【レビュー】特別展「中将姫と當麻曼荼羅―祈りが紡ぐ物語―」奈良国立博物館で8月28日まで 中将姫信仰と江戸時代の大プロジェクトに迫る

貞享本當麻曼荼羅修理完成記念 特別展「中将姫と當麻曼荼羅―祈りが紡ぐ物語―」
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会期
2022年7月16日(土)〜8月28日(日) -
会場
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観覧料金
一般 1,600円、高大学生 1,000円、小中生500円
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休館日
毎週月曜日(※8月15日(月)は開館)
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開館時間
09:30〜18:00 毎週土曜日は19時まで(入館は閉館の30分前まで) - カレンダーへ登録
奈良国立博物館で、特別展「中将姫と當麻曼荼羅―祈りが紡ぐ物語―」が7月16日に開幕しました。
本展は、令和2年(2020年)度に本格修理を終えた當麻曼荼羅「
「當麻曼荼羅」とは?「貞享本」とは?
奈良県
この根本曼荼羅の製作に関わったとされるのが、不思議な伝承が残る奈良時代の女性「中将姫」。「一夜にして蓮華の糸で曼荼羅を織りあげた」「29歳で女人として生身のまま極楽往生した(女人往生)」といった様々な説話で彩られた人物です。(中将姫の物語のあらすじについては、こちらの記事をご覧ください)

奈良時代の浄土信仰を伝える
法然上人による「浄土宗」が、末法の世である平安時代末期に成立したため、「“南無阿弥陀仏”と唱えて極楽往生」について、何となく中世以降のイメージを抱きがちですが、「根本曼荼羅や中将姫の存在は、奈良時代の浄土信仰を伝えるものとして重要です」と同展担当の北澤菜月主任研究員は説明します。

源頼朝、北条泰時の名も
極楽往生の機運が高まる中世以降、當麻曼荼羅は数多くの写しが製作され、「女人往生」した奇跡の物語のヒロインである中将姫の存在とセットで信仰は広がっていきました。


江戸時代の大規模修復プロジェクトと第3の「當麻曼荼羅」

「貞享本」とは端的に言うと、江戸時代の貞享年間に製作された「根本曼荼羅の精巧な写し」のこと。
「なんだ、江戸時代のレプリカか…」とは思わないでください。江戸時代の人々は、根本曼荼羅と室町時代に同サイズ(4メートル四方)で製作された写し「當麻曼荼羅(文亀本)」を大修理して、その図様を精緻に確認し、「もうひとつの根本曼荼羅」をつくろうとの思いで、この「當麻曼荼羅(貞享本)」を製作したのです。
なぜ、貞享本をつくろうとしたのか?

江戸時代の延宝5年(1677)、京都大雲院の僧・高誉上人性愚が當麻寺に参詣し、根本曼荼羅と文亀本の保存状態を嘆いて、修理を企画しました。
本展では、根本曼荼羅と文亀本の修復時に納められた軸内納入文書や新たに製作された貞享本の軸内納入文書が初公開されています。

「納入品や修復記録によると、いつ失われるか分からない不安感から、この世に残すため、2つの當麻曼荼羅を修復し、新たなものを製作しようと考えたようです。レプリカではなく、信仰としてもうひとつ本物をという思いと、一方で、記録として残しておこうという冷静な判断が見受けられます」と北澤さん。
軸内文書には、力強い筆跡で、往生の願う結縁者や亡くなった方々の名前が記されており、「一蓮託生」の文字も。何としても修理して、新しいものをつくろうという、当時の人々の強い想いが伝わってきます。
どうやって根本曼荼羅の図様を確認したのか?
2つの當麻曼荼羅の修復は非常に大掛かりなものでした。奈良時代の根本曼荼羅は、鎌倉時代に厨子扉が設けられて以来、板貼りでしたが、この江戸期の修復事業で板から剥がされ、軸装に修復されました。

修理時、根本曼荼羅を板から剥がす際に、表側に張り付けた紙に移った阿弥陀三尊像が「印紙曼荼羅」です。
また、剥がした板面にうっすらと曼荼羅の図様が残ったものが、秘仏「裏板曼荼羅」です。ある意味もうひとつの根本曼荼羅とも言えるもので、本展覧会の会期にあわせて、當麻寺で特別公開中です。「印紙曼荼羅」と「裏板曼荼羅」は、根本曼荼羅の分身として、礼拝の対象とされています。
板から剥がされたことで、経年で見えにくくなっていた根本曼荼羅の図様を詳細に確認できたため、もうひとつの根本曼荼羅として「貞享本」を製作することができるようになりました。
貞享本は、修復も含め約10年がかりで、貞享3年(1686)に霊元天皇の宸筆(天皇の直筆)を得て完成。本来の状態に近い彩色で、最も根本曼荼羅に近いものとして重要視されています。

貞享本と同じ絵師による写し曼荼羅3幅すべて揃う

高誉上人性愚は、貞享本製作にあたって、根本曼荼羅の図様を詳細に調べた下絵を作成しています。そのため、この下絵を用いれば、同じ図様の写しを製作することが可能になりました。貞享本を描いた京都の絵師・青木宗慶による写しが岡山の誕生寺(浄土宗の開祖・法然上人の生誕地)と福井の正覚寺にもあります。

多くの女性の心をとらえた中将姫

當麻曼荼羅の写しや縁起絵の成立は、天皇や公家が関わってきました。身分の高い女性が中将姫に心を寄せた事例も数多く残っています。

中将姫の物語は、室町時代までに「継子いじめ」のストーリーが含まれました。室町時代に當麻曼荼羅成立の物語が能の「

ところで、生身で女人往生したと伝わり、多くの女性の心をとらえ続けた中将姫ですが、「生きたまま往生」とはどういう意味なのでしょうか?
當麻寺の川中
(ライター・いずみゆか)