「女子供に歴史分からない」から半世紀 「ベルサイユのばら」池田理代子さんに聞く 先駆者の苦闘を振り返る

最近はオペラやミュージカルの台本作成に加えて、足腰を鍛えるためにテニスも始めたという池田さん(熱海・起雲閣で)

9月17日(土)から東京シティビュー(東京・六本木)で開催される「誕生50周年記念 ベルサイユのばら展 ―ベルばらは永遠に―」を前に、作者の池田理代子先生が「美術展ナビ」などの取材に応じてくれました。ベルサイユのばらの誕生から連載中の苦労、意外なエピソードなどを次々と披露。華麗でドラマティックなストーリーの裏側で、女性漫画家の先駆けのひとりとして、その歩みは「茨の道」であったことを明かしてくれました。(美術展ナビ編集班スタッフ・彩)

フランス革命でなく、マリー・アントワネットの物語を書いてみたい

―――「ベルサイユのばら」を描こうと思ったきっかけは

高校2年生の夏、シュテファン・ツヴァイクの「マリー・アントワネット」を読んで、アントワネットの若い頃の無邪気なかわいらしさ、そして、フランス革命という大変な不幸に投げ込まれて、人間として立派に目覚めていくその過程に感動しました。その時、いつか、フランス革命でなく、マリー・アントワネットの物語を書いてみたいという願いを持ちました。

当時はマンガ、映画、小説、なにで書くかは決まっていませんでしたが、たまたま漫画家になったので、ぜひかきたいなと思っていました。

ステキなお召し物の池田先生。ブランドを伺うと、「ネットで買ったので分かりません。私、ブランドなどにあまり興味がないので」と朗らかに笑顔で答えてくれました。

―――ベルサイユのばらは連載50周年を迎えました

50周年というのは、想像もつかない時間で、もう生きていないと思っていました。
「ベルサイユのばら」という作品の持つ世間の皆さんのイメージは華やかだと思うんですが、連載開始当時、私は24歳の小娘でした。その当時、漫画は文化とは認められていなくて、嫌な思い出ばかりが蘇ります。

その頃、男女の格差というのは酷いものがありまして、「少女漫画で歴史物などとんでもない、女子供に歴史なんて与えたってわかるわけがない」と言われましたが、私も若かったので、売り言葉に買い言葉で「必ず当ててみせます」と言いました。

「ジェンダー以前」、男女差別は当たり前

―――結果、「ベルサイユのばら」は大ヒット。男性として、軍人として育てられたオスカル等、ジェンダー的な意識を感じる物語は、男女差別の問題に取り組もうという意識を持って執筆されていたのでしょうか。また、昨今の女性を取り巻く環境の変化についてはどう感じていますか。

男女差別は当たり前、ジェンダーという言葉さえなかった時代です。漫画で食べられない時代はアルバイトをしていましたが、上司のセクハラで辞めざるを得ませんでした。ジェンダーということを考える余裕もなく、若い女の子はこういう目にあうのだと、そういう時代でしたね。

同じ雑誌、同じくらいの人気でも、女性作家は男性作家の半分のギャラと決まっていました。ある時、一体どうしてですか?と聞いたら、なんて馬鹿なことを聞くんだという顔をされて、「だって男は将来結婚して、女子供を食わせなきゃいけない、あなたたち女は食わせてもらうんだから、男が倍もらうのはあたりまえじゃないか」と。ジェンダー原始時代ですね。

―――悔しさを漫画にぶつけたのですか

それはないですね。創作はずっと自分が書きたいと思っていたことを、泉のように湧きでるものをかきました。ジェンダーギャップを社会に訴えようという意識は殆どありませんでした。より良いもの、自分の書きたいものを執筆しました。

インタビューの会場は、名建築で知られる熱海の起雲閣。緑豊かな環境で、リラックスして答えてくれました。

―――執筆中の印象的な出来事は?

