【レビュー】極楽より地獄が人気? 企画展「のぞいてみられぇ!“あの世”の美術-岡山・宗教美術の名宝Ⅲ-」 龍谷ミュージアムで8月21日まで

企画展「のぞいてみられぇ!“あの世”の美術-岡山・宗教美術の名宝Ⅲ」

  • 会期

    2022年7月16日(土)8月21日(日) 
  • 会場

    龍谷ミュージアム
    http://museum.ryukoku.ac.jp/
    京都市下京区堀川通正面下る(西本願寺前)
  • 観覧料金

    大人900円、高大生500円、小中生200円、小学生未満と障がい者手帳をお持ちの方と介護者1人は無料

  • 休館日

    月曜日

  • 開館時間

    10:00〜17:00 (入館は午後4時30分まで)
  • アクセス

    京都市バス「西本願寺前」下車徒歩2分、京都駅から徒歩12分
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古代から交通の要衝で文化的にも栄えた岡山県の「宗教美術の名宝」シリーズ最終回、第3弾「のぞいてみられえ!“あの世”の美術-岡山・宗教美術の名宝Ⅲ-」が、龍谷ミュージアムで開かれています。15日の内覧会に行って来ました。今回のテーマは浄土教や浄土信仰にまつわる岡山県の文化財。「法然さん」「地獄・極楽」「熊野比丘尼(びくに)」をキーワードに3章に分けて紹介します。展示も15センチ四方の冊子も、熊野比丘尼の女の子のびくにちゃん、こびくにちゃん、こおにちゃんの3人のキャラクターが登場し、分かりやすく解説してくれます。企画展の会場は3階ですが、2階ではシリーズ展「仏教の思想と文化-インドから日本へ-」展開かれていて、こちらも興味深いものばかりです。
熊野比丘尼の女の子、びくにちゃん、こびくにちゃん、こおにちゃんが説明してくれるブックレット

第1章 法然さんーBorn  in  岡山!

(右)「法然上人像」 室町時代 双幅のうちの1幅 個人蔵 (左)「善導法然二祖像」 室町時代 岡山県立博物館蔵
浄土宗の開祖法然上人(1133~1212)は今の岡山県で生まれました。1章では法然の一生を追います。幼い時から利発で、比叡山で修行中は「智慧第一の法然房」と呼ばれたそうです。顔立ちも優しく、念仏もとても美声だったと言います。「法然上人像」はふくよかな顔で、優しい人柄を表しているようです。善導(613~681)は中国の唐初の僧で、「称名念仏」を中心とした浄土思想を確立した人です。法然は彼の著した「観無量寿経」の注釈書を読んで、念仏が人々を救う道だと信じるようになりました。比叡山を下り、その地で念仏を唱えて眠ったところ、夢の中で紫雲がたなびき、下半身が仏のように金色に輝く善導が現れたと言います。「善導法然二祖像」はその時のことを表わした絵で、善導の下半身は金色です。二人とも実に優しい顔をしています。本来、自らの解脱を目的とする仏教ですが、すべての人を救う道を求めた二人の心が現れているようです。
「拾遺古徳伝絵断簡『対談善信』」 南北朝時代 岡山県立博物館蔵
法然の弟子の一人で後に浄土真宗を開く親鸞(1173~1263)が、初めて法然の住む吉水禅房を訪れた場面です。この時、法然は69歳、親鸞29歳。絵は時間を追って親鸞が2カ所、房を訪れた場面(右下)と房内で法然と対面している場面が描かれています。後年の厚い信頼関係を暗示するかのような、二人の表情が印象的でした。ところで、縁側の二人は何をしているところなのでしょう。少々気になります。
「法然上人伝法絵断簡」6幅 鎌倉時代 右端は個人蔵 他は岡山県立博物館蔵
法然の生涯を絵巻にしたものです。6幅の掛け軸として展示されていますが、元々は他に数幅を加えた一巻の絵巻でした。岡山県立博物館が収集して、一繋がりとして見ることができるようになりました。右から75歳で土佐への流刑の途中を描いた「経ヶ島」、讃岐で当地の地頭にもてなしを受けた際の「塩飽(しわく)」、流刑を解く報せが届いた場面の「恩免」、都には戻れずに摂津で過ごした時に寺に一切経を収めた「一切経施入」、都に戻り東山大谷に居を構えた「大谷」、そして80歳での「臨終」。「経ヶ島」は個人蔵で、見る機会はめったに無いそうです。「塩飽」はもてなしのご飯が山盛りです。「臨終」では釈迦の涅槃と同じ姿です。左上は阿弥陀仏の来迎でしょうか。

