【開幕レポ&会見詳報】「OZAKI30 LAST STAGE 尾崎豊展」松屋銀座で4月4日まで

1992年4月25日、日本のロックシーンを代表するシンガーソングライター尾崎豊が26歳の若さでこの世を去りました。没後30年を記念した「OZAKI30 LAST STAGE 尾崎豊展」が3月23日から4月4日まで、松屋銀座(東京)で開催されています。
OZAKI30 LAST STAGE 尾崎豊展 |
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会期:2022年3月23日(水)~4月4日(月) |
会場:松屋銀座8階イベントスクエア(東京都中央区銀座) |
開場時間:午前10時-午後8時 ※入場は閉場の30分前まで (3月27日(日)、4月3日(日)は午後7時30分、最終日は午後5時閉場) |
入場料:一般1,500円、高校生1,000円、中学生800円、小学生500円 |
問い合わせ:03-3567-1211(松屋銀座大代表) |
巡回予定:2022年4月13日(水)~25日(月) 静岡伊勢丹 2022年4月29日(祝・金)~5月15日(日) 福岡・UNITEDLAB 2022年秋 大阪 2022年冬 広島 その他:調整中 |
詳しくは展覧会公式サイトへ |
開幕日に行われた内覧会・記者会見を取材しました

「OZAKI30 LAST STAGE 尾崎豊展」が松屋銀座で23日午前10時から始まりました。開店前の早朝に行われた内覧会に伺いました。没後30年、今も聴き継がれる尾崎豊。アーティストとしての魅力から制作の舞台裏まで、伝説の実像に迫るファン必見の展示です。

尾崎が最初に触れた楽器アップライトピアノや最初に作ったデモテープなど貴重な遺品の数々が並びます。なかでも、尾崎愛用のギブソンは、死後に、デビュー時から尾崎豊の音楽プロデューサーを務めた須藤晃さんに譲られ、30年経った今も弦を張り替えせずに当時のままです。

本展の監修者でもある須藤さんと、尾崎の息子でシンガー・ソングライターの尾崎裕哉さんが記者会見して、尾崎への思いや展覧会の見どころを語りました。
須藤さんが教えてくれた逸話の一つが「COOKIE」 。大切な人が焼いてくれたクッキーや温かいミルクという日常を歌う曲。実はチェルノブイリ原発事故を受けて作られ、反戦・反核の思いが込められているそうです。
亡くなったときはまだ幼かった尾崎裕哉さんは、父のステージの姿を映像でしか知らず、今回初めてステージ衣装の現物を見たそうです。
グッズも豊富ですが、やはり注目は裏も表も真っ白なTシャツ。須藤さんによると、ジーンズにTシャツをインするのが尾崎っぽくなる秘訣とのこと。
記者会見の主な内容

須藤晃さん
没後10年ごとにイベントをやると決めたものの(30年目は)できないと思っていた。人が集まらないだろうと。ところが、20年からまた10年たって30年になるとなったとき、実は20年の時よりも新しいうねりを感じた。
尾崎豊をまったく知らなかった若い世代が、動画を見たり、名前を聞いたり、歌を聴いたりするうちに「尾崎豊ってなんだ?」という動きがまたすごく出てきた。この流れになってきたので、「やりませんか」と色んなところでつぶやいていたら(実現した)。
レコードや映画をヒットさせる狙いがあるわけでなく、「尾崎豊とはいったい何だったんだろう」ということを、みんなと一緒に考える機会にしたい。
(尾崎裕哉さんは)父親である尾崎豊さんが亡くなられたときにまだ2歳くらい。護国寺の葬儀場を走り回っていたという記憶があって(父親が亡くなった)意味も分からなかったんだと思う。
彼(尾崎裕哉さん)はすぐにアメリカに奥様と渡り、帰ってくるたびにずっと会ってきた。付き合い自体はもう本当に30年ぐらい。
音楽をやりたいという話になったときに、実は直接的にはあまり関わりたくないなと思っていた。何て言うんでしょうね…。<昔すごく親しく付き合っていた人の娘とまた交際する>みたい。(笑)
わかりやすくするためにそう言っているんですよ!
神様は許さないぞ、みたいな気分があって、それを裕哉君にも言ったのです。
好きにやって分からないことがあれば何でも教えるよって。分からないことだらけでずっと教えていたら今みたいになった。僕にとって本当に大切なアーティストなので大事にしています。
尾崎裕哉さん
亡くなって30年たってもずっと誰かの1位、みんなの1位になり続けていることは本当にすごい。
僕自身も歌を作りながら、作っているからこそ、余計にその凄さ。みんなに愛されたんだな。
展覧会の見どころ

