乳の神様ーチブサン古墳の1500年 熊本県山鹿市の装飾古墳 モダンアートさながらの魅力と謎 キュレーター・嘉納礼奈

熊本県北部の静かな山あいの街、山鹿市。温泉でも有名なこの地にあるチブサン古墳は、1922年に国の史跡に指定されてから今年で100周年を迎える。同古墳は、今からおよそ1500年前、古墳時代後期(6世紀前半)に造られ、日本の装飾古墳を代表する一つとされている。
中でも、古墳内部の石棺に描かれた色鮮やかな装飾壁画は、他に類を見ないモダンアートのような造形表現と未だ解明されていない謎により、今も多くの人々を魅了し続けている。装飾壁画は保存状態が良いという幸運に恵まれて一般公開されており、実物を鑑賞できる国内でも貴重な場所となっている。
山鹿市立博物館外観、1978年の開館と同時に博物館による古墳の有料公開も始まった
山鹿市立博物館に事前に申し込むと、土・日・祝日の1日2回(10時と14時)各10名限定で古墳の中に入ることができる。
装飾古墳の代表格を間近で
チブサン古墳に代表される装飾古墳とは、古墳の石棺や石室あるいは横穴墓の内や外の壁面に、浮き彫りの彫刻や線刻、彩色による文様や絵画などの装飾を施したもの。装飾古墳は4世紀末頃から8世紀前半まで造られており、全国に約700基、熊本県内では約200基、特にチブサン古墳のある菊池川流域には117基と集中して造られている。

博物館から古墳に向かう15分ほどの道中には、あたり一面メロン畑とスイカ畑が広がっている。ここのメロンとスイカは特別に美味しいらしい。

山鹿市内の菊池川の支流である岩野川の西岸に位置するチブサン古墳。その名は、古くからの信仰、乳の神様「乳房さん」に由来する。石棺の壁画の二つ並んだ円文が乳房のように見えたことから、いつしか「祈れば乳の出を良くする」として信仰されるようになった。
謎めいた図象、「古代宇宙船の着陸エリア」説さえ
1970年代初頭までは古墳とわかるような姿で残されていたわけではなかった。識別できたのは雑木林の中の小さな祠のようなものであった。その祠は、古墳内の石棺に通じる開口部であった。祠の前には、「乳房さん」のための花や甘酒や千羽鶴が手向けられていた。また、60年後半には、壁画の図象から古代宇宙船の着陸エリアであったという都市伝説を唱える人までいた。
72年から75年にかけて、古墳本来の姿を復元し、古墳やその装飾の保存や修復をすべく大規模工事が行われた。古墳を覆っていた雑木林を取り除き、前方後円の姿を露わにし、コンクリート製の見学通路、金属製の扉、石棺の前のガラス窓などの保存施設を建設した。78年に市立博物館が開館すると、博物館の管理の下で有料の一般公開が開始した。
古墳の周りを凹みが取り囲んでいる。古墳時代の創建当初は濠が半周巡らされていた。外部にも、石が葺いてあり埴輪や石人(現在、東京国立博物館蔵、九州国立博物館に展示)が置かれていたという。

前方後円墳の後円部の南側にある入り口から中へ入る。石室へつながる短い通路を歩いて石段をよじ登って石室へ。石室への入り口は小さく、ここでは頭を打たないように要注意。石室は前室と後室(玄室)と呼ばれる2部屋からなり、まず前室によじ登ることになる。石室の壁は凝灰岩の割り石をドーム状に積み上げて作られている。
この前室からガラス越しに後室の中にある石屋形という家形の石棺が見える。

ガラス窓から石屋形の壁画までは2mほどの距離がある。目が慣れると壁画の赤色が鮮明に見えてくる。石棺内側には、4枚の石が使用されているが、一枚は欠失しているのが見える。