第2章 地獄・極楽@岡山

ここでは「あの世」とはどんなところか、昔から人々が想像してきた地獄と極楽の姿を、来迎図や十王図などを通して見ていきます。
重要文化財 「阿弥陀二十五菩薩来迎図」 鎌倉時代 遍明院(岡山県瀬戸内市)蔵
来迎とは人が亡くなる時に一心に念仏を唱えると、阿弥陀如来が迎えに来てくれるという信仰です。釈迦の正しい教えが伝わらない末法の世と考えられた平安・鎌倉時代。疫病や戦乱、災害が続く現世に対し、あの世では平穏に暮らしたいというのは人々の切実な願いだったのでしょう。顔料の剥落などはありますが、確かに金色の25体の菩薩が描かれています。亡くなる人に蓮台を差し出す菩薩がいます。琵琶や笙、太鼓を持った菩薩も。妙なる調べを奏でながらお迎えに来てくれる。そんな願いが伝わって来るようです。
「菩薩面(行道面)」 平安後期~鎌倉時代 吉備津神社(岡山市)蔵
来迎の様子を再現する「練供養(ねりくよう)迎講(むかえこう))」で菩薩になるために被った面です。吉備津神社に伝わる11の面が展示されています。今の吉備津神社にはありませんが、昔は神社内の寺である神宮寺で練供養がされていたのかも知れません。筆者も練供養を見たことがありますが、金色の面と光背を付けた菩薩が阿弥陀如来を先頭に歩く姿は、昔の人にとっては有り難く映ったのだろうと想像できます。この面も昔は金色に輝いていたのでしょう。目の部分の穴は今も分かります。
「遣迎二尊十王十仏図」 鎌倉~南北朝時代 木山寺(岡山県真庭市)
死後に人がどの世に生まれ変わるかは、「十王」と呼ばれる裁判官の順に行われる裁判によって決まる。そういう中国で生まれた信仰があります。閻魔様が有名ですね。十王は十の仏の化身と考えられています。その関係を表わした図です。上の二尊はあの世に送り出す釈迦如来と、この世に迎えに来る阿弥陀如来です。それぞれ王の上にその本地(正体)である仏が描かれています。ちなみに閻魔様の本地はお地蔵様です。
重要文化財 「地蔵十王図」11幀のうち 室町時代 宝福寺(岡山県総社市)蔵
お地蔵様と初七日から四十九日までの7回、百日目、1年目、3年目の計10回の裁判を担当する十王の、それぞれの裁判の図です。中国発祥の信仰ということで、中国風の服装です。机の上には生前の行いを書いた資料が置かれています。下では舌を抜かれたり、火で炙られたりの責め苦の様子が描かれています。実は今も昔も、極楽より地獄の絵の方が人気があるのだそうです。極楽の絵は型にはまっていますが、地獄の絵は物語性があり、描くのも楽しかったのではないかと言います。見る方も、極楽にいる自分は想像しづらいですね。普段の行いを考えると地獄の方が参考になりそうです。

第3章 熊野比丘尼のふるさと

曼荼羅などが展示された第3章
熊野比丘尼とは中世後期から江戸時代にかけて、各地を回って熊野信仰を広めた女性たちを言います。今の岡山県瀬戸内市に拠点の一つがあったのだそうです。この章では彼女たちが使った曼荼羅や道具、お札を刷るための版木、刷り物などが紹介されています。
「熊野観心十界曼荼羅」 江戸時代 個人蔵

熊野比丘尼は曼荼羅を見せながら説法します。この曼荼羅は縦141センチ、横128センチ。持ち運ぶ際に折り畳んだ跡がはっきり分かります。上部には吊り金具も残っています。描かれているのは人間の一生と、極楽や地獄などあの世の情景です。中央付近の「心」の文字は、すべては心次第だということを示しているのだそうです。上部のアーチ型の道は「老いの坂」。生まれてから老いて死ぬまでの姿を描いています。立派な身なりの公家や武士、女性もいて、誰も老いと死からは逃れられないことを示しているのでしょう。下部は釜ゆでや血の池などリアルな地獄の様子です。

一方、「那智参詣曼荼羅」は熊野那智大社周辺を描いたガイドマップのようなものです。この絵を見せ、行ってみたいと思わせるのが彼女たちの腕の見せ所だったのでしょう。先に「十界曼荼羅」の地獄の絵を見せられて、この絵を説明されたら、確かに熊野にお参りしたい気持ちになるかも知れません。

極楽より地獄の絵の方がより身近でリアル。そんなことを思わせる展示でした。3人のキャラクターの説明も親しみやすさを感じさせます。疫病や戦争など、人が死と向き合わなくてはならないことは昔も今も変わりません。「この世」と「あの世」のことを考えるのに良い機会を提供してくれる展覧会です。

同時開催 シリーズ展「仏教の思想と文化 -インドから日本へー」

紀元前5世紀頃にインドで生まれ仏教は、日本に伝わるまで、そして日本でその土地の信仰を柔軟に取り入れて根付いて行きました。その2500年の仏教の歩みを、「アジアの仏教」と「日本の仏教」に分けて展開しています。龍谷大学の収蔵品を中心に大谷探検隊の関連資料や京都、奈良の貴重な仏像などが展示されています。

(ライター・秋山公哉)

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