【レビュー】19世紀、「版画」と「写真」は、どのような関係にあったのか――町田市立国際版画美術館で「版画×写真 1839-1900」展

「版画×写真 1839-1900」展

  • 会期

    2022年10月8日(土)12月11日(日) 
  • 会場

  • 観覧料金

    一般900円、大学生・高校生450円、中学生以下無料。

  • 休館日

    月曜休館、ただし10月10日は開館し、11日が休館

  • アクセス

    小田急線町田駅東口から徒歩15分、JR横浜線町田駅北口から徒歩約15分、ターミナル口から徒歩約12分
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※詳細情報は、公式サイト(http://hanga-museum.jp/)で確認を

19世紀に発明された「写真」は世界を変えた。現実を「描写」するのではなく「写し出す」新しい技術。それによって、「リアル」に対する感覚が大きく変化したのである。個人のポートレート、自然や街並みの風景から戦争や事件の報道、古代遺跡の記録に至るまで、「写し出す」物事は多岐にわたり、伝達される「情報」の質と量は飛躍的に増大した。

写真が誕生する前に、画像情報を複製し、世に頒布する役割を担っていたメディアは「版画」だった。つまり、「写真」の登場によって、「版画」は様々な質的変化を遂げざるを得なかったのである。その写真技術が急速に発展する19世紀後半、版画と写真がどのような関係だったのか。それを「版画専門美術館」の立場から考察するのが、今回の展覧会である。

展示風景
マシュー・B・ブレイディ・スタジオ《二人の子ども》、1855年頃、ダゲレオタイプ、横浜市民ギャラリーあざみ野

展覧会は「写真の登場と展開」「実用と芸術をめぐる争い」「競い合う写真と版画」の三章構成。第一章では、草創期の写真の技術と作品を紹介する。1839年にフランスの興行師ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが「世界初の写真術」として発表した「ダゲレオタイプ」は、焼き増しできず、露光にも長い時間が必要だったが、鏡のように高精細な画像は人々を大いに魅了した。1841年にはイギリスの科学者ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットがネガ・ポジ法による「カロタイプ」を考案。この「焼き増し可能な紙写真」は目覚ましい発展を遂げ、1850年代には鮮明な画像が得られる「コロディオン湿板方式」と鶏卵紙の組み合わせが普及した。この時期には、ヨーロッパの主要な大都市で写真館ができるまでになったという。まったくいつの世も、時代の変化が訪れるのは早い。

展示風景
ジョージ・バクスター《磔刑(大)》1855年(1868年頃刷り)、バクステロタイプ、東京工芸大学中野図書館

この「写真」の進歩に対して、「版画」も様々な工夫を凝らした。一例が、光の明暗を表現するのに効果の大きい「アクアチント」の技法を深化させ、銅版と木版の印刷技術を組み合わせた「バクステロタイプ」だ。上に掲げた作品のように「まるで写真のように見える」版画である。また、「クリシェ・ヴェール」という写真と版画のハイブリッドのような技法も開発される。画家が描画したガラス板をネガのように用いて、画像を印画紙に焼き付けるというものだ。「画像を写す」という共通の機能を持つ「写真」と「版画」の技術のせめぎ合い。展示された作品の数々を見ていると、移りゆく時代の流れの中で、技術者やアーティストがいかに脳髄を絞ってきたのか。それが浮き彫りになって面白い。

カミーユ・コロー《乙女と死》、1854年、クリシェ・ヴェール、町田市立国際版画美術館

「実用と芸術をめぐる争い」では、19世紀後半の「写真は美術表現か」という問いかけについても触れられる。実用分野での「正確さ」と「迅速さ」で、写真の優位は明らか。加えて芸術としての評価を求める写真家も現れるようになったが、既存の美術界から「レンズの前のものを機械的に写すだけの写真は芸術ではない」という声があがったのである。そして写真家たちは試行錯誤しながら「写真ならではの表現」を探っていく。映画、テレビなど、新しいメディアが生まれると、この種の軋轢は常に起こる。その姿はネットメディアが急速に発達した現代とも重なってくる。

デイヴィッド・ロバーツ《バールベック》、1842-49年刊、 リトグラフ、手彩色、町田市立国際版画美術館
マクシム・デュ・カン《シリア、ジュピター神殿 バールベック》、1852年刊、塩化銀紙、東京都写真美術館

第三章「競い合う写真と版画」は、「記録」や「報道」などのジャンルでの「写真」と「版画」の展示。上に掲げた2枚の画像を比べて見れば、「客観的な記録」という面での写真の優位性は明らかだ。1871年にフランスで成立した労働者自治政府パリ・コミューンをめぐる内争についてのリトグラフや写真での記録、クリミア戦争での従軍記録なども、比較対照しながら見ることができる。どうしても描き手の心情が画面から滲み出てくる「版画」に対して、「写真」はあくまでも冷静に、時には冷酷なまでの視線で事実を記録する。技術の移行は、価値観の変化ももたらすのだ。

アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック《写真家セスコー》、1896年、リトグラフ、国立西洋美術館

市民社会が発展した19世紀、大量生産の技術も整い、大量消費社会の礎も整った。資本主義社会が本格化した20世紀には、情報の価値がますます高まっていく。この展覧会で紹介されている「写真」と「版画」のせめぎ合いは、そういう時代の過渡期の象徴といえるかもしれない。伝達の手段として、「写真」が「版画」を完全に凌駕した20世紀、本格的な「情報化社会」が訪れた。過渡期の熱気と、そこはかとなく漂う哀感。今回の展示を見ていると、そんな時代の空気も感じてしまうのである。

(事業局専門委員 田中聡)

展示風景