【探訪】大戦に翻弄された20世紀ドイツの美術を知る「ルートヴィヒ美術館展」 国立新美術館で9月26日まで 京都国立近代美術館で10月14日から

ルートヴィヒ美術館展 東京会場 会場風景

「ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション」
東京会場
国立新美術館 企画展示室2E(東京都港区六本木7-22-2)
会期:9月26日(月)まで
開館時間:10:00~18:00 毎週金・土は20:00まで*入場は閉館の30分前まで
休館日:毎週火曜日
観覧料:一般2,000円 大学生1,200円 高校生800円 中学生以下無料
※詳しくは展覧会HP(https://ludwig.exhn.jp
問い合わせはハローダイヤル050-5541-8600
京都会場
京都国立近代美術館(京都市左京区岡崎円勝寺町)
会期:2022年10月14日(金)~2023年1月22日(日)
開館時間:10:00~18:00 毎週金は20:00まで*入場は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(ただし12月26日と2023年1月9日は開館)、12月29日~1月3日
観覧料:一般2,000円(1,800円) 大学生1,100円(900円) 高校生600円(400円) 中学生以下無料  *( )内は前売り。前売券は10月13日まで販売
問い合わせは075-761-4111(美術館代表)

 

20世紀から現代にかけてのアートコレクションで世界有数のドイツ・ケルン市にあるルートヴィヒ美術館。そのコレクションから多くの20世紀美術品が来日した「ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション」が国立新美術館で9月26日まで開催されています。(10月14日から京都国立近代美術館で開催)

ピカソや、ポップ・アートの先駆者アンディ・ウォーホルら魅力的な作品が目白押しの本展で、私にとっての目玉は「第1章 ドイツ・モダニズム――新たな芸術表現を求めて」でした。もともと、子供時代をドイツで過ごし、ずっとドイツと関係を持ち続けてきたという個人的な理由から、ドイツの絵画や芸術活動には関心がありました。なぜ今、これらの作品がここまで心に迫るのかと考えてみると、今年に入ってからの世界情勢が関係しているということに思い当たりました。第1章に焦点をあてて本展を紹介します。(ライター・片山久美子)

 「青騎士」「ブリュッケ」の画家たち

「第1章 ドイツ・モダニズム――新たな芸術表現を求めて」展示風景

 20世紀初頭のドイツでは、ドイツ表現主義と呼ばれる芸術活動が起こり、若い芸術家たちが19世紀的な表現方法からの脱却を目指して各地でグループを結成、互いに影響し合いながら活動していました。

このコーナーでは、ドイツで近代的な芸術表現の機運が高まっていく流れを追うように、19世紀末に北西ドイツのヴォルプスヴェーデに誕生した芸術家村の画家や、1905年にドイツ東部ドレスデンで結成された「ブリュッケ(橋)」、1911年に南部ミュンヘンで生まれた「青騎士」の画家たちの作品を中心に構成されています。また、表現主義に反発しながらも、体制批判の精神を受け継ぎ発展させたといえる「新即物主義(ノイエ・ザハリヒカイト)」の作品も紹介されています。

一方で、20世紀前半は、2つの世界大戦の時代でもあり、1914年の第一次世界大戦の勃発で、創作活動や私生活のささやかな幸せが突然断ち切られた芸術家もいました。ここにある作品の多くが、政権を取ったナチスにより、道徳的に堕落した「退廃芸術」の烙印を押されました。戦争の脅威が迫っている今、ここにある作品たちが鳴らす警鐘が聞こえたように感じました。

 北ドイツの湿原にできた芸術家村

 芸術家村ヴォルプスヴェーデの女性画家、パウラ・モーダーゾーン=ベッカーの《目の見えない妹》は、第一次世界大戦の始まる前の1903年頃の作品です。

右:パウラ・モーダーゾーン=ベッカー《目の見えない妹》1903年

 ベルリンで絵の勉強をしていたパウラは、ある時家族とともに訪れたヴォルプスヴェーデの風景や、村での芸術家たちの創作活動に感銘を受けて、1898年にこの村に移り住みます。後に夫となるオットー・モーダーゾーンは、この芸術家村の創始メンバーの一人でした。

パウラは、村の子どもたちや夫の先妻の子をモデルに、柔らかい色調の子どもの絵を描きましたが、1907年、最初の子どもを産んで間もなく、この村で31歳の若さで亡くなりました。

 この時代は、女性が芸術家として認められ、絵で生きていくことは大変なことでした。パウラの伝統にとらわれず、独自の表現方法を模索した作品は、生前は夫をはじめとする芸術村の仲間以外からは理解されませんでした。

ヴォルプスヴェーデは、北ドイツに広がる湿原地帯に位置します。近くには動物たちの音楽隊で知られる都市ブレーメンがあります。

もう相当な昔になりますが、学生時代の一人旅で、ひょんなことから知り合った家族に招待され、ヴォルプスヴェーデに近い町の自宅に何度か滞在させてもらったことがあります。

北ドイツの湿原は平らで遠くまで見渡せ、空は広く、夏には夜遅くまで明るいのですが、そんな明るい空を雲が流れる様子が印象に残っています。地元の人たちは、暇を見つけては家族や親しい仲間と何時間でも散策する親しみのある場所でした。

この地の自然と人々の素朴な暮らしぶりに惹かれて集まってきた100年以上前の芸術家たちも、そんな光の中で絵を描いていたのだろうかと考えると、ちょっとどきどきしてきます。

