【レビュー】伊勢神宮と宮内庁正倉院事務所が「史上初」のコラボ 特別展「生きる正倉院ー伊勢神宮と正倉院が紡ぐものー」神宮徴古館など3館で11月9日まで

特別展「生きる正倉院-伊勢神宮と正倉院が紡ぐもの-」 |
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会場:神宮徴古館・神宮美術館・せんぐう館(三重県伊勢市) |
会期:令和4年(2022年)9月13日(火)~11月9日(水) |
休館日:木曜日(11月3日・文化の日は開館) |
観覧料:【3館共通券】大人700円、小中学生200円 |
詳しくは公式URL(https://museum.isejingu.or.jp/exhibition/m99a42bg.html)で |
皇室と深い繋がりを持つ伊勢神宮と宮内庁正倉院事務所が”史上初”のコラボレーションをした特別展「生きる正倉院―伊勢神宮と正倉院が紡ぐもの―」が9月13日から、伊勢神宮の博物館3館(三重県伊勢市)で開かれています。伊勢神宮には、「神宮徴古館」「神宮美術館」「せんぐう館」と3つの博物館があります。本展は、伊勢神宮として初の3館を周遊して巡る大がかりなもの。伊勢神宮の神宝と正倉院宝物の再現模造が一堂に会し、同時に鑑賞できる稀有な機会として、注目度が高い内容です。
神宝とは、再現模造とは、どのようなものなのか? 日本最高峰の伝統工芸美から、高度な技術力や精神性を感じてとることができるでしょう。
伊勢神宮として初めて!傑作と謳われる昭和4年の神宝が一挙公開

伊勢神宮では、20年に1度、社殿と神宝を新調して大御神にお遷りを願う神宮最大の儀式「式年遷宮」がおこなわれています。飛鳥時代の女帝、第41代・持統天皇の御代から始められ、途中、120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期があったものの、約1300年の歴史がある祭儀です。
神宝は、神々への調度品のこと。「御装束」と「神宝」に大別され、714種1576点にも及びます。なかでも、昭和4年の第58回遷宮は、昭和天皇即位後初とあって、神宝の新調にも心血が注がれました。昭和4年の神宝は、当代一流の伝統工芸技術者により、祖型への回帰が果たされた傑作として名高く、その後の神宝新調の際の基準とされています。

伊勢神宮の広報課長・音羽悟さんは、「昭和4年の神宝がこれだけ揃って展示されるのは神宮としても初。いつもは1~2点の展示なので、ありえないことです。それほど貴重な機会です」と力を込めます。
正倉院宝物の再現模造とは?

正倉院宝物は、奈良時代の聖武天皇の遺愛品や大仏開眼会などで使用された品々など約9000点に及びます。天皇の死後、妻の光明皇后により、東大寺の盧舎那仏(大仏)に献納され、勅封により、約1300年間、守り伝えられてきました(北倉の献納宝物)。正倉院正倉は、北倉・中倉・南倉と3倉に分かれていますが、北倉の献納宝物以外にも、中倉に納められた東大寺司に関する「実用品」や南倉に納められた「東大寺の資材」があり、宝物は大きく3種類に分かれています。
正倉院宝物の模造は、明治期から制作されてきましたが、その中で、昭和47年以降に制作された模造が「再現模造」と呼ばれています。
再現模造は、宮内庁正倉院事務所主導でおこなわれた科学調査に基づく情報から、伝統工芸技術者(工匠)によって、限りなく同じ材料、同じ技法、同じ構造で再現され、保存管理方法まで同じにしています。
日本最高峰の工芸美を伝える「神宮神宝」と「正倉院宝物の再現模造」を見比べてみる

原宝物は、唐からの将来品のため、唐代に流行した意匠が用いられている
神宮の神宝は、素材・技法・意匠などの面で、正倉院宝物(再現模造)と限りなく近い共通点があり、「傑作とされる昭和4年の神宝と正倉院宝物の再現模造を一緒にご覧いただくことによって、日本の最高峰の伝統工芸技術の意義が伝われば」と音羽さん。

