【レビュー】和人の苛烈なアイヌ支配、くっきりと 「平沢屏山とその時代」展 市立函館博物館で10月16日まで

平沢屏山とその時代

  • 会期

    2022年6月28日(火)10月16日(日) 
  • 会場

  • 観覧料金

    一般300円、大学・高校生200円、小・中学生100円

    ※10名以上の団体は団体割引(2割引)適用

    ※函館市に住所を有する、または市内の学校に在学する小・中学生は無料

    ※函館市に住所を有する65歳以上の方は150円

  • 休館日

    毎週月曜日、7月19日(火)、8月11日(木・山の日)、9月20日(火)、9月23日(金・秋分の日)、9月30日(金)、10月11日(火)

    ※詳しくはホームページの開館日カレンダーをご覧ください。

  • 開館時間

    09:00〜16:30 (午後4時30分までに入館した方は午後5時まで鑑賞できます)
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幕末から明治初期にかけて箱館(函館)を拠点に、アイヌの人たちの暮らしを生き生きと描いた平沢屏山(ひらさわ・びょうざん、1822-1876)の作品を紹介する展覧会です。

緑豊かな函館公園の一角にある市立函館博物館
落ち着いた雰囲気の館内で、じっくりと作品を見られます

屏山は1822年(文政5年)、現在の岩手県花巻市で、裕福な名主の長男に生まれました。父が亡くなってから困窮し、弘化年間(1844-1848)に、20歳代の時に弟を連れて箱館に渡りました。その後、1854年の日米和親条約で箱館は開港され、活況を呈する街で屏山は絵師として活躍。アイヌの人たちを労働者として使役する漁場の経営を請け負う大商人の知遇を得て、現在の十勝地方や日高地方などにも足を伸ばし、時にアイヌのひとたちと生活を共にしながら、その暮らしを描くようになりました。

秋芳《奥州箱館之図》1860年代初頭 市立函館博物館蔵
《函館全景》1876年(明治9年) 函館市中央図書館蔵

アイヌの人たちの暮らし、生き生きと

当時の箱館(函館)を記録した絵や写真も展示されており、開港した箱館がいかに賑わっていたかが実感できます。屏山は街の中心部に住み、外国人や商人らの求めに応じて絵を描いて生計を立てていたようです。どこで絵を学んだのかは明らかではありませんが、そのダイナミックな表現、鮮やかな色彩感覚、細部の観察眼は見事です。代表作のひとつである《アイヌ風俗十二ヶ月屏風》は海や山を舞台に、自然の恵みを得て助け合いながら生きるアイヌの人たちや、漁場で働くアイヌの人たちの生活を活写。四季折々の自然描写も含めて見応えがあります。

函館市指定有形文化財《アイヌ風俗十二ヶ月屏風》1月~7月は宮原柳僊写 8月~12月は平沢屏山の直筆 市立函館美術館蔵

担当の奥野進学芸員は「屏山以外にもアイヌを描いた画家はいるのですが、表現力の点で屏山は突出しています。さらに様々な道具や習俗も正確に描かれているので、資料的な面でも価値が高いのです」と説明してくれました。

松前藩、幕府とアイヌの力関係

とりわけ、和人とアイヌの力関係が現れている作品は興味深いです。

《ウイマム図絵馬》安政年間 市立函館博物館蔵

古い時代から和人とアイヌの間では、対等な関係で交易が行われていましたが、時代とともに和人の蝦夷地への進出が深まり、両者の間で戦いが繰り返されるようになりました。それに勝利した松前藩はアイヌの人々を支配下に置き、労働者として搾取。次第に日本の経済構造の中にアイヌが組み込まれていきました。上の絵はアイヌのリーダーたちが松前藩主に会いに行く場面です。背景に松前家の大きな家紋が描かれていることが、この作品の意味合いを明確に表現しています。

《日高アイヌ・オムシャ之図》原本:平沢屏山 大島三之助模写 函館市中央図書館蔵

蝦夷地近海にロシアなどの外国船が度々出現するようになり、蝦夷地東部のクナシリ・メナシ地方のアイヌ蜂起(1789年)などもあって、危機感を強めた幕府は蝦夷地を直接の統治下におくようになりました。上の作品は、漁場での作業終了時などに、慰労や統治のために行われた「オムシャ」と呼ばれる儀礼の一場面を描いています。幕には葵の紋が描かれ、長老たちが一段低いお白砂から役人に頭を下げています。屋敷に入ることを許されない女性や子供らは遠巻きにその様子を眺めています。幕府は農耕や日本語の習得を奨励するなど、アイヌの人々の「和人」化を進めました。

奥野学芸員は「アイヌがロシア側に付くことを恐れた幕府は、搾取一方だった松前藩のやり方を改め、『撫育』の名のもとにアイヌの人々への待遇を改善するなどしましたが、それはアイヌの人たちの意思を尊重したものではなく、結局は固有の文化や習俗を無視した同化政策でした。そうした和人側のスタンスを、屏山の作品から読み取ることができます」と解説。

《種痘図》 函館市中央図書館蔵

上はアイヌの人たちに種痘を打つ場面を記録した作品。江戸時代、和人の往来が盛んになったことなどに伴い、アイヌの人々の間でも天然痘も大流行。幕末になって種痘のノウハウが広まり、幕府はアイヌの人々にも種痘を推進しましたが、身体に異物を入れるという経験のない施術だったため、忌避する人が多かったといいます。褒美をつけるなどしてかなり強引に進めたといい、「こうしたこともある種の同化政策、といえると思います」と奥野学芸員。

《地引網図》 個人蔵

和人による労働搾取の様子がはっきりわかるのが《地引網図》です。網を引くアイヌの人たちの脇に、明らかに和人と分かる男が立ち、作業の成り行きを見守っています。もともと、アイヌに地引網の文化はなく、和人が持ち込んでアイヌの人たちを使役しました。漁獲は増えましたが、取りすぎでアイヌの人たちが食べる魚が減り、とても困窮したそうです。

屏山、アイヌへの優しい眼差し

《熊狩図》 函館市中央図書館蔵
《熊送図》函館市中央図書館蔵
《母子図》 市立函館博物館蔵

ダイナミックな熊狩りや、にぎやかで荘厳な熊送り(イオマンテ)、母と子の情愛あふれる場面など、アイヌの生活や文化を描いた作品の数々です。屏山に「アイヌの権利や文化を守りたい」という意識があった、とまで考えるのは後世の人の牽強付会に過ぎるでしょう。あくまで注文主のリクエストに応じて描いたものであるはずです。しかし、その作品には単にアイヌを画題として描いた、以上の優しいまなざしを感じるのも事実です。

屏山は気分が乗らなければ筆を執らず、身なりは構わず、酒好きで、野原に寝っ転がって寝込んだり、他人の家の屋根で寝てしまったりなど、ちょっと浮世離れした奇人ぶりも伝えられています。子供好きでも有名だったそうです。一連の作品からも、アイヌの人たちと対等に付き合い、喜怒哀楽を共にしたであろう屏山の人柄が浮かび上がってきます。そういう人でなければ描けなかった作品でしょう。

屏山は幕末から明治にかけての激動の時代を蝦夷地・北海道で過ごし、1876年(明治9年)8月2日、函館でその生涯を閉じました。今年はちょうど生誕200年の節目です。『ゴールデンカムイ』などをきっかけにアイヌへの注目が集まっている今、こうした作品がまとまって見られるのは貴重な機会でしょう。

(読売新聞美術展ナビ編集班 岡部匡志)

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