戦争に翻弄された「青騎士」の画家たち

左:フランツ・マルク《牛》(1913年)
右:マリア・マルク《青いカップと赤いボウルのある静物》(1911/12年頃)

打って変わって鮮やかな色彩が印象的なのは、「青騎士」の中心メンバー、フランツ・マルクの《牛》(1913年)。その隣が妻マリアの《青いカップと赤いボウルのある静物》(1911/12年頃)。

アウグスト・マッケ《公園で読む男》(1914年)

そして、マルクと親交があり、やはり「青騎士」メンバーだったアウグスト・マッケの《公園で読む男》(1914年)です。

 「青騎士」は、マルクとロシア出身のワシリー・カンディンスキーが創刊した芸術誌の名称で、彼らが開催した同名の展覧会に出品した芸術家たちもそう呼ばれるようになりました。しかし、青騎士の活動は、展覧会開催から3年足らずで終わります。第一次世界大戦の開戦により、カンディンスキーらロシア出身のメンバーは帰国、マッケはこの絵を描いた1914年に27歳の若さで、マルクは1916年に33歳でいずれも戦死しました。

右:ワシリー・カンディンスキー《白いストローク》(1920年) 左:パウル・アドルフ・ゼーハウス《山岳の町》(1915年)

 ドレスデンで結成された芸術家集団「ブリュッケ(橋)」も、新しい表現を模索していましたが、メンバー同士の争いなどで1913年には解散しました。中心メンバーだったエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーは、第一次世界大戦の志願兵となりましたが、訓練に耐えられず心を病んだ上に、その後のナチス政権下では「退廃芸術」のレッテルを貼られ、自ら命を絶ちました。

左:エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー《ロシア人の女》(1912年)

 ナチス政権時代に作られた2つの彫刻

 展示室の中央に置かれている2点の彫刻作品は、ナチスが政権につき、第二次世界大戦へと向かっていった時代の作品です。

会場風景 ケーテ・コルヴィッツ《哀悼》(1938年)

 私が女性作家のケーテ・コルヴィッツのことを知ったのも学生時代でした。友人が「一番好きなドイツの彫刻家」だと言って、ケーテの日記と書簡集を贈ってくれました。20世紀初めのベルリンで、町医者として貧しい人たちを診察する夫を助けてきたケーテが、貧困にあえぎ死と隣り合わせの人々や、労働者や農民など身を粉にして働く人々の日常をテーマに作品を生み出すようになったのは自然なことだったようです。

 本の中の日記や書簡には、絵や彫刻で社会に働きかけることが自分の使命だと考えたこと、第一次世界大戦に志願兵として出征した18歳の次男ペーターが、出征後すぐに戦死し、志願を思いとどまらせなかったことを悔やんだこと、その年からペーターの墓碑にする彫刻の制作に取り組み、中断はあったものの、ペーターが生きたのと同じ18年もの歳月をかけて完成させたことなどが記されています。悲嘆と憤りを、作品を生み出すエネルギーに変え、同時に平和主義者として世の中に働きかけたその行動力に圧倒されたこと――。
この彫刻《哀悼》を見て思い出しました。

エルンスト・バルラハ《うずくまる老女》(1933年)

 《哀悼》は、隣の作品《うずくまる老女》の作者、エルンスト・バルラハが亡くなった1938年に制作されました。バルラハは、ナチスによって「退廃芸術」のレッテルを貼られ、執拗な弾圧を受ける中で亡くなりました。

ケーテとバルラハは互いの作品からインスピレーションを得ていたといい、日記にはバルラハの葬儀に参列したことが記され、その翌月には、まるで亡くなったバルラハが最後に祝福してくれたかのように、仕事がうまくいくと書かれています。きっと、その死を悼み、不当な弾圧に憤りながら制作された作品なのでしょう。

アート受難の時代を生き延びた作品

「第1章 ドイツ・モダニズム――新たな芸術表現を求めて」にある作品の作者の多くが戦争で亡くなったり、たとえ生きて帰れてもその後の心身の健康に影響を受けたり、思想や作風が大きく転換したりしています。また、作品の多くがナチス政権下で「退廃芸術」として接収され、作者は辱めを受けて作品を焼かれたり、創作活動を禁止されたりもしました。

 しかし、受難の時代を生き延びた作品の一部が、今私たちの目の前にあるのは、この展覧会がテーマとするヨーゼフ・ハウプリヒをはじめとする市民コレクターたちの功績によるところが大きいと言えるでしょう。
ハウプリヒは第一次世界大戦終結後から、表現主義の作品を中心にコレクションを始めていましたが、第二次世界大戦中も「退廃芸術」とされた作品を買い進め、戦後の1946年に現在、ルートヴィヒ美術館があるケルン市に寄贈し、これが現コレクションの基礎のひとつとなりました。この収集活動がなければ、ここにある作品の多くは、今は存在していなかったかもしれないのです。

 市民コレクターたちの手で救い出された作品が、世界を巻き込む戦争の危機が起きている2022年に日本で展示されているのは、偶然のタイミングでしょう。それでも、無念な死を遂げたり、自由な芸術表現を封じられたりした20世紀の芸術家たちからのメッセージは、日本にいる私たちに確かに届いたのです。


*展覧会図録のほか、
Andrea Firmenich”August Macke: Aquarelle und Zeichnungen”Wienand 1992、Käthe Kollwitz, Hrsg. Von Hans Kollwitz”Ich will wirken in dieser Zeit: Auswahl aus den Tagebüchern und Briefen, aus Graphik, Zeichnungen und Plastik“Ullstein, 1989を参照しました。

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