【レビュー】今に続く「日本のリアル」とは――「市制90周年記念 リアル(写実)のゆくえ 現代の作家たち 生きること、写すこと」展 平塚市美術館で6月5日まで

前期で展示されている安本亀八の《相撲生人形》(1890年、熊本市現代美術館蔵)(部分)

市制90周年記念 リアル(写実)のゆくえ 現代の作家たち 生きること、写すこと
会場:平塚市美術館(神奈川県平塚市西八幡1-3-3)
会期:2022年4月9日(土)~6月5日(日)
休館日:月曜日
アクセス:JR平塚駅から徒歩20分、JR平塚駅東改札口(北口)から神奈川中央交通バス4番乗り場でバスに乗り、「美術館入り口」で下車、徒歩1分
入館料:一般900円、高校・大学生500円、中学生以下と毎週土曜日の高校生は無料。各種障害者手帳をお持ちの方と付き添い1人は無料。平塚市在住の65歳以上の方は無料。市外在住の65歳以上の方は2割引。
※前期(4月9日―5月8日)、後期(5月10日―6月5日)で展示替えあり。詳細情報はホームページ(https://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/)で確認を。

幕末から明治時代にかけて流行したのが「生人形」の見世物だったそうだ。一体どんなものだったのか。それが間近に見られるのが、今回の展覧会である。これは安本亀八作「相撲生人形」の頭部。まあ、額の血管に至るまで迫真の表情だ。前期は頭部などパーツの展示だが、後期では下の画像のような「完成形」で展示される。またこれは、投げられている方も鬼気迫る表情だ。娯楽も情報も少なかった時代、史実や説話をこれだけ生々しく再現した人形が展示されたら、それはもう評判になるだろうなあ、と思ってしまう。

《相撲生人形》の完成形は、後期に展示される

「生人形」を見て感銘を受けたのは、一般人だけではなかったようで、あの高村光雲も幼少期から松本喜三郎という人形師の作った生人形を見ていて、多大な影響を受けているという。下の画像がその喜三郎が作った《池之坊》だが、これは1871(明治4)年に東京・浅草で開場した「西国三十三所観世音霊験記」の第十八番、六角堂の場面で使われたものだという。何となく訳知り顔な中年男性の表情が、ちょっとコミカルで面白い。

展示されている松本喜三郎 《池之坊》 1871年、大阪歴史博物館蔵 前期展示

その喜三郎は、人体構造を随分と研究していたようで、東京大学の前身でのひとつ、大学東校から人体模型制作を依頼されたという。皮膚の質感、筋肉の力感まで「リアル」を追求しようとするその精神は、後の時代、光雲の後の彫刻の名手、平櫛田中に共通するものを見ることが出来る。今回展示されている《六代目尾上菊五郎「鏡獅子」裸像》は、名優と言われた六代目菊五郎が得意中の得意、「鏡獅子」を踊る姿の裸像。衣裳を着けた「完成形」は、東京・三宅坂の国立劇場にある。まず裸像を作り、筋肉などの動きを見極めた上で、「完成形」を作ったのだろう。やや太りじしだったという六代目の躍動感がよく現れている。

高橋由一《豆腐》1877年、金刀比羅宮蔵

 西洋美術とはひと味違う、日本の「リアル」とは何かをテーマにした今回の展覧会、生人形をフィーチャーしたことが、ひとつのメッセージになっているような感じがある。ただ、対象を美しく表現するだけではない、そこから盛り上がってくる力感や情念、そういうものも併せて捉えるのが、日本の「リアル」なのだと言っているようだ。そして、現代の作家たちは、そんな「リアル」の感覚をどのような形で表現しようとしているのか。様々な「リアル」のかたちが一望できるのが、今回の展覧会なのである。

深堀隆介《桜枡 命名 淡紅》、2017年、平塚市美術館蔵

樹脂でできた“水”の向こうのパラレルワールドに金魚を閉じ込める深堀隆介、立体感のある青草の中から生命の息吹が漂ってきそうな本田健、陶のレリーフが独特の質感を感じさせる安藤正子・・・・・・。展示作品からは、作家ごとに違う「リアル」の形が見えてくる。目に見えるものだけが真実ではない。真実のすぐそばには、人間が触れられるようで触れられない不可視の領域がある。「リアル」のすぐそばにあるものへの恐れ、憧憬。様々な感情が浮かびだしてくるようだ。

本田健《夏草(芝棟の土)》2021年、作家蔵
展示されている安藤正子のレリーフ作品

絵画、彫刻、工芸作品など、多彩な作品が並ぶ展示会場。この多様さも、現代の日本美術の「リアル」を示しているのだろうか。日本人、つまり私たちは「リアル」をどう捉え、そこに何を見いだそうとしているのか。色々なことを考えさせてくれる展覧会なのである。

(事業局専門委員 田中聡)

中谷ミチコ《夜を固めるⅢ(雨)》2019年、作家蔵