【レビュー】「山の雑誌の表紙展~辻まことの世界~」安曇野山岳美術館で、10月5日まで

「山の雑誌の表紙展 ~辻まことの世界~」 |
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会場:安曇野山岳美術館(長野県安曇野市穂高有明3613-26 ℡0263-83-4743) |
会期:2022年7月1日(金)~10月5日(水) |
休館日:毎週木曜日(8月は無休) |
開館時間:午前10時~午後4時 |
入場料:一般・大学生700円、中学・高校生300円、小学生以下無料 |
詳しくは館公式サイト |
一世を風靡 「岳人」表紙絵
1970年代、山岳雑誌「岳人」の表紙を飾った辻まことの絵画展が長野・安曇野山岳美術館で開かれている。辻まことはダダイストを標榜した思想家の辻潤を父、関東大震災直後の甘粕事件で横死した婦人解放運動家の伊藤野枝を母に持つ画家。少年期から流転の人生を歩んだが、山への傾倒は深く、その経験から生まれた画文は一世を風靡した。最晩年に手掛けたのが「岳人」の表紙絵だった。ここでは辻まことと直に接し、辻まことに関する著述も多いベテラン登山家2人に、絵にまつまる辻の思い出を聞きながら展示作品を見ていく。
静かな森の中にある安曇野山岳美術館
父は放浪のダダイスト 母は愛人と横死
最初に辻まことの人生をごく大雑把になぞる。本名は辻一。生まれは1913(大正2)年。2年後、母の伊藤野枝は夫の辻潤と長男まことを捨て、無政府主義者の大杉栄のもとに走り、関東大震災後、大杉と共に甘粕憲兵隊の手で虐殺される。
辻まこと10歳のときの事件だった。まことは15歳のとき、父の潤と共にパリに渡るが、1年で帰国する。その後は学業もままならず、生活のためペンキ屋、化粧品屋、喫茶店など職を転々とした。一方、潤は放浪に明け暮れる。しまいには精神に異常をきたし、餓死に至った。
得意のギターを弾く辻まこと(写真:内田耕作)
まことは戦時中、新聞特派員として渡った中国で陸軍に徴用され、日本軍の略奪行為を目の当たりにして人間や社会への不信を増幅させた。終戦で復員した後は登山に没頭。山に関連した絵やイラスト、エッセイ、詩などの画文を雑誌や画廊で発表した。
最晩年に手掛けたのが「岳人」の表紙絵だった。掲載開始は1971(同46)年1月号。しかし、がんを患い、75(同50)年、62歳で亡くなる。最期に描いた絵が没後の76年2月号に掲載され、遺作となった。
本展ではその表紙と原画14点、各号に辻まことが寄せた「表紙の言葉」を展示している。岳人編集部や辻まこと作品収集家の植田俊一郎氏、日本山岳画協会などから協賛、後援を得て実現した。

「自分の人生は自分で決める」
辻まことが15歳で父の渡仏に同行したのは画家を志したためだったが、ルーブル美術館で名画の数々を目の当たりにして断念する。後年の本人の手記に「ドラクロアに特に打撃を受けた」とある。
辻潤は辻潤で「パリに見るべきものなし」と決めつけ、さしたる活動もしないまま1年で帰国する。そんな父にまことは激しくぶつかった。当時パリ留学中の小磯良平などからも説得され、しぶしぶ帰国の途に就いた。
「辻さんは生前、パリとの別れを『一生の後悔。帰る、帰らないで親父と大喧嘩したよ』と振り返っていました。やはり異国の風物や出会いは少年の好奇心を強く刺激したのでしょう。『もう大人の言うことは聞かない、信用しない。自分の人生は自分で決める』と思ったようです」
こう話すのは日本山岳画協会会員の小谷明さん(88)。高校時代、長野・乗鞍でのスキー合宿で20歳以上年上の辻まことと知り合って以降、謦咳に接した登山家の一人だ。
辻まことは幼少期から貧乏暮らし。子育てに関心のない両親を持ったがため、親戚の間をたらい回しにされ、居候として育った。美術学校で絵を学ぶ経済的余裕などなく、すべて独学で得た画法だった。

「心に残っているものを描けばいい」
長じて画家になってもアトリエを構えたわけでもない。どこでどう渡りをつけたのか、銀座にあった大企業のビルの一室を間借りし、事務所に仕立て絵も描いた。
どんな絵もその場でさっと仕上げてしまうのが辻まこと流だった。「事務所で実際に辻さんが描いているところを見て驚きました。ひらめきで筆を走らせるんです。野山でもエベレストでもパリの下町でも、何が画題でも参考にする写真や資料はなし。下書きすらなく、描き始めたかと思うと、すぐに『はい、できました』。それでも出来栄えは素晴らしい。この人は天才だと思いました」。小谷さんは回想する。
辻まことに「写真もなしで、よく描けますね」と聞いてみたことがあるという。答えは「写真なんか見たら、誰が描いても同じものができてしまうじゃないか。俺には記憶が写真なんだ。絵は心に残っているものを描けばいいんだよ」だった。