連載中には月に一万通のファンレターが届きました。でも、その中に1通でも悪口が書いてあると、強烈に残って、未だにその時に言われた嫌な言葉がフラッシュバックします。なんでもそうだと思うけれど、一番最初、先駆けという存在は叩かれるんですね。

高2の時かな?ビートルズが流行って来日した頃も、大人たちはものすごく否定していました。「あんな長い髪、くだらない音楽」と。でも、いまやビートルズの音楽はまさに古典だと手のひらを返していますけど、新しく出てくる文化の媒体というのはすべてそういう目に合うんだなと。

信念に生きたモハメド・アリを尊敬

―――影響を受けた人物はいますか

モハメド・アリは私の生き方を決めてくれた人です。私が大学に入ったくらいの時でしたが、彼は徴兵を拒否し酷い目にあいながらも、自分の持っているもの、名声、色々なものを捨て、しかもプロボクサーとしての資格まではく奪されても抵抗して、自分の意志、信念を曲げなかった。こういう人生を自分もしたいなと思いました。

―――「ベルサイユのばら」が50年愛され続ける理由はなんでしょう。

あまり考えないですね。愛して下さるのは読者の方なので、自分がここを愛されたいと思って書いたことは一度もありません。むしろ皆さんにこちらからお聞きしたいですね。

ただ、ファンの方にお手紙を頂いた中で、「人生の中でその都度新しい発見がある、100回読み返せば100回新しい発見あって、感動することが出来る」と書いてくださったことは、印象に残っています。

池田先生に質問できる貴重な機会!ファンが気になる質問も聞いてみました。

―――「ベルサイユのばら」の中で、一番好きな人物は?

自分が生み出すすべてのキャラクターは全部好きです。全部、生きてくるようにたとえ悪役であろうと、端役であろうと、そのようにかいてきました。

―――もし先生がオスカルだったら、アンドレ、フェルゼン、ジェローデル、どの男性を選びますか

わたしだったら、ルイ16世!わたしあの人すごく好きなんです。漫画ではコミカルに描きましたけど、読書が好き、教養がある、他の女に目もくれない、ダンスが下手なところ、すごく気に入っています。

オスカルとアンドレが結ばれる? 想像もせず

―――物語が進むにつれ、キャラクターの顔立ち、特にアンドレ変わっているように見受けられますが

ああ、それは、連載を始める時にオスカルが誰と結ばれるかは考えていなかったんです。「アンドレは・・・・・まぁないかな・・・」と(笑)

最初はお友達として登場したけれど、段々書いてるうちに、やっぱり側にいる人が一番重要なんじゃないかなと思い始めました。当時思ったのは地位とかお金じゃなくて、本当に心優しく自分を支えてくれる男性が、女性にとって一番大事な存在なのかなと・・・。あの頃の私が思ったのだから、今の働く女性は特に思うのではないでしょうか。

「アンドレだったら家事育児やってくれそう」と笑顔で語る姿は、自分の生み出したキャラクターを心から愛しているのだと感じます。

―――宝塚歌劇で舞台化された「ベルサイユのばら」を初めて見た時の印象は

榛名由梨さんの美しさに茫然としました。ただ、あの頃、宝塚でさえも「漫画なんかを伝統ある宝塚に」という声が宝塚内部でもありました。それくらい漫画の地位は低かったのです。

ただ、漫画のファンにしてみれば、「あのオスカル様を生の人間がやるなんて!」と、榛名さんも脅しの手紙が来たりしてね、最初のベルばらの出演者とは、今でも交友がありますけど、戦友のような感じですね。

―――今後の展望について

うふふふ、私は今年後期高齢者になるので、どうやって自分の人生を終うかを考えています。
ずっと東京に住んでいたけど、5年くらい前に熱海に越してきました。
東京では感じることのできない日々の自然の移り変わりすごくときめいています。本来人間は、朝窓を開けたら、鳥の声が飛び込んでくる…林、森、山が日ごとに色を変えていく…そういったことに感動を覚えるのが普通だったのではないでしょうか。

池田理代子(いけだ・りよこ):1947年、大阪府生まれ。劇画家、声楽家。東京教育大学(現・筑波大学)在学中に劇画を描きはじめ、1967年、「バラ屋敷の少女」でデビュー。1972年、「週刊マーガレット」で「ベルサイユのばら」連載を開始。1980年、「オルフェウスの窓」で日本漫画家協会優秀賞を受賞。1995年、47歳で東京音楽大学声楽科に入学。卒業後はソプラノ歌手として舞台に立ち、オペラの演出や台本も手掛けている。2009年、日本においてフランスの歴史や文化をひろめた功績に対し、フランス政府より「レジオン・ドヌール勲章」を贈られた。