須藤晃さん
自宅でデモテープを作るときに弾いていたギブソンのセミアコというギターが飾られている。尾崎さんが亡くなられた時に、「一緒にサビを作っていた須藤さんに持っていてもらったらいい」という流れで僕がいただきました。
もう30年以上経っているんだけど、弦を張り替えてない。
張り替えたら何かが失われるみたいな感じで。
裕哉君もテレキャスターとかお父さんの遺品を持っているけど、このセミアコをくれと言われているんです。僕が死んだらくれって言っていますね。2段階で裕哉君のところに行くんじゃないですかね。
今これ言っちゃうと、僕が死んだ時に必ず裕哉君に渡さないといけない。そういう意味ではないです(笑)。
尾崎裕哉さん
えっ?違うんですか?くれるんだと思ってました(笑)。
須藤晃さん
気持ちとしてはそうだけど(笑)。とにかく、一番思い入れのあるのはそのギターですね。
尾崎裕哉さん
僕が今回(現物を)初めて見るものが衣装。もともと僕が映像でしか知らなかったものに、生であった時に、知っていたはずのものをよりリアルに感じることができた。
一度に尾崎豊に包まれる環境、尾崎豊に浸れるのは今しかない。鳥肌が立った。
須藤晃さん
今回、映像作家の佐藤輝さんのご厚意で借りたものがある。
ペンキを何回もかぶるので有名な「Freeze Moon」という曲のプロモーションビデオがあります。その時、尾崎さんが履いていたコンバースとかけていたサングラスを今回展示している。
僕も見た時に何かゾッとした。生々しくて。
30年間、ずっと倉庫に眠っていたんでしょうね。
曲について
須藤晃さん
「COOKIE」という曲はアルバム『誕生』に入っている。作る直前にチェルノブイリの事故があった。
もともと反核、反戦、平和の意識はあった人だった。デビューしてすぐ「アトミック・カフェ」で「核(CORE)」を 歌っているくらいですから。
「誕生」という曲を作った時に核がもたらす脅威を二人でいろいろ話している。
スローガンとして「平和、戦争反対」と言ってもしょうがない。人を愛することから始めたい。周りの人間、家族だけじゃなくて。
そういう話をして、昔作った曲にCOOKIEというのがあって、あれはもう10代の時からあった曲なんです、それを直して完成させて『誕生』というアルバムに入れた。
生々しい戦争反対、反核だみたいなことを一言も言っていない。
おいしいミルクを飲みたい。つまりそういう世界でありたい というメッセージは今聴いても…。
裕哉君もすごく好きな曲で、ライブで歌ってほしいといつも言っている。
政治的な発言みたいなことを全然しない人だったが、尾崎豊のひとつの一面を代表する曲だと思う。僕もこの曲に関しては非常に思い入れがある。
グッズについて
尾崎裕哉さん
(どのグッズが息子として印象に残ったかとの質問を受けて)絶対僕の叫び声聞いてましたよね?(笑)
全て見終わったあと、物販コーナーを紹介してもらったら、白T(白いTシャツ)が売っていた。
尾崎豊というと白Tなんだって。
全くただの白Tだけど、「ああ白Tってグッズになるんだ」と感動した。
白Tにジーンズで完結できる人間って、尾崎豊と白洲次郎ぐらいしかいない。
(読売新聞デジタルコンテンツ部 岡本公樹)