「鉄道写真家・南正時作品展~蒸気機関車のある風景 西日本編~」6月13日まで、鉄道博物館で

「茅葺農家とデコイチと D51形」1973(昭和48)年 4月 山陰本線 特牛~滝部

「鉄道写真家・南正時作品展~蒸気機関車のある風景 西日本編~」
会場:鉄道博物館本館2階スペシャルギャラリー1(さいたま市大宮区大成町3-47 電話048-651-0088
会期:202235日(土)~613日(月)
休館日:毎週火曜日(53日を除く)
開館時間:午前10時~午後5時(入館は午後4時半まで)
入館料:前売料金(前日まで)一般1,230円、小中高生510円、幼児210

当日料金 一般1,330円、小中高生620円、幼児310

詳しくは博物館公式サイト

※本展覧会は無料ですが、入館のため事前に指定のコンビニエンスストアで「入館券」(枚数限定。時間指定)を購入してください。館では入館券を販売していません。障害者手帳、各種利用券等がある場合は事前購入の必要はありません。
※幼児は3歳以上未就学児です。

旅情、郷愁、鉄道愛 昭和のSL写真展

鉄道博物館で「鉄道写真家・南正時作品展~蒸気機関車のある風景 西日本編~」が開催中です。南さんは半世紀にわたる撮影活動を通じ、「鉄道写真」というジャンルを確立したプロカメラマン。このたび、膨大な数の作品を後世に残すべく同博物館に寄贈しました。その中から昭和の西日本を走る蒸気機関車(SL)を撮った初期作品約70点を選び、本展で展示しています。ここでは本展で人気を集める作品や印象深い作品あわせて16点を、南さんのコメントを交えながら鑑賞していきます。

展覧会の会場(館の許可を得て撮影)

アニメ出身 構図にさえ

南さんは鉄道写真の泰斗ですが、意外にもアニメーション界の出身です。ほどなく鉄道写真を雑誌などで発表し始め、今日に至りました。アニメ制作で身につけた構図のさえが鉄道写真にも随所で発揮されています。

南正時さん

満開の桜に煙も染まる

それでは懐かしい昭和の風景とSLの雄姿を鑑賞する旅へと出発しましょう。最初に紹介するのは「笠置の桜 D51形」です。

「笠置の桜 D51形」1972(昭和47)年 4月 関西本線 大河原~笠置

写真のD51の吐く煙が桜色に染まりながら、そのまま並木に吸い込まれているように見えます。汽笛も花を散らさぬよう、優しく響かせたことでしょう。

南さんのコメント「木津川の渓谷に沿って咲く桜は名所として知られている。ここを走ったデコイチはちょっぴり控えめに煙を出して通過して行った」

秋の彼岸 記憶との再会

続く「曼殊沙華まんじゅしゃげの咲くころ」の季節は秋です。

「曼殊沙華の咲くころ 9600形」1973(昭和48)年 9月 田川線 崎山~油須原

曼殊沙華の別名は彼岸花。「縁起が悪い」と敬遠されたりもしますが、花言葉には「遠い記憶」「再会」も。南さんもレンズを通し、子供のころに見た真っ赤な花の記憶を取り戻したそうです。

南さんのコメント「九州の初秋には曼殊沙華を車窓から見ることができる。この日も沿線で群生地を見つけ、大正生れのキューロク機関車と撮影してみた」

「新雪の三瓶山を望む D51形」1972(昭和47)年 1月 山陰本線 大田市~静間

新雪の名山 SLの重量感

名山をバックに走るSLも絵になります。「新雪の三瓶山さんべさんを望む D51形」では、三瓶山のどっしりとした姿がSLの重量感とダブり、だんだん三瓶山がSLに見えてきます。

南さんのコメント「この年は雪の山陰を期待して出かけたのだが見事空振り。しかし、名山『三瓶山』(1,126 m)は新雪が積もり、美しい成層火山の山容を見せていた」

「阿蘇の噴煙 C12形混合列車」1973(昭和48)年11月 高森線 中松~阿蘇白川

噴煙勝負 SLに軍配

「阿蘇の噴煙 C12形混合列車」ではSLがバック(後進)で貨・客車を引っ張っています。白と黒の煙のコントラストも面白いですし、こちらも山の稜線がSLの形に似ていて、列車と並走しているかのようです。

南さんのコメント「南郷谷なんごうだにのカルデラからは、活動期以外に中岳の噴煙はなかなか見ることができない。この日は幸い見られたが、混合列車が通過するとC12の噴煙には負けてしまった」

「伊勢へ、参拝列車 C57形」1970(昭和45)年 1月 参宮線 宮川~山田上口

汽車は出て行く煙は残る

「伊勢へ、参拝列車 C57形」の舞台は明治301897)年完成の参宮線宮川橋梁です。白い煙が名残惜しそうに走り去る列車を見送っています。南さんは「SL列車を後ろから撮った写真には哀愁がにじみ出ます。この作品を見ると、『汽車は出ていく煙は残る』の文句を思い出してしまいます」とも話しています。

