「笑えない」を笑う、江戸のジャーナリストたち 吉例浮世絵大公開! 江戸の滑稽 ―幕末風刺画と大津絵― ~田河水泡コレクションを中心に~ 小説家・永井紗耶子さん

「世は安政民之賑」安政2年(1855)大判錦絵、町田市立国際版画美術館蔵

時に広く庶民に時事問題を分かりやすく知らせ、巧みに権力者を批判することもあった江戸時代の絵師たち。自らも記者経験のある小説家・永井紗耶子さんが、風刺画の展覧会に寄せて、「ジャーナリストとしての絵師」という視点で作品を解説してくれました。

吉例浮世絵大公開! 江戸の滑稽 ―幕末風刺画と大津絵― ~田河水泡コレクションを中心に~
会場:町田市立国際版画美術館(町田市原町田4-28-1)
会期:2022年3月12日(土)~4月10日(日)
休館日:月曜日(3月21日は開館)、3月22日
入館料:当日一般800円ほか、詳細は公式サイト
お問い合わせ:042-726-2771

江戸時代の浮世絵の中には、笑いを誘う滑稽な作品も数多く存在します。「滑稽とは何か」について思索を巡らせてきた漫画『のらくろ』の作者、田河水泡のコレクションを中心に展示された『江戸の滑稽』展が、町田市国際版画美術館で開催。江戸後期から明治時代にかけて作られた、思わずくすりと笑ってしまう作品たちから見えてくる、江戸の人々の姿が楽しめます。

滑稽な戯画の中で描かれているテーマの中には、安政の大地震や麻疹やコレラといった疫病、更には幕末の戊辰戦争など……実は笑っている場合ではない話……むしろ、そんなことを笑ったら「不謹慎」と叱られそうなものも多くあります。しかし、歌川国芳や歌川広重をはじめ、多くの浮世絵師たちは、敢えてそうした「笑えない」テーマを戯画として表現していきます。そこから見えてくるのは、世の中の不条理。それを皮肉ることで、当時の庶民たちの感情を描き出していくのです。

地震を描く「鯰絵」

浮世絵に描かれた題材の一つが「地震」でした。

昔から、地震を引き起こす鯰を、鹿島神宮の神様が要石で抑え込んでいるとされていました。しかしその要石がずれることで、地震が起きる……と。

安政二年の102日(18551111日)、関東地方に大きな地震が起こります。これは、茨城の鹿島明神の神様が、神無月で出雲に出向いて、要石がずれたから……ということで、この要石と鯰をモチーフとした「鯰絵」が数多く描かれました。これらの多くは作者が不明ながら、大流行。人気役者たちの似顔絵が混じっていたり、流行歌のパロディもあったりと、見ているだけでも楽しめる作品ばかり。また、地震避けの護符としての意味もあったそうで、庶民たちの間では瞬く間に広がっていきました。

一方で、この鯰絵は世の中を鋭く切る風刺画としても実に面白いのです。

一度、地震が起きると、復興のために多くの建物が再建されます。そのため、地震の直後には復興景気が起きるのです。当時の江戸では「持丸」いわゆるお金持ちたちが、金を懐に貯めこむ傾向がありました。それらが一気に市場に出回り、経済の活性にも繋がりました。

 作者不詳の『世は安政民之賑』では、鯰がひげを金持ちに引っかけて、引っ張っています。これは、貧しい民を救うために、金持ちから金を引き出すべく地震が起きたのだ……という「世直し」思想を表しています。

地震によって非業の死を遂げる貧しい者、遊女たちがいる一方、地震によって大儲けする大工や左官たちがいる。そんな地震の割り切れない空しさに、「世直し」の意味を込めようとしている世の中の様子が、鯰絵からは見て取れるのです。

「世は安政民之賑」安政2年(1855)大判錦絵、町田市立国際版画美術館蔵

疫病を描く「はしか絵」

疫病もまた、浮世絵のテーマの一つです。麻疹は現代とは違い、命に関わる重病の一つでした。現代においても、このコロナ禍で正体不明の疫病の恐ろしさは、ひしひしと感じています。江戸時代、どうして伝染していくのか、どうやれば治るのか分からない疫病は、正に恐ろしいものでした。そして、それらを治めるために、神にも縋る思いでいたことでしょう。