自分の絵に対する世人の評価にも無頓着。「辻さんは『絵は描きたいという心が大事。うまい下手は関係ない。人に勝手に言わせておけばいい』とも話していました」。こんな言葉にも「自分のことは自分で決める」主義が覗く。
辻まことは社会批評の弁も鋭かった。画壇や功名に縁も興味も持たなかった。そうかといって頑迷な人間ではなかった。むしろ逆で、登山家はもちろん、草野心平、宇佐美英治、矢内原伊作、山本太郎、串田孫一など一流の詩人や知識人、ジャーナリストらの知遇を得た。スキーや魚釣り、ギターの名手でもあり、辻まことの行くところ人の輪ができた。

「辻に頼めば面白い絵が届く」
絵の幅も広かった。広告のイラストでも風刺画でもバーの看板でも何でも注文を受け、柔軟に描き分けた。事務所の来客の似顔絵も即興で描いてみせた。
「『辻まことに頼めば、間違いのない、面白い絵が届く』と重宝がられていました。素早く相手の意図をくみとり、楽しませたり喜ばせたりすることに長けた人でしたから。小さな時分から居候と転校を繰り返し、先々で人間観察や居場所探しを強いられているうちに、おのずと身に付いた術ではないでしょうか」

「岳人」の表紙絵は同誌の内容刷新にあわせて依頼された仕事だった。それまでは登山家に対峙する峻険な岩山や雪山などを映した硬派の写真が表紙を飾っていたが、辻まことはその路線と決別。山の男のおおらかで健康、素朴で友情にも厚い姿や、彼らを歓迎する山を童画のようなタッチで描き、親しみやすい雑誌の顔へと変貌させた。
「『岳人』の表紙絵も何も見ないまま筆を手にしていました。もちろんやっつけ仕事ではなく、親交を結んだ山友だち達をイメージして描いたのだと思います。読者も表紙を見てはかつての自分や仲間を思い起こし、『これはきっとあいつがモデルだ』なんて愉快に想像を巡らせたりしたものです。それこそ写真のように味気ないものではなく、温かみのある絵を通して、我われ山族の脳裏に山での貴重な時間を再現してくれたのです」。小谷さんは辻まことへの感謝を込めて語った。

「自分に時間がないことを知っていた」
陽光や談笑、澄んだ空気と草木の匂いに包まれた表紙が続いた。「表紙の言葉」も具体的な山での生活について書くことが多かった。しかし最後の2作、76年1月号と2月号はどちらも変調する。実は制作時、辻まことは既に重い病の床にあった。医師も手の施しようのないところまで、がんに体をむしばまれていたのだ。

小谷さんと同じく日本山岳画協会会員で、やはり高校時代に辻まことと知り合い、辻を敬愛した柴野邦彦さん(79)は「辻さんはずっと楽しみながら表紙絵を描いていました。でも、このころはもう自分には時間がないことを知っていました」と記憶をたどった。
たしかに2作は夜の暗く冷たい空気に覆われ、男の表情に明るさは見つけられない。2月号の男は山小屋の中で独り時間を忘れ、しきりに手帳の上でペンを走らせているが、「詩かメッセージを遺そうとする辻まこと本人でないか」とも想像させる。

「死に臨んで新境地。生きていたら…」
柴野さんは別の視点も加える。「辻さんは死に臨み、新しい境地を開いたと思うのです。それまでの辻さんの表紙絵は挿絵のように何かのストーリーの中に置くような絵でしたが、この2作は純粋に絵として成立しています。ストーリーを背負わなくても色や形で物語っているわけです。もっと生きていたら、さらにたくさんの秀作を世に送っていたに違いありません」

柴野さんは辻まことの棺を担いだ一人でもある。「マスコミに追いかけられるのも嫌った人でしたから、ひっそりと小さな葬式でした。会場も辻さんの住んでいた東京郊外の団地です。でも参列者の顔触れがすごい。草野心平、宇佐美英治、矢内原伊作…。みな、辻さんの絵や詩文の才能を羨ましがっていた人たちでした」
「辻まことに興味を持ってほしい」
本展について柴野さんは「いいところに目を付けたと思いました。最近は辻さんの個展も無かったですし、彼を思慕する者にはありがたい企画です。ただ、辻まことのバックボーンはとても奥深く、辻まことの人間像を知るのは簡単ではありません。本展を見て、辻まことに興味を持ってくれればうれしいです」と希望する。

小谷さんと柴野さんは9月、自宅のある都内から同館に駆け付け、「辻まことの世界」というテーマでギャラリートークをする。2人が館に協力を惜しまないのには、辻まことを知ってもらうこと以外に理由がある。同館の応援だ。
同館は1983(昭和58)年、地元出身のアマチュア登山家が私費を投じ、北アルプスのふもとに開館した。以来約40年、山岳画に特化して個展を開いてきた。
ただ、今はコロナ禍もあり、やりくりは大変になっている。小谷さんも柴野さんも「山族や山岳画愛好家には貴重な美術館。そこが孤軍奮闘しているのだから、辻まこと展を機にみんなで助けようと話しています」と意気込みを同じくする。
辻まことが没して約半世紀。遺した絵は、今なお人を集めてやまないことを知る安曇野行だった。(ライター・遠藤雅也)
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参考文献:「山の画文」著者・辻まこと著、編者・小谷明(白日社)
「ひとり歩けば」「山中暦日」「山野晴天」柴野邦彦編、解説(未知谷)
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小谷明さんと柴野邦彦さんのギャラリートークは9月18日午後1時から。定員10人。入館料が必要。安曇野山岳美術館では本展に続き、10月7日~11月23日、小谷さんの作品展を開催する。