南さんのコメント「1970(昭和45)年の年頭は伊勢路の撮影から始まった。明治の鉄道遺産『宮川橋梁』でC57の牽く旅客列車を撮ったが、長編成の客車は伊勢神宮参拝客で満員だった」

「重連の加太越え D51+C58形」1972(昭和47)年 6月 関西本線 加太~柘植

列車丸ごとSLに? モノクロの妙

「重連の加太かぶと越え D51+C58形」に強く目を引き付けられました。タンク車の列も前後のSLと同じく、もうもうと煙を吐いているかに見えたのです。煙の正体は山の斜面の杉木立。「モノクロ写真は色の濃淡がポイント」とは南さんの解説ですが、煙と杉木立の黒白の濃淡が似ているので、見る人の視覚を惑わすのでしょう。

南さんのコメント「鈴鹿山系の難所『加太越え』は、急勾配をD51が後部補機を従えた重連で峠道を越える。この日は補機にC58を従えていた。当時、蒸機の峠越えの見どころのひとつでSLファンの憧れの地だった」

「老練、新雪の峠を越える 8620形」1972(昭和47)年 1月 越美北線 計石~牛ケ原

雪野の独行 雲水のごとく

「老練、新雪の峠を越える 8620形」のように、雪野原を行くSLと貨物列車は寒中、黙々と修行に歩く雲水たちを想起させます。白い煙は彼らが吐く息。難所に差し掛かろうと、列に乱れはありません。

南さんのコメント「計石はかりいしから続く連続25‰(パーミル)の勾配は老練ハチロク(8620)にはきつい峠道だ。新年早々のハチロクは白煙をなびかせてやってきた。罐(カマ)の調子はいいようだ」

「晩秋の第一白川橋梁 C12形」1973(昭和48)年11月 高森線 立野~長陽

頭上に白煙、地上に湯煙

深い渓谷の底から上を行くSL列車を眺めてみましょう。「晩秋の第一白川橋梁 C12形」では、南さんはちょっと意外なところでシャッターチャンスを待ちました。

南さんのコメント「『よくぞ、谷底まで降りて撮りましたね?』と聞かれたことがある。実は白川の谷底にある温泉旅館の露天風呂から、素っ裸で撮ったもの。5日間旅館に滞在して幽玄な渓谷の風景を待った」

「木曽谷を行くD51重連」1972(昭和47)年 4月 中央本線 南木曽~田立間

輪下に街並み 逆転の構図

「木曽谷を行くD51重連」は鉄橋の造形に加え、画面の上に鉄橋とSL、下に木曽の街や遠い山並みという、普通とは逆の構図も特徴的です。

南さんのコメント「この第二木曽川橋梁は、中央西線電化工事にともなう線路切り替えにより廃止された。橋長130mを越えるこの橋梁は、ペンシルバニアトラスと言われる堂々とした鉄橋だった」

「大淀川のハドソン C61形」1973(昭和48)年11月 日豊本線 宮崎~南宮崎

逆さハドソン 川面を快走

「大淀川のハドソン C61形」も橋の下に景色が広がります。川は流れを止め、動きも色も鈍い曇を写しています。舟の出番もなさそう。そんな退屈な川面を“逆さハドソン”が滑るように走っていきます。

南さんのコメント「南九州のC61(ハドソン)は奥羽本線青森電化で移動してきた機関車が多く、旅客列車を中心に牽引していた。穏やかな大淀川の朝、川面に水鏡を映してハドソンが通過した」

「日本海の落日 D51形」1974(昭和49)年 9月 山陰本線 須佐~宇田郷

夕映えの海に傑作の瞬間

夕景、夜景にも優品が目白押しです。本展で人気の高い「日本海の落日 D51形」はその代表例。被写体は日本海の夕日以外、全てシルエットです。その夕日が橋と貨車の隙間から覗いています。

これしかないという見事なタイミングですが、南さんは「撮影時はSLばかりに集中していたので、1週間後、現像して初めて夕日を捉えていたことが分かりました。万に一つのシャッターチャンスをものにできたうれしさがこみ上げてきました」と話しています。

フィルム撮影の時代。デジタルカメラのように「現場で画像確認」ではなく、現像して初めて出来栄えが分かったのです。

構図にも注目を。松の枝を画面上に入れたことで画面が整いました。穏やかな水平線に島影が浮かんでいます。どの作品にも言えますが、周到なロケハンの成果です。

南さんのコメント「このコンクリート橋梁は夕日のシルエットが美しい。なかなか夕日とD51が一致しないのだが、この日は狙い通りバッチリ撮れた。太陽の位置はまったくの偶然であった」

