【レビュー】特別展「大勾玉展」大田区立郷土博物館で10月16日まで 全国から結集した1500点が物語る6000年の勾玉の歴史

特別展「大勾玉展-宝萊山古墳、東京都史跡指定70周年-」
会期:2022年8月2日(火)~10月16日(日)
会場:大田区立郷土博物館 第1展示室(2階)(東京都大田区南馬込五丁目11番13号)
開館時間:午前9時~午後5時
観覧料:大人(高校生以上)200円、小人(中学生以下)100円
休館日:月曜日(ただし、休日・祝日の場合は開館し、振替休館はしません)
アクセス:都営地下鉄浅草線「西馬込駅」徒歩約7分
JR京浜東北線「大森駅」、東急大井町線「荏原町駅」からバスで「万福寺前」下車徒歩約2分
詳しくは同博物館の展覧会HPへ。
宝萊山古墳で出土した4点の勾玉のひとつ(大田区立郷土博物館蔵)

全国から1500点もの勾玉が集結する特別展「大勾玉展-宝萊山ほうらいさん古墳、東京都史跡指定70周年-」が東京・大田区立郷土博物館で開かれています。大田区にある全長約100メートルの前方後円墳「宝萊山古墳」で出土した翡翠ひすいの勾玉を切り口に、三種の神器のひとつでもあり、謎の多い勾玉の全容に迫ります。

たくさんの勾玉が並ぶ会場

同館学芸員の斎藤あやさんは、北海道から九州まで約70の自治体や個人などを回り、縄文時代から奈良時代までおよそ6000年にわたる勾玉史を通観できる1500点もの勾玉を一堂に会することを実現しました。

勾玉の変遷を説明する斎藤あやさん

勾玉のモチーフは動物の牙?

日本列島で勾玉が誕生したのは約7000年前の縄文時代早期のこと。勾玉は、なにをモチーフにしているのかは諸説ありますが、斎藤さんは、動物(イノシシや熊、海獣など)の牙をアクセサリーとする「牙玉」の方が早く出現することから、もともとは牙がモチーフではないかと推測します。

縄文時代の「牙玉」(横浜市・青ヶ台貝塚出土、横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター蔵)

九州北部で生まれた定型デザイン

縄文時代の中期になると、堅い石を加工できる技術の革新があり、後期になると堅い翡翠を材料とする緑色(青色)系の勾玉が作られるようになります。弥生時代になると、稲作が始まった九州北部(福岡県や佐賀県)で、のちに定型となる勾玉の形が固まっていきます。

この頃に勾玉にある特徴がうまれます。勾玉というと、穴が一つだけあいているほかはツルツルというイメージを持っていました。
ところが斎藤さんは言います。

「よーく近づいて見てください。上の部分に3~4本の線が刻まれているものがあります」

古墳時代の勾玉(福岡市・老司古墳出土、福岡市埋蔵文化財センター蔵)

分かるでしょうか?
来館者に1枚プレゼントされる勾玉カードの写真が分かりやすいかもしれません。

弥生時代の九州北部で生まれた、この刻みデザインの勾玉(丁字頭(ちょうじがしら)勾玉)は非常に重要な意味を持つようになるそうです。古墳時代になると、この刻みのある勾玉は、奈良を中心としたヤマト王権と関係の深い畿内地域の古墳から多く出土するようになるのです。全国の古墳に勾玉は副葬されるにもかかわらず、刻みのある勾玉はどうやらヤマト王権によって配布されていたことがうかがえるというのです。

例えば古墳時代の関東地方では、地元出身の豪族たちがその力に応じて、巨大な古墳を作りました。冒頭に紹介した大田区の「宝萊山古墳」も全長約100メートルの大きな前方後円墳です。古墳のサイズにあわせるように、副葬品も豪華だったのですが、勾玉を見ると、どうでしょう?

刻みが、ありません!
一方で、群馬県の中規模クラスの円墳から、関東では珍しく刻みのある勾玉が出土したケースがありました。前方後円墳が円墳よりも格が上とされているにも関わらず、関東の有力者が持つことができなかった特別な勾玉を持っていたというのです。経済力は低くても、ヤマト王権から直接派遣された人物などが想定できるかもしれません。

倭の五王と子持勾玉

同じ古墳時代でも、「倭の五王」たちが活躍した5世紀ごろの古墳時代中期は、古墳の副葬品が鏡中心から武器中心へ変化するなど、なんらかの変革が起きた時期と考古学では見られています。

子持勾玉コーナー

この頃、勾玉も突然変異を見せます。「子持勾玉」と呼ばれる、これまでとは、明らかに異なるデザインの勾玉が誕生するのです。
こちらも、分かりやすい、勾玉カードで紹介します。

律令制?仏教?消えゆく勾玉

縄文時代に由来し、古墳時代にはヤマト王権の権威のあかしともなったと見られる勾玉ですが、古墳時代の後半になり、ヤマト王権の中心である畿内から、逆に廃れていきます。中国から律令制や仏教などの新しい価値観が流入してきた時期と重なります。畿内では、巨大な前方後円墳を作ることも減っていきます。

畿内などで勾玉人気が低迷する一方で、日本列島全体で見ると、その頃、日本で最大の勾玉製作地となっていた出雲(島根県)で作られた大量の勾玉が全国各地の古墳で副葬されます。

古墳時代後半は、ひとつひとつの古墳の規模は小さくなりますが、崖にたくさんの横穴を掘るなど、その数は格段に増えます。地域の有力者以外も、墓を持つことができるようになったようです。

その需要にこたえるように出雲で作られた勾玉は、前の時代の1点ものから、レディーメイドのような画一的な作りになったことが、会場で異なる時代の勾玉と見比べるとよく分かります。

忘れられた勾玉文化 最後に花開いたのは東北

こうして勾玉は一時期、量的には流行したものの、畿内の墓で使われない現象が全国に波及し、急速に消えていきます。奈良時代になる直前、古墳時代の最後の時期に、日本列島において、大量かつ高品質の勾玉が埋葬された古墳は、当時は蝦夷(えみし)たちの地とされた現在の岩手県や青森県などでした。

岩手県矢巾町の藤沢狄森5号墳から出土した勾玉(矢巾町歴史民俗資料館蔵)

出雲産のレディーメードだけでなく、1点ものの優れた技巧の勾玉が複数あります。作られた時代もバラバラで、斎藤さんは「おそらく、関東地方など東北以外の有力者が何世代にもわたって伝えてきた勾玉を、東北の人が入手したのだろう」と話します。
律令制や仏教が日本列島全域に浸透していくにつれて、勾玉の価値は急速に失われましたが、律令外とされた東北地方の人たちは、列島古来の勾玉の価値を最後まで知っていたのでしょう。

勾玉は三種の神器の一つとして知られていますが、こうした考古学の状況を受けて斎藤さんは、「古事記や日本書紀など奈良時代の書物に勾玉が登場しますが、当時の人にとって勾玉はすでに過去のもので、どんなものか具体的に知らない可能性もあったかもしれません」と話します。

邪馬台国、倭の五王、律令制、東北の蝦夷といった歴史の節目と、勾玉の変化との関係は? 古代史・考古学ファンは必見の展覧会です。

取材時、すでに1種類が無くなっていました

大勾玉展は大田区立郷土博物館で10月16日まで。観覧料は大人200円。観覧者には全12種のオリジナル勾玉カードが1枚プレゼントされます。
(読売新聞デジタルコンテンツ部 岡本公樹)

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