唐鏡から変化し、平安時代中期以降に成立した和鏡(わきょう)形式
例えば、鏡を見比べると、再現模造の原宝物は「唐鏡」、神宝の御鏡は「和鏡」と違いがあり、まったく同じとは言えないものの、神宝の原初を正倉院宝物から垣間見ることができます。
また、第1章「神々と貴人の威儀―壮麗な装いー」(徴古館)で並ぶ3振りの大刀
●奈良県の藤ノ木古墳出土「飾り大刀」(復元)
●再現模造の「金銀鈿荘唐大刀」
●神宝の「玉纏御太刀」
を見比べると、「確かにどことなく似ている」と感じるのではないでしょうか。
本展の図録に「古墳期以来の在来の文物と、奈良期に大陸から渡来した文物とが融合し、時にせめぎ合うなかで成立したのが神宮神宝である」と説明があるのも納得です。
遷宮で一度に60振りの大刀が新調されますが、直刀である点なども正倉院宝物と共通しています。

ところで、この記事の画像のキャプションで、再現模造には制作者名の記載がありますが、神宝には記載が無いことにお気づきでしょうか? 神様への調度品であるため、神宮では、伝統として神宝の制作者名を明かさないのです。
明治期に偶然出土した古神宝は必見

3館を巡る展覧会なので、見逃しが無いようにしたいものです。第4章「いにしえの至宝」(徴古館本館 右廊1・2・3室)に展示されている鎌倉時代の「玉纏横刀」には特に注目したいです。式年遷宮ごとに新調される神宝ですが、江戸時代までは、撤下(神様に供えた後に降ろす)された後、畏れ多いことから焼却または埋納されていました。
第4章で展示されている鎌倉時代や室町時代の古神宝(展示替えあり)は、明治期におこなわれた神宮の御敷地調査で偶然出土したもの。出土した当時の状態を記録した絵図も残っており、江戸以前の古神宝の姿を知れる大変稀少なものです。
「生きる正倉院」に込められた思い、伝統工芸技術の保持継承
遷宮により新調される神宮神宝と正倉院宝物再現模造の制作。どちらにも共通して言えるのは、伝統工芸技術の保持継承の貴重な機会になっていることです。本展のタイトル「生きる正倉院」について、音羽さんは、「古い技術を現代に生かし再現しています。正倉院宝物の仕様は、神宮神宝の仕様や意匠において、現代にも生き続け、今後も生き続けていきます。日本人の高い技術力、伝統の技がこうやって次の世代へ繋がっていくのだと感してもらえれば」と話していました。

羅(ら)の織技は室町中期に衰微し、途絶えた。しかし、近代に造神宮使庁(内務省所管)が伝世品調査に基づき復古研究を実施し、その成果が昭和4年の第58回遷宮で反映され、羅の織技が甦った

図録でも、宮内庁正倉院事務所の前所長・西川明彦さんが、神宮神宝と再現模造という“もの”の共通点から「神宮と正倉院が古代よりずっと変えずに継承してきた“こと”」について言及しています。
神宮徴古館別館→神宮美術館→神宮徴古館本館→せんぐう館の順がオススメ

伊勢神宮の内宮と外宮の中間に位置する倭姫文化の森の中に、「神宮徴古館」と「神宮美術館」があり、少し離れて、外宮の近くに「せんぐう館」があります。

観覧順路としては、
1)神宮徴古館 別館
2)神宮美術館
3)神宮徴古館 本館
4)せんぐう館
の順で巡ると、せんぐう館で技術的な過程が紹介されているので、全体の構成を理解しやすいです。神宮徴古館・神宮美術館とせんぐう館とは距離があるので、バスや車での移動を考慮に入れたスケジュールをオススメします。秋にお伊勢参りを予定している人は、ぜひ本展もチェックしてみてください。
(ライター・いずみゆか)