大名茶人、松平正信(1621~1693)が口縁のゆがみから唇の動くさまを連想し、この銘をつけたという。

写真付き900点 一般に公開
近代に入ると政財界の人間も茶の湯に関心を持ち始め、後に「近代数寄者」と呼ばれるようになる。その一人、実業家の高橋義雄(号・箒庵、1861~1937)が編纂した「大正名器鑑」が第4章「新たな時代の名物を求めて」で展示されている。実業界の一線から退いた後、茶道振興に努めた箒庵は名物の全国調査に乗り出し、大正10(1921)年から昭和2(1927)年にかけてこの名物記を刊行した。
9編11冊と索引1冊から成り、茶入と茶碗あわせて900点近い名物を掲載しているが、それらを写真付きで紹介しているところが特徴。それまで茶会でしか目にすることができなかった名物が一般に公開されたことへの反響は大きかったと想像できる。

七重の箱「マトリョーシカみたい」
「多年を費やしてでも名物を本にして後世に残し、広く世間に紹介もした箒庵はやはり傑物。今日はその審美眼も知りたい」。茶道具もコレクションに持ち、茶人たちとの交流も広い吉澤さんは「かねがね箒庵に興味を持っていた」と、この章は特に丹念に鑑賞した。
まずは「黒楽茶碗 銘 雁取」(長次郎 桃山時代 17世紀)。利休が弟子の芝山監物(生没年不詳)に贈ったとされる茶碗。口縁を緩やかに起伏させ、胴の一部にくぼみを加えるなど、長次郎作と伝わる茶碗の中でも作為が強く、変化に富む。
もともと金沢の呉服商が所蔵していたが、古河財閥当主・古河虎之介(1887~1940)の手に渡り、さらに明治政府で外務大臣などを務めた井上馨(1836~1915)へ贈られた。井上馨について藤生さんは「鹿鳴館建設など維新の欧化政策で知られますが、『世外』の号を持ち、美術品の収集や保全に熱心な一面を持っていました」と説明した。

続けて「利休にまつわる名物をわが手にした井上の喜びがこちらにも表れています」。そう促されて目に飛び込んできたのが、井上が命じて作らせた「雁取」の箱。「雁取を収めた箱を、ひと回り大きな箱で収め続けているうち、井上でとうとう7つ目になってしまったのです。七重の箱というのはあまり聞いたことがありません。マトリョーシカ人形みたいですね」。藤生さんの面白い例えに、真剣に見入っていた吉澤さんも思わず笑いをこぼした。

漆で繕った裂け目から光
「大正名器鑑」には江戸初期、書や陶芸、茶の湯など幅広い芸術分野で活躍した本阿弥光悦(1558~1637)の作とされる茶碗が18点紹介されている。その一つが薄造りの茶碗「赤楽茶碗 銘 障子」(本阿弥光悦 江戸時代 17世紀)。口縁は端反りし、丸みのある腰はやや張り、口縁から高台にかけての火割れは漆で繕われている。腰の部分に3か所裂け目があり、日にかざすと光が透けて見えるため、火割れを障子の組子に見立てて「障子」という銘が付けられた。

次の茶碗はこれまで見てきたものとは趣が異なった。初公開の「薩摩茶碗 銘 径山寺」(薩摩 江戸時代 19世紀)。緑、青、赤の鮮やかな絵具と金泥が映え、白薩摩らしい華やかさと品を感じさせる。黄味がかった白い肌に細かい貫入(釉薬の上にできたひびのこと)が見え、高台には2か所切れ込みがある。
胴に描かれた高くそびえ立つ山々と楼閣から中国・浙江省にある禅寺の径山寺を連想し、この銘がつけられた。箒庵は「大正名器鑑」で「薩摩焼茶碗としては、作行に雅味あり、然も精巧美麗にして、能く其の特色を発揮したる者」と述べている。

藤生さんはこの「径山寺」に特に印象付けられたという。「貫入が入った肌に光を当てるとさまざまな方向へ反射し、優美な雰囲気を醸し出します。また、見る角度によって光の加減が変わるので、さまざまな表情を見ることができます。華やかな絵付けが目を引きますが、派手という印象は受けません。上品に見えるのは、肌の色、絵付け、貫入が見事に融合しているからだと思います。本展でぜひご覧いただきたい逸品です」と話す。
孤高の存在 他にない傑作
さて展覧のトリは同館が誇る国宝「白楽茶碗 銘 不二山」。本阿弥光悦が手捏ねと篦削りの手法を用いて制作した茶碗。うつわ全体に白釉を掛けるが、焼成中に下部が黒く変化した。そこから雪を頂く富士を連想し、また二つとない出来であったため、「不二山」の銘が付けられたという。

「大正名器鑑」掲載の光悦茶碗の筆頭に挙げられたのが「不二山」。箒庵は「天下光悦茶碗少なからずと雖も、仰いで第一峯と称すべきは、蓋し此茶碗に外ならざるべし」と絶賛。この評価が国宝指定につながったとも言われている。
これが「形、比、様子」の極みというものか。箒庵の言葉の通り、数多い展示品に囲まれていても、富士山のように孤高たる存在感を存分に発揮している。見込み(内部)も外側と同じ景色が広がるあたりは「表富士」「裏富士」を思わせるし、お茶をたてたときの景色はどんなものだろうと、つい想像を走らせてしまう。

吉澤さんも「今見てきた名物のどれにも日本人独特の美意識が凝縮されているが、とりわけこの『不二山』は何度見ても圧倒される。さすが箒庵が真っ先に挙げただけある」と深く感心していた。
歴代の名物を通じ、連綿と続く美の伝道者たちの系譜も理解できた。「『いいものを見分け、伝え遺していく』と誓い、尽力した先人たちに感銘した。私たち芸術に携わる者も彼らの精神にならい、いっそう芸術の研究と振興に励まなくては」。吉澤さんと藤生さんはそんな思いを共有し、見学を締めくくった。(ライター・遠藤雅也)