江戸と明治、浮世絵の違いが分かる展覧会――太田記念美術館で「はこぶ浮世絵-クルマ・船・鉄道」

展示風景

はこぶ浮世絵-クルマ・船・鉄道

※最新情報は、公式HP(http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/)で確認を。

浮世絵専門の太田記念美術館。今月の展示のテーマは「運ぶ」である。飲食店の「お運び」から船や鉄道を使っての大規模輸送まで、人間社会に「運ぶ」行為は欠かせない。コロナ禍の昨今、インターネットを駆使した物流が大きく発展しているのを見れば、それは明らかだろう。古今東西、人間の営みに欠かせない行為を通じて見えてくる、様々な社会の姿、時代の流れ。それを66点の浮世絵を通して読み解こうというのが、展覧会の狙いなのだろう。

歌川国貞/歌川広重「双筆五十三次 府中 あへ川歩行渡し/安倍 茶摘」
葛飾北斎「冨嶽三十六景 武州千住」

展覧会は「Ⅰ はこぶ人たち」「Ⅱ 船で運ぶ-水の都・江戸の舟運」「Ⅲ 街道を運ぶ-東海道の旅と陸運」「Ⅳ 文明開化と〈はこぶ〉」の4コーナーに分けられる。Ⅰ~Ⅲで描かれているのは、江戸時代の日常だ。街中に水路が縦横に張り巡らされていた江戸は、「水の都」であり、舟運は人々の暮らしを支えていた。東海道をはじめとした街道が整備された陸路は、物流に用いられるだけでなく、物見遊山や神仏参詣の旅に広く使われた。歌川広重や葛飾北斎らの上掲作品には、名所とそれにまつわる人々の様子が、生き生きと写し取られている。

歌川広重「大井川歩行渡」
月岡芳年「風俗三十二相 おもたさう 天保年間深川かるこ風ぞく」

箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川――

馬子唄に歌われた大井川の様子を描いた広重の絵。運ぶ人が大変なのはもちろんだが、蓮台の上に乗っているお客さんも、なかなか不安定な感じ。芳年が描くのは、よいしょッと料理を担いだ女性の姿。深川という繁華街で働いているだけに、どこか垢抜けている。「無惨絵」で有名な芳年だが、こういう女性を描いた絵にも独特の色気がある。

歌川芳虎「亜墨利加国」

さらに面白いのが、Ⅳのコーナー。まずは、歌川国芳の弟子、芳虎が描いた「亜墨利加国」。芳虎は洋行なんてしていないはず。とすれば、これは何かの書物を読んで、あるいはだれかの話を聞いて、想像で描いたものなのだろう。考えてみれば、気球船の打ち上げ(?)をこんな狭い空間でやるわけがないし、そもそも熱気球であれば、どこかで空気を熱しなければいけないのだが、そんな様子は見当たらない。そういう意味では、「粗っぽくて」「ファンタジー」な絵なのだけど、何だか見ていて楽しい。すこーんと抜けるような明るさと、開放感あふれた空間、人々の姿。何となく明治という時代の空気を繁栄しているような気がしてしまう。それは、昇斎一景の絵にも共通している。実際の「陸蒸気」には、あんな近くにまで人間は近づけないだろう。客車もオープンカーのように天井が空いている。これも絵師が想像で描いたものなのだろうか。

展示風景
昇斎一景「高輪鉄道蒸気車之全図」

浮世絵の技法が爛熟した江戸後期、末期の浮世絵は、緻密な技巧が魅力である。だが、伸び伸びと自由な空気が流れている明治の浮世絵にはまた違った魅力がある。今年は日本の鉄道事業が始まって150年。今回の展覧会では、数多くの鉄道の絵が並んでいるのだが、鉄道という「新しいツール」に対する期待、興味、それを媒介とした新時代への希望……そんな人々の心理が何だか見えてくるようなのだ。

歌川広重「名所江戸百景 京橋竹がし」
小林清親「高輪牛町朧月景」

歌川広重と小林清親、同じ夜の風景を描いても、江戸時代と明治時代では、これだけ表現方法が違ってくる。会場を一周してみると、北斎や広重の「江戸の絵」は藍色が印象的で、三代広重らの「明治の絵」はそれに比べると何となく「赤い」。「運ぶ」というキーワードを通して、江戸と明治、様々な違いが見えてくる。そんなところも楽しい。

(事業局専門委員 田中聡)

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