「板本」って何? 初歩から教えてくれます――すみだ北斎美術館で企画展「北斎ブックワールド―知られざる板本の世界―」

企画展「北斎ブックワールド―知られざる板本の世界―」

  • 会期

    2022年9月21日(水)11月27日(日) 
  • 会場

  • 観覧料金

    一般1000円、高校生・大学生700円、65歳以上700円、中学生300円、障がい者300円、小学生以下無料

  • 休館日

    月曜休館、ただし10月10日は開館し、11日を休館

  • アクセス

    JR両国駅東口から徒歩9分、都営地下鉄大江戸線両国駅A3出口から徒歩5分
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※前期(~10月23日)、後期(10月25日~)で展示替えあり。詳細情報はホームページ(https://hokusai-museum.jp/)で確認を。

「板本」は「版本」とも書く。要するに「印刷された本」のことである。世界の美術に影響を与えた「浮世絵」は大判錦絵などの「版画」のイメージが強いが、もともとは「名所図会」など、文字と絵を組み合わせて刊行されていた「板本」から、絵だけを独立させたものだという。そして「板本」は、江戸末期まで庶民の文化として高い人気を集め続け、絵師たちもその仕事を決しておろそかにすることはなかった。そんな「板本」とはどんなものなのか、そこに掲載された「浮世絵」にはどんな特徴があるのか。すみだ北斎美術館の“主人公”、葛飾北斎とはどんな関係があるのか――。「板本」にまつわるあれこれを分かりやすく解説し、展示するのが、今回の企画である。

展示風景
葛飾北斎『北斎漫画』八編 すみだ北斎美術館蔵(通期)

展覧会は「板本の基礎知識」「板本に関するトピックス」「所蔵者・読者の痕跡」「板本の優品」の4章構成。まず「板本の基礎知識」では、「板本とは何か」の解説とともに、様々な種類の板本が展示してある。ギャグ漫画のようにコミカルな「黄表紙」、江戸時代の大衆文学である「読本」、師匠クラスの絵師たちが弟子らの学習教材として作った「絵手本」……。「絵手本」は、本来の目的に加え、絵師たちが自由に描きたいモノを描いた「イラスト集」や「図案集」としても親しまれた。北斎の代表作の一つとして知られる『北斎漫画』もこのジャンルに属するモノだ。北斎は「読本」も数多く手がけており、曲亭馬琴とのコンビは有名だ。

葛飾北斎『椿説弓張月』続編 巻四 すみだ北斎美術館蔵(通期)
展示されている葛飾北岱『忠兵衛梅川赤縄奇縁伝 古之花双紙』(すみだ北斎美術館蔵、通期)

第2章「板本に関するトピックス」では、北斎や門人が板本のために工夫した絵画表現などを紹介。ここがやはり見どころである。特に読本の挿絵には、現代のマンガとも共通する様々な表現が「開発」されている。挿絵の外枠を「匡郭(きょうかく)」というのだが、それを刀で突き破っているのが馬琴・北斎コンビの『椿説弓張月』。そもそも「匡郭」という概念を取っ払ってしまったのが、葛飾北岱『忠兵衛梅川赤縄奇縁伝 古之花双紙』。見開きの絵は映画で言えばワイドスクリーンのようだ。北斎の『春宵奇譚 絵本璧落穂』を見てみよう。風が吹いているのだろうか、画面の中央を縦断する幾何学的な曲線が印象的だ。まるで現代のマンガの集中線、効果線のようなのである。

展示されている葛飾北斎『春宵奇譚 絵本璧落穂』前編一、五(すみだ北斎美術館蔵、通期)
葛飾北斎『飛騨匠物語』下、葛飾北斎『新板 飛騨匠物語』四 いずれもすみだ北斎美術館蔵(通期)

板本は手作りのため、一冊一冊、細かく異同がある。特に現在の書籍の「初版」である「初摺」と、再版以降の本である「後摺」ではかなりの違いがある。『飛騨匠物語』とその後摺にあたる『新板 飛騨匠物語』を比較するとよく分かる。姫君が将来の夫たちを夢にみる場面、初摺では夢の中の夫たちの背景を濃墨にし、寝ている現実の姫君と対比させている。しかし、後摺では濃墨が省かれ、夢と現実の境目がわからなくなっている。物語の内容にあわせてわざとこのような変更をしたのか。それとも、単に印刷代金をケチったのか……。いろんなことを考えてみたくなる。ちなみに『春宵奇譚 絵本璧落穂』にも後摺の異本があり、こちらはタイトルまで異なっている。著作権という言葉がない時代、出版業界はなかなかワイルドでカオスな感じだったようだ。展示品の数々を見ていると、そんな状況も垣間見えてくる。

葛飾北斎『橋供養』巻之一、巻之二 すみだ北斎美術館蔵(通期)
魚屋北溪『三都廼友会』 すみだ北斎美術館蔵(前期)

蔵書印が押されていたり、読者による書き込みがあったりするものを集めたのが、第3章の「所蔵者・読者の痕跡」で、多色刷りなどの珍しい板本を集めたのが第4章の「板本の優品」。書き込みの中には、北斎の絵を真似たものもある。大判錦絵にも負けない豪華さを見せているのが、北斎の門人、魚屋北溪が狂歌本『三都廼友会みつのともえ』に寄せた挿絵。隅田川の渡し船の情景が描かれ、月が照らす波の表現には銀摺が用いられており、いかにも教養人が集まった「サロン」で発展した文化(=狂歌)の賜物という感じがする。北斎自身の手による『さむたらかすみ』もそういう狂歌本のひとつ。遺存数も数点しか知られていない希少な板本で、前期に展示されている一冊は、すみだ北斎美術館では初公開だという。

葛飾北斎『さむたらかすみ』 すみだ北斎美術館蔵(前期)

版画や肉筆画に比べて一般にはなじみが薄い板本の世界だが、こうやって一覧すると、とてもそれは幅広く、奥が深いことが分かってくる。江戸時代の日本、特に江戸や京大阪などの都市部は当時の世界ではトップクラスの識字率の高さであり、出版文化は庶民にもしっかりと根付いていたのだ。「黄表紙」から「狂歌本」、そして「読本」、「絵手本」と北斎自身も活字文化と深く関わりを持ち、多数の作品を残している。板本の世界の豊潤さを分かりやすく示してくれた今回の展覧会、ぜひよりマニアックな個々の表現に突っ込んだ「続編」を期待したいものである。

(事業局専門委員 田中聡)

展示風景