石棺の壁には赤、白、黒の三色で、丸や三角、菱形などの図が描かれている。赤は、酸化鉄で鉄分を多く含んだ土を焼いて赤くしている。白は粘土、黒はマンガンを含む岩石を砕いて粉にしたものを使用している。
「魔除け」の鏡を描いたか
正面の壁の右側には三角文、菱形文が描かれ、中央には女性の乳房に見える円文が描かれている。赤く塗られた地の菱形文の上に白い円文が二つ並び、それぞれの円の中心には黒い点が施されている。円文の表すものは鏡、太陽、星など諸説あるという。最も有力な説は、中央に突起状の表現があることから魔除けの意味があるとされる鏡という説。青銅鏡は古墳の副葬品として、埋葬者の頭部を囲むように並べてあることがあるという。

向かって左側の壁面には、菱形文と斜めに配置された円文が赤、白、黒に塗り分けられている。正面の壁画同様、菱形文は連続で描かれており、連続三角文が変化したものではないかと推測されている。三角文は石棺の屋根の縁にも、横または縦方向に連続的に描かれている。三角文の意味合いにも諸説あるという。その一つは古墳の副葬品である青銅鏡の縁にある連続した三角が魔除けの意味をもって装飾古墳に描かれたとする説だ。

向かって右側の壁の上部には白い円文が7つ。この謎の円文は北斗七星や人魂ではないかといった憶測も呼んでいる。
右下には縦線と黒と白で塗り分けられた三角紋がある。左下には、頭に3本の突起のついた冠をつけ両手を上げて両足を踏ん張るように広げた人物像が描かれている。悪霊に立ち塞がる守護神なのか、それとも埋葬されている高貴な人物なのか、その真相は謎のままになっている。

装飾絵画をゆっくり凝視したい人は古墳近くの屋外に復元された実物大のレプリカが用意されている。石室内では、捉えづらい大きさや図象が間近に見られる。

チブサン古墳の西北方にオブサン古墳がある。チブサン古墳に後続する6世紀後半に築かれた古墳で、1999年チブサン・オブサン古墳として国指定史跡となった。チブサン古墳の「乳房信仰」とともに、オブサン古墳は安産の神様として信仰の対象となり、両者は一体として意識されてきた。「うぶつなの神」が訛って「うぶつ様」、「産さん」になってオブサンと呼ばれた。スフィンクスのように左右前方に足のようなものがせり出しているのが特徴。内部の壁画は、肉眼で見えるほどは残っていない。

そして、この辺り一帯がメロンとスイカの畑になる前は、1877年西南戦争の「山鹿口の戦い」の激戦地であったことを忘れてはならない。石室内の「閉塞石」など石材が運び出され弾除けとして利用された。弾丸の爪痕が痛々しく残っている。
古墳の1500年にみる人の生き様
古墳は、埋葬された人物のこの世での生命の終わりを記念したものである。と同時にこの人物に象徴される権力を後世に伝えるためのメディアとしての古墳本来の生命が始まる。ところが、時代が変わると古墳を築いた人々の思惑をよそに、壁画の象徴や意味が失われ、見る人々が勝手に解釈する。赤、白、黒にリズミカルに描かれた三角、菱形に囲まれた円文。単なる丸でも、されど丸。乳房や太陽、北斗七星や人魂、UFO、仮面の目玉など、見る側の人間の想像力もとどまるところを知らない。古墳の1500年の生き様は、見る側の生き様をも物語る。(キュレーター・嘉納礼奈)
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山鹿市立博物館:山鹿市を中心とした菊池川流域の考古資料のほか、歴史資料や民俗資料を展示。全国唯一の石包丁型鉄器や30数例しかない巴形銅器など大変貴重な資料が見どころ。チブサン・オブサン古墳までは徒歩15分。
江戸時代の民家や全国第2位の用水橋(石橋)である大坪橋が移設復元されて文化財溢れる空間となっている。アクセスなど詳しくは同館ホームページ(https://www.city.yamaga.kumamoto.jp/www/contents/1264127825069/)へ。