「はしか絵」は、正にその「はしか」を擬人化し、それを縛り付け、退治しようとする絵です。これは「はしか除け」のまじない絵として、多くの人々の間で流行しました。

歌川国芳の弟子で、猫の絵などを得意とした歌川芳藤が描いた『はしか童子退治図』では、麻疹の流行で不景気に陥った酒屋や船宿、湯屋……といった商いを擬人化した者たちが、はしかの化身の大きな童子を括りつけ、薬種が祈りを捧げています。

また、幕末に流行した「コレラ」においても、同じようにコレラを擬人化したものを退治する様が描かれ、同じく「疫病除け」として人々の心の支えとなってきました。

現代でも、どうすることもできない疫病から救われたいと、「アマビエ」の絵が流行しました。昔も今も、人の力を越えたものに縋りたい思いは変わらないのでしょう。

疫病という恐ろしいものも、ユーモアを込めて描くことで、時代の空気を少しでも明るくしようとした絵師たちの工夫が見えます。

歌川芳藤「はしか童子退治図」文久2年(1862)、大判錦絵、町田市立国際版画美術館蔵

子どもたちの絵で戦争を風刺

ペリーの来航からこちら、激動の時代を迎えた日本。新旧勢力の対立は日に日に激しさを増していきます。その足音は、江戸の庶民にも聞こえるようになり、世情は不安定になっていきました。

そうして起こった戊辰戦争。薩摩、長州、土佐などによる政府軍と、奥羽越列藩同盟による幕府軍が、戊辰戦争で対立することとなりました。

浮世絵師たちは江戸住まいの者が多く、彼らは幕府贔屓。また、江戸の庶民も幕府贔屓の者が多く、この戦争によって江戸に進出してきた政府軍に対して、何とも言えぬ苦い思いもあったようです。とはいえ、新政府を真っ向から批判するのは難しい。そこで、子どもたちが遊ぶ様を描いていると見せかけて、戊辰戦争を描いた作品が数多く残されています。

『子ども遊び百ものがたり』で描かれているのは、白河の関を描いた屏風の向こうから、会津塗をお化けのように構えた子どもたちと、それを見て逃げる子どもたちの姿。逃げる子どもたちの着物の柄は、カゴの目の模様はカゴシマで薩摩藩、蝶の柄は長州藩。会津の戦争の様子を描いています。よくよく見ると「あれれ、これは……」と、気づかされる仕掛けで楽しむのは、江戸の町人たちの粋な文化でしょう。

しかしそれでも、新政府軍に取り調べを受けた者もあったそう。「いやいや、子どもが遊ぶ様を描いただけですよ」と、しらっと言い逃れて見せたけれど、なかなか剛胆でもあります。

「子供あそび百ものがたり」慶応4年(1868)、大判錦絵2枚続、町田市立国際版画美術館蔵

絵を描くだけじゃない「ジャーナリスト」

当時の絵師たちは、ただ滑稽な「絵」を描いていただけではありません。絵を使って、今、世の中で何が起きているのかを分かりやすく伝える役目も負っていました。時には有名な役者を揶揄し、同時にお上の批判も行いました。事の真相を追求し、それを描く姿勢は、正にジャーナリストと言ってもいいでしょう。

今回展示されている作品は、昭和初期の大人気漫画『のらくろ』の作者、田河水泡も魅了しました。滑稽な表現には、時代を越えて「伝える力」があることの証でもあるのかもしれません。そして当時の人々が、苦難を笑い飛ばしながら逞しく生きた姿そのものでもあるのでしょう。

現代にも通じる問題を切り取る鋭い目と、くすりと笑わせる多彩な表現力を、ぜひ間近に堪能してみてください。

永井紗耶子さん:小説家 慶應義塾大学文学部卒。新聞記者を経てフリライターとなり、新聞、雑誌などで執筆。日本画も手掛ける。2010年、「絡繰り心中」で第11回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。著書に『商う狼』『大奥づとめ』(新潮社)、『横濱王』(小学館)など。第40回新田次郎文学賞、第十回本屋が選ぶ時代小説大賞、第3回細谷正充賞を受賞。4月上旬に新刊『女人入眼』(中央公論新社)