「夜汽車 D51形」1973(昭和48)年11月 日豊本線 都城

漆黒の夜に光の野外劇

こちらも高い人気の「夜汽車 D51形」です。車窓から漏れる光が矢となり、漆黒の闇を切り裂いています。先頭のD51は姿こそ見えませんが、鋭い汽笛を発し、急ぎ旅を主張していそうです。夜の野外劇の一幕を思わせます。

南さんのコメント「夜の駅は大好きである。この日は大阪方面の夜行急行を見送った後、吉都線のD51の牽く終列車を見送った。撮影した時の印象は残っていなかったが、帰京して現像上がりのフィルムを見てしてやったりと思った。デジタル時代では味わえない醍醐味である」

昭和の風情 櫓、土壁、茅葺屋根

締めくくりに、昭和の風情を色濃く漂わせる3点を一挙に紹介します。どれも見る人を懐かしい故郷へと誘います。

「火の見櫓のある風景 D51+DF50形」1972(昭和47)年10月 草津線 貴生川~三雲

南さんのコメント「突然の雨で旧家の軒先で雨宿りをさせていただいた。農家の主は親切で土間まで招き入れてくれた。敷地には半鐘の火の見櫓があり、私の写欲を誘った」

「山陰の小京都・津和野 D51形」1973(昭和48)年 1月 山口線 津和野~青野山

南さんのコメント「津和野らしい風景の中を白黒フィルムでD51を撮りたいと思った。細い路地が入り組んでなかなか思うようなアングルが得られなかったが、路地から顔を出すD51の一瞬を狙った。小京都らしい写真になった。『SLやまぐち号』は津和野までなので、この区間は走っていない」

「茅葺農家とデコイチと D51形」1973(昭和48)年 4月 山陰本線 特牛~滝部

南さんのコメント「特牛こっとい駅から滝部方面を線路沿いに歩いていると茅葺屋根の農家が目に付いた。人が住んでおらず物置に使っているらしい。この時代、農家の近代化で急激に古い農家が建て替えられていたから、私は迷わずここで汽車を待った」

浮かぶ寅さん 声と顔

作品を見ているうちに映画「フーテンの寅」が頭に浮かび、南さんに「今にも寅さんが写真の中に現れ、『よお、元気か』なんて声をかけてきそうですね」とつぶやいてしまいました。すると南さんから即座に「そうでしょ。寅さん映画のワンシーンを見ているみたいでしょ。そう感じてくれると私も実にうれしい」と、飛び切り大きな笑顔で返ってきました。

それもそのはず、南さんは寅さん研究家でもあるのです。関連の著述も多く、山田洋次監督とはSLを絡めた寅さん談義を交わす間柄と聞きました。

本展の作品は、南さんがまだ20代前半、プロカメラマンとしては駆け出しで、重い機材を背に全国行脚していたころ撮影したものです。

会場で「作品の一つ一つに思い出が込み上げてきます」と語る南さん

旅から旅 「俺と一緒だ」

「疲れた旅先での楽しみが地元の映画館で『フーテンの寅』を見ることでした。ある時、映画を見ながら『寅さんも旅ばかりの人生。なんだ、俺と一緒じゃないか』と思えたのです。以来、寅さんへの愛情がぐんと膨らみました」

旅を重ねるごとに写真やフィルムも膨大な数に増えましたが、時間の経過とともに退色や変色が進んでしまいました。南さんは復元のため自ら1枚ずつデジタル処理しています。

本展で鑑賞するのは、そんな手間をかけて現代に舞い戻った風景の数々です。

「鉄道写真家」として駆け出しのころの南さん(昭和48年1月、只見線で。本人提供)

「もとの色に戻すと言っても、50年前の私の記憶が頼り。でも不思議と全て鮮明に覚えているんです」。そう語る南さんはもう一度ゆっくり会場を歩きながら、遠い青春も蘇らせていました。(ライター・遠藤雅也)

〈南正時さんプロフィール〉1946(昭和21)年、福井県武生町(現・越前市)生まれ。1967(同42)年、アニメーション制作会社に入社後、蒸気機関車に魅了され、月刊「フォトコンテスト」で鉄道写真を発表。「週刊漫画アクション」の口絵で「SLを追って」を連載する。1971(同46)年、フリーカメラマンとして独立し、「旅行ホリデー」(毎日新聞社)などで発表を続ける。1988(同63)年のオリエント急行来日時はテレビの特集番組を監修。現在は「週刊東洋経済」や鉄道雑誌でコラムを連載している。近著に「山手線駅ものがたり」(天夢人・山と渓谷社)。寅さん研究でも知られ、「寅さんが愛した汽車旅」(講談社+α新書)の著作も。202010月~20211月、鉄道博物館で本展の東日本編を開催。