【レビュー】会津で開催中「新選組展2022-史料から辿る足跡」 近藤、土方、斎藤一らの息吹を感じる 福島県立博物館で9月19日まで

「新選組展2022―史料から辿る足跡―」
福島県立博物館(福島県会津若松市城東町)
会期:2022年7月23日(土)~9月19日(月・祝)
開館時間:9:30~17:00(入場は閉館の30分前)
夜間開館:9月10日(土)、9月17日(土)、9月18日(日)は、19:00(入館は18:00)まで
休館日:月曜(9月19日は開館)
観覧料:一般・大学生1,300円 高校生800円 中学生以下無料
詳しくは展覧会のホームページ https://shinsengumiten2022.jp/
展覧会のツイッター https://twitter.com/shinsengumi2022

隊士の自筆の書簡や実際に使った刀などの史料で新選組の実像に迫る「新選組展2022-史料から辿たどる足跡」が福島県立博物館(会津若松市)で9月19日まで開催されています。新選組とゆかりの深い会津(同館は鶴ヶ城三の丸跡)での開催とあって、すでに来客者数2万人を突破し、多くの歴史ファンが訪れています。

実物資料がずらり

「幕末の京都政局の重要人物、孝明天皇の肖像画も実物を展示しています」と話す栗原さん。《孝明天皇御尊影》堤哲長筆 江戸時代 19世紀 泉涌寺蔵

担当の栗原祐斗・副主任学芸員の案内で、会場を取材しました。
激動の時代を生きた近藤勇、土方歳三らの自筆の書状や、土方が実際に使った愛刀「和泉守兼定いずみのかみかねさだ」などの実物資料が並ぶ様は圧巻です。

前後左右から土方の愛刀を鑑賞することができる。《刀 銘和泉守兼定》土方歳三佩用 慶応三年(1867)二月 土方歳三資料館蔵
土方歳三の生家に伝わる家伝薬「石田散薬」の製造道具 江戸時代 19世紀 土方歳三資料館蔵

イメージと違う?筆まめな近藤勇

左:『大菩薩峠』の作者が描いた近藤勇。《近藤勇先生像》中里介山筆 近代 20世紀 土方歳三記念館蔵 右:近藤の書《漢詩書「百行所依孝与忠」》近藤勇筆 江戸時代 19世紀 東京国立博物館蔵

栗原さんは「新選組は世代を超えて愛されていますが、小説やドラマ、マンガ、アニメ、ゲームなどフィクション作品を通じて新選組をイメージしている人も多いでしょう」と話し、「本展では、同時代の資料から新選組の実像を描きます。のちの時代に作られた隊士たちのイメージとの違いを知ることも、展覧会の楽しみ方の一つです」と続けます。そうした視点で注目したいのが、新選組局長の近藤勇です。
〈武士を目指す成長途上の男〉〈肉体派で細かいことは苦手〉〈政治的なことは土方にお任せ〉など、記者が抱いていた近藤のイメージを、栗原さんにぶつけてみました。

「近藤勇は新選組を京都で作った時点で、すでにしっかりとした政治思想を持ち、政治力にもたけた人物であることが、今回並ぶ史料から分かります」と栗原さん。

松平容保の出会いや政治的な思想を記す近藤勇自筆の書。《志大略相認書》近藤勇筆 文久三年(1863)三月 個人蔵

意外だったのは、近藤勇が筆まめで几帳面だったことでした。栗原さんは「武芸の道場主という経歴から肉体派と思われがちな近藤ですが、当時の道場は社会や思想を議論する文化的なサロンでもありました。近藤は京都で政治活動を始めると、天然理心流の門人や故郷・多摩の仲間たちに、京都の情勢を詳細に報告していました。多摩や江戸を拠点に活動していた仲間にとっては、貴重な情報源となっていたことでしょう」と説明します。

近藤勇と土方歳三の書はどっち?

近藤勇と土方歳三の直筆の書が並んでいるコーナーがあります。さて、どちらがどっちでしょう?

答えは、細かい字でびっちりと書いた上のほうが近藤(《近藤勇書簡 佐藤彦五郎宛》文久三年(1863)十月二十日 佐藤彦五郎新選組記念館蔵)で、下のおおらかでゆったりとしたほうが土方(《土方歳三書簡 小島鹿之助宛》文久三年(1863)十一月 小島資料館蔵)です。

会津藩とともに生きた斎藤一

斎藤一のコーナー

会津藩の預かりとなった新選組。戊辰戦争では、会津藩とともに戦いを続けます。しかし、近藤勇は会津の地を踏むことなく刑死。会津の防衛戦に参加した土方歳三は転戦を続けて北海道の五稜郭で戦死します。

ところがその後の人生を会津とともに過ごした隊員がいました。斎藤一(藤田五郎)です。明治時代になって永倉新八ら新選組の生き残りが新選組のことを語りつぎましたが、斎藤一は新選組のことを語らなかったため、あまりその実像が知られていませんでした。

斎藤一(当時は山口二郎を名乗る)は、若松城の籠城戦が始まると、仙台へ転戦する土方とたもとをわかち、籠城戦を城外で戦い続け、終戦を迎えました。

斎藤は藤田五郎と名前を変えて、会津藩士として、下北半島へ移り、廃藩後の明治7年(1874)に東京に戻ります。そこで、会津藩士の長女と結婚しますが、その仲人は松平容保がつとめました。斎藤は、大正4年(1915)に東京で亡くなりましたが、本人が墓の場所は会津の寺と希望し、最後まで会津に寄り添いました。

初公開の家族写真。《斎藤一(藤田五郎)家族写真》明治三十年(1897)十一月十四日撮影 個人(福島県立博物館寄託)

「新選組展2022―史料から辿る足跡」は福島県立博物館で9月19日まで。10月1日から11月27日まで京都文化博物館(京都市中京区)に巡回します。

グッズも豊富です!

本展のオリジナルグッズはコラボした刀剣乱舞グッズとあわせて、豊富なラインナップでした。

なかでも修学旅行で会津に行ったことのある人には懐かしい木刀が、今展限定のオリジナルデザインで販売されているのも、気になりました。

(読売新聞デジタルコンテンツ部 岡本